第十五話 心を見透かす男

文字数 2,674文字

 結羽が風呂場で澪斗に弄ばれ始めた頃、緊迫感に満たされていた恭介の元に着信が来ていた。
 相手は、西岐智哉だ。
「もしもし? 何だよ」
『園原、退院出来た?』
「ん、まぁな」
 結羽について問われると、心配の色を隠しながら短く答えた。
 もしも、今ここで結羽から着信があったら、と考えては焦りが顔を出す。
『傍に居ねーの?』
 相手のストレートな問い掛けが、恭介を憂鬱の闇に誘っていく。
「……あぁ、長野から来た叔父が連れて帰ったんだ」
『へー……叔父?』
 相手の疑問は止まらない。
 そんなヤツいたのか、と半ば他人事の西岐に、恭介は思い出しながら説明する。
「……確か、梓川澪斗っていう、長野在住の……」
『お? 澪斗っつったか?』
 いきなり、西岐とは違う少し柄の悪そうな男の声が割って入ってきた。
 恭介の声が筒抜けということは、スピーカー状態なのだろう。
『あ、兄貴……部屋に入ってくる時は声掛けろっていつも……っ、や、やめろよ、電話してんのに…』
 途中、何故か焦りの交じった言葉が聞こえてきたが、それ以前に相手が西岐智哉の兄ということがわかった。
 制止を求める声を無視して、兄が話を続ける。
『おい、ソイツ知ってるぜ。民俗学者やってるヤツだろ? 俺、大学で民俗学の講演聞かされに行ったことあるから』
『……んやッ、バカ、触んな……』
 電話口から、時々、少し熱の篭ったような声が聞こえてくる。智哉のものだ。
『俺の見た感じ、闇深そうだったなー』
 智哉が何をされているのか気になるところだが、しかし兄は平然と話を続けている。
「闇……ですか?」
『俺さ、一応心理学専攻なんだよね。だからってわけじゃねーけど、何となくアイツ良くねェ性癖持ってそうだなって勘繰っちまってよ。俺の悪い癖』
『兄貴、やめ……んッ、ん……』
 何かを訴えようとした西岐の言葉が途切れた。
 どうやら何かで口を塞がれたらしく、暫くの間、くぐもった声が話口から伝わってくる。
『……っ、ハァ……智哉、少しは静かにしてろ。犯すぞ』
 漸く聞こえたのは低くドスの効いた兄の声。少々呼吸が乱れているのは気のせいではないだろう。
 遠くから、弱々しく『わかった』と聞こえた。
 なんとなく、電話の向こうで行われている事情がわかってしまった恭介は、踏み込んではいけない気がして何も言うことが出来なかった。
『っと、わりーわりー。その講演の後、気になって聞いてみたんだよ……先生は、好きな人いますか? って』
 また、何事も無かったかのように兄が会話を再開する。
「…………」
 恭介は、固唾を飲んでその続きに耳を傾けた。
『可愛い可愛い甥っ子がいて、その子の事が好きで、愛してる。最近逢えていないから凄く寂しい。って、何の気なしに言いやがってよ』
「……そう、ですか」
 その答えを聞く限り、病室での澪斗の様子とリンクする部分が多く感じられる。
 智哉の兄が言っている民俗学者が澪斗だと言うことに間違いはないらしい。
『まぁ好きかどうかは別に良いとして、そん時のアイツの目がヤバかった。あん時ゃ久々に背筋凍ったぜ』
 背筋が凍るほどの目とは、どんなものなのだろうか。
『恐らくな、ただの家族愛じゃねーぞ』
「あの……」
『ん?』
 不意に、恭介自身も自覚がない声が、相手の言葉を遮るように洩れた。
 相手は、黙って恭介の言葉を待ってくれている。
「お兄さん……俺、結羽を二人きりに……」
『お兄さんか、なんか照れんな。で、その結羽って子から連絡は?』
 呼び方に堪え切れず吐息の笑みを洩らしてから、恭介の告げた内容に真剣な声色で問い掛けた。
「来てません」
 答えると、相手は暫し黙って思考を巡らせる。
『……連絡の一つも寄越さねーとなると怪しくなっちまうな。智哉から聞いてるけど、重傷なんだろ?』
「……はい」
 返答の声に哀しみの色が顕れた。
『不安か?』
「はい」
 素直に返事をした。
 嘘をついても仕方がないことだとわかっている。というよりは、相手に嘘をついてはいけない気がした。
「家族内のことに、どうしたらいいのかわからなくなってしまって……」
 声に出してはまた憂鬱になる。
 家族のことがよくわからないから動けなかった、そんな不甲斐ない自分を許せない。
『お前が一番大切にしたいモンは何だ?』
「結羽です」
 唐突な問い掛けにも、恭介は素直な答えを出した。
 それを聞いた相手は、フッと笑みを零して話を続ける。
『だったら答えは簡単だ。良いか? 物事ってのは、動かなきゃ何も変わらねー。特に自分がどうにかしてーっつーことは、自分が声を上げなけりゃスタート地点にも立てねーんだ』
「……はい」
『自分一人で動くのが難しいなら、助けを求めるのも手だぜ。心の内ってのは、他人にはわからねーんだからな』
「……はい」
 反論の余地はなく、次第に覇気のない返事をし始める恭介に、相手が小さく吹き出した。
『おい、返事がロボットになってんぞ! お前の名前、恭介だったか? 一人で抱え込むのが好きなら別だけどよ、助けてって話なら、手助けしてやるから言ってみろ』
 恭介は、普段から助けを求めることに慣れていない。
 いつも一人でどうにかしようと動いてきた。
 助けを求めたい。でも何と言えばいいのかわからない。
 暫くの無言の後、漸く声が出た。
「……えっと、お兄さん」
『あー、それだと義理の兄になった気分だな……何か、智哉が取られた感じになって嫌だから名前で頼むわ。夏の雅って書いて夏雅(なつめ)。夏雅さんって呼べよ』
「な、夏雅さん……結羽を、助けて下さい……」
『言えたな。任せろ』
 即答だった。
「ありがとうございます。あの、鍵持ってます」
『鍵?』
「結羽の家の鍵……結羽に、渡されました」
『おー、なるほど。まー、とりあえずお前ん家行くわ』
 物凄く理解が早い相手は、次々に話を先へと進めていく。
 恭介は慌てて口を挟んだ。
「え、でも俺の家わかりますか?」
『そんなことか。舐めてくれんなよ、お前より俺の方がこの街のこと知ってんだ。じゃあ後でな』
「は、はい……」
 相手の言葉に何も言い返すことなく、恭介はただ相槌を打って会話が終了した。
 しかし、電話の向こうでは智哉と夏雅が何やら話している。
『あ、兄貴、行くなら俺も……』
『智哉、テメーは風呂入って待ってろ。俺が帰ったら一発ヤるから寝るんじゃねーぞ。寝てたら寝込み決定な』
『で、でも兄貴、俺、明日学校が──』
 何やらプライベートな会話が交わされる中、慌てたように通話が切れた。
 恭介は、緊張と不安と安堵が入り交じる複雑な感情のまま、結羽に渡された鍵を握りしめて夏雅の到着を待つこととなった。
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


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