第三十七話 急襲

文字数 2,442文字

 翌朝。
 恭介と結羽は、いつも通りに登校した。
 しかし、教室に入る手前で恭介が立ち止まる。
「一組寄ってみるか」
「え?」
 相手に合わせて足を止めた結羽は、掛けられた言葉に訝しげな声を洩らした。
「どんな様子か、覗くだけだ」
 安心させるように微かに口角を上げてそう告げると、足先を一組の方へ向け、そのまま歩いていく。
 結羽は面倒臭いと言いたげな表情を浮かべながらも、その後をついて行った。
「……あっ!」
 一組の扉から覗き込むと、早々に絢奈が気付いて声を上げ、近付いてきた。
「優佳まだ来てないよ」
 用件を述べるより先に紡がれた内容を聞き、二人は顔を見合わせる。
 それなら様子を窺う意味はない。
「そうか、邪魔したな」
 恭介が踵を返し、結羽もそれに続く。
 ここで優佳が登校してきて鉢合わせとなっても気まずいだろう、と判断しての行動だった。
 
 しかし、待っていたところで優佳が登校してくることはなかった──。

 放課後、恭介が部活に励む様子を結羽が眺めている。
 何てことない、普段と同じように、今日の学校生活が終了しようとしている。
 手紙についての謎が残ったままということに悶々としながらも、何事もなかったことに安堵を覚えていた。
 部活を終えて、二人一緒に帰宅する。
 体育祭に向けて、放課後の部活時間に参加競技の練習に励む生徒が多数居るため、普段よりもこの時間に帰宅する人数は急増していた。
 
 ──そういえば、恭介も……。

 結羽は、隣を歩く凛とした相手の横顔を見つめる。
 薄暗い中でも、端正な顔立ちがわかる。
「……あ」
 視線に気付いた相手と目が合い、反射的に眼差しを前方へと逸らしてしまった。
 しかし、その反応は相手の追及を誘うことになってしまう。 
「どうした?」
 予想通りの問い掛け。
 結羽は、視線を前に向けたまま少し間を置いてから内心で思ったことを口にし始める。
「恭介……練習しなくていいの?」
「え? あぁ、別に良いだろ」
 主語がなくても通じたのか、恭介は余裕の笑みを浮かべて答えた。
「…………」
 いくら運動神経が良いとはいえ、ぶっつけ本番でどうにかなるものだろうか。
 そんな疑問が、結羽の表情を曇らせる。
「……まぁ、来週辺り少しやるよ」
 無言の訴えに納得していないと判断した答えが、前言撤回するように続いた。
 時折、流れるようなヘッドライトが二人を照らす。
 会話することも、またその必要もなく、無言のまま帰路に着いた。
 アパートの敷地に入ったところで、漸く恭介が口を開く。
「あー、腹減ったな」
「何か作って」
 間を置かずに返ってきた言葉を聞いて、吐息だけの笑いが洩れた。
「たまには、結羽が作ってくれてもいいんだぞ」
「えー?」
 冗談混じりに告げると、気怠さ全開の反論が言葉にならずとも恭介に響く。
「ははっ、そんなに嫌がらなくても良いだろ」
 結羽の声色と表情があまりに強い拒否を示していて、声を出して笑いながら言い返し、玄関の鍵を取り出そうとポケットを探った。
 しかし、すぐに空の手をポケットから出して笑みを消し、後ろを振り返る。
「……?」
 すぐ後ろに居る結羽が不思議そうに見つめ、首を傾げた。
 その背後から砂利を踏む音が聞こえ、恭介は反射的に相手の肩を掴んだ。
「うぁッ……」
 突然肩を掴まれて勢い良く玄関扉に背を当てられ、結羽の口から小さなうめき声が洩れる。
 恭介は、感じた気配と自分が対峙するため、結羽の前に立ちはだかった。
 その判断は間違っておらず、フードを被った人物が外灯に反射するナイフを掴んで突進して来る。
「──ッ!」
 肉を裂く、嫌な音が短く響いた。
「恭介ッ!」
 続けるように、結羽の悲鳴にも似た声が上がる。
「ッ……く」
 勢い良く向けられた刃を、恭介の左腕が受け止めていた。
 奥歯を噛み締めて痛みに堪えながら、それでも経験することのない痛みに表情を苦く歪ませ、ナイフを突き立てたまま微動だにしないフードの人物を睨み付ける。
 ナイフは刃渡り十センチほどの小さな物だが、鋭さは他の刃物と変わらない。
 深々と刺さっていて簡単に対処は出来なさそうだ。
 フードから覗く長い髪。
 自分との身長差から見て、その相手に覚えがあった。
「……っ……沖野、か……」
 辛そうに掠れる声で名を尋ねれば、肩がびくりと跳ねる。
 しかし、ナイフからは一向に手を離そうとしない。
「…………」
 ナイフを握る手が、震えている。
 まるで手の平が貼り付いているかのように、離せない、と言うべきだろうか。
「……何考えてんだ、テメェ……手を離せ」
 背後で結羽の呼吸が乱れていくのを感じながら、恭介は再度、優佳に声を掛けた。
 しかし、返答はない。

 ──……ダメだな。

「結羽、警察呼んでくれ」
「っ……う、ん」
 振り返らなくてもわかる。
 結羽は、今にも泣きそうになっている。
 痛みに堪えるその後ろで、必死にスマートフォンを取り出し、警察へと発信した。
 緊張と恐怖と不安の中で、結羽は電話の向こうから尋ねられる内容に、震える声で答えていく。
「……結羽、頑張ったな」
 通話が終わると、恭介は極めて平静を装いながら、労りの言葉を掛けた。
 また、大切な人が傷付いた。
 結羽はそう思っているに違いない。
 未だにナイフから手を離さず、何も言わない相手を睨み付けながらも、このままナイフは抜かないでくれと願って止まない。
 刃が引き抜かれた瞬間、大量に出血するだろう。
 その先は、考えたくもない。
 結羽を守ることは出来たが、それと引き換えに死ぬのは御免だ。
 これ以上、相手に哀しい想いはさせたくない。
 身体を休めたいが、腕を少し動かしただけでも激痛に見舞われるため、動くことが出来ない。
 幸い、結羽の声が響いたのみで、他の住民は気付いていない。
 騒ぎになっていない。
 それだけが救いだった。
 
 ──早く来てくれ……。

 ワイシャツが血に濡れていく生暖かさを感じながら、静かで不穏な時間の中で、二人にとって酷く長い数分間、警察車両が届くのを待つこととなった。 
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


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