第二十二話 兄の機転
文字数 2,782文字
午後六時。
部活を終えた恭介は更衣室で着替えを済ませて扉を開き、外で待っていた結羽に声を掛ける。
「お待たせ。帰るか」
「うん、おつかれ」
部活が終わり、着替えた後も滲む汗をタオルで拭いながら、恭介は結羽と一緒に校舎を後にする。
視界にハンデのある相手を庇うように車道側を歩きながら、夕刻の空気に熱の籠った身体が涼むのを感じて、恭介は脈拍を落ち着けるように静かに息を吐いた。
「楽しそうだったね」
部活動後のスッキリとした表情を覗き見た結羽が、ツンとしながらも嫌味なく声を掛ける。
「ん? あぁ、まぁ、そりゃァな」
以前と変わらず部活に精を出せていることは否定しないながらも、以前と同じような活動が出来なくなってしまった相手にハッキリと頷けず曖昧な答えとなってしまった。
そんな恭介の内心を読んだかのように、結羽が溜め息をつく。
「俺もダンスしたいな……」
「…………」
ドクターストップにより、大好きなダンスをすることが出来ない。
そんな結羽の気持ちに安易な言葉を掛けることが出来ず、恭介は押し黙った。
結羽の視線がチラチラと表情を窺い、暫くの間を置いてから沈黙を破る。
「あ、教室覗いてみても良い?」
「え? ああ、構わねェよ」
恭介が頷くと、結羽は嬉しそうに口角を上げた。
自宅アパートに踵を向け、その足で一緒にダンススクールへと向かう。
「……あれ?」
小さな呟きと共に、結羽の足が止まった。
「どうした?」
「何か落ちてる」
恭介の問い掛けに、相手はどこか一点を見つめながらそう答えた。
「え?」
何を見て言ってるのかと、恭介は相手の右目と視線の先であろう方向を交互に見遣る。
しかし相手の視線が何を捉えているのか掴めず疑問符を口にした。
「……恭介、眼科行ったら?」
怪訝そうに眉を寄せる結羽の辛辣な言葉が刺さる。
「あのな、お前が何見て言ってんのかわかんねェんだよ。いつでも同じところを見てると思うな」
「はいはい、あそこ見て」
恭介の言い訳に面倒臭そうな相槌を返した後、左手の指が差したのはダンススクール脇の細道。
白い指の先に視線を這わせると、そこにはうっすらと茂った草の中に黒っぽい物体が見えた。
日が沈みかけて翳り、ハッキリと何かはわからない。
「そんなに気になるのか?」
「んー、なんとなく」
適当な返答をしながら、結羽の足先はダンススクールから脇道へと向いた。
そのまま、躊躇いもなく進んでいく。
「この道、よく西岐が通ってるんだよね。家でもあるのかな」
「そうなのか」
元々帰宅部の結羽は、自宅から自転車でダンススクールへ通っていた際に西岐の姿を見掛けていたのかも知れない。
恭介は、それ以上追及せず相手について行く。
「……あ、これ」
「西岐のカバンと同じだな」
右腕の動かない相手の代わりに恭介が手にしてみると、少なからず中身が入っているような重みを感じた。
落としてそれほど時間が経っていないと思わせるくらいには、綺麗な状態だ。
「同じカバンを持ってる人くらいいるんじゃない?」
結羽の問い掛けは尤 もだった。
ともすれば、やむを得ないとばかりに恭介が溜め息をつく。
「……確認させて貰うか」
カバンのファスナーを開くと、財布やスマートフォンなど大切な物が入りっぱなしになっていた。
「おいおい……」
悪い奴に拾われなくて幸いだなと思いながら、自分も持っている生徒手帳を見つけて最終ページを覗き見る。
「……え」
恭介は言葉を失った。
生徒手帳を凝視したまま動かない様子に、結羽も相手と一緒に覗き見る。
「えっ、西岐?」
思わず声に出したことに気付いた結羽は、慌てて片手で自分の口を覆った。
「…………」
生徒手帳をカバンに仕舞ってファスナーを綴じると、恭介は立ち上がって辺りを見渡す。
持ち主の姿は見当たらない。
落し物ドッキリにしては、余りにも警戒心がなさすぎる。
──何かあったのか?
恭介には、それ以外の予想がつかない。
ただ突っ立っているわけにも行かず、徐 に自分のスマートフォンを取り出して、どこかへ電話を掛け始める。
どうしようもなければ警察に届けようと考えていた。
「恭介、誰に電話?」
「夏雅さんだよ」
結羽の問い掛けに答えると同時に、電話の向こうで相手が応える。
『恭介、どうした?』
相変わらずガラの悪い口調だが、怖い気はしなかった。
しかし、続く恭介の言葉に一転する。
「あの、西岐のカバンが、田んぼ脇に落ちてました」
『……智哉は?』
声のトーンが低くなったのがわかった。
その後は、状況を説明するための質疑応答が数回続く。
「居ません」
『スマホは?』
「カバンに入ってます」
『……わかった。智哉から何か聞いてねーか?』
「いえ、何も……」
素直に受け答えしていると、舌打ちが聞こえた。
抑え切れない怒りが伝わってくる。
『……了解。もうすぐ家につくから……あ、見えた』
言い終えるが早いか、ブチッと通話が切れた。
カバンへ視線を落としたまま、不通となったスマートフォンをポケットへ仕舞う。
「あ、あの人」
結羽の声に視線を上げると、ダンススクールとは反対側の遠くに手を振る人影が見えた。
夏雅だ。
大学からの帰宅途中だったらしい。
「夏雅さん!」
手を振り返すと、夏雅が駆け足で二人の元へとやって来た。
「家電 にも出なかったから、帰ってねーらしい……嫌な予感しかしねーな」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱して、苦い表情を浮かべながらスマートフォンを操作している。
「仕方ねーな。場所特定すっか……」
焦燥感を顕にしながら、夏雅の指先がスマートフォンの画面を叩いた。
「場所の特定……GPSですか? あの、スマホはここに……」
恐る恐る問い掛ける恭介に、夏雅の視線がチラッと向いて、微かに口角が上がる。
「GPSってのは、肌身離さず付けておかなきゃ意味ねーんだぜ」
そう言って、自分の耳元を飾るピアスを指差した。
「……なるほど」
確かに、西岐はいつもピアスを着けている。
「スマホだと、電源切られりゃ終わりだからな……もしもし、暁 ? 弟が拐われた。……心当たりなんかねーよ。んで、場所は特定したから、今から言う住所に向かって欲しい……お前にしか頼めねーんだ。頼んだぜ。じゃあな」
夏雅は、知り合いと思 しき人物に電話を掛け、要件を伝えると直ぐに切った。
落ち着きを取り戻せず、深い溜め息が吐き出される。
「……なァ、恭介、結羽」
怒りの色に染まった低く唸るような声色に呼ばれ、二人は何も言わず視線を向けた。
「手間ァ掛けさせちまって悪かったな……ここからは俺ら兄弟の問題だ……もう、帰っていいぞ」
「…………」
「…………」
有無を言わせぬその言葉に、恭介と結羽は一度顔を見合せて頷き合い、黙って相手に従うことに決める。
ダンススクールを覗くことは諦め、拐われたクラスメイトを心配しつつ仕方なく帰路に着いた。
部活を終えた恭介は更衣室で着替えを済ませて扉を開き、外で待っていた結羽に声を掛ける。
「お待たせ。帰るか」
「うん、おつかれ」
部活が終わり、着替えた後も滲む汗をタオルで拭いながら、恭介は結羽と一緒に校舎を後にする。
視界にハンデのある相手を庇うように車道側を歩きながら、夕刻の空気に熱の籠った身体が涼むのを感じて、恭介は脈拍を落ち着けるように静かに息を吐いた。
「楽しそうだったね」
部活動後のスッキリとした表情を覗き見た結羽が、ツンとしながらも嫌味なく声を掛ける。
「ん? あぁ、まぁ、そりゃァな」
以前と変わらず部活に精を出せていることは否定しないながらも、以前と同じような活動が出来なくなってしまった相手にハッキリと頷けず曖昧な答えとなってしまった。
そんな恭介の内心を読んだかのように、結羽が溜め息をつく。
「俺もダンスしたいな……」
「…………」
ドクターストップにより、大好きなダンスをすることが出来ない。
そんな結羽の気持ちに安易な言葉を掛けることが出来ず、恭介は押し黙った。
結羽の視線がチラチラと表情を窺い、暫くの間を置いてから沈黙を破る。
「あ、教室覗いてみても良い?」
「え? ああ、構わねェよ」
恭介が頷くと、結羽は嬉しそうに口角を上げた。
自宅アパートに踵を向け、その足で一緒にダンススクールへと向かう。
「……あれ?」
小さな呟きと共に、結羽の足が止まった。
「どうした?」
「何か落ちてる」
恭介の問い掛けに、相手はどこか一点を見つめながらそう答えた。
「え?」
何を見て言ってるのかと、恭介は相手の右目と視線の先であろう方向を交互に見遣る。
しかし相手の視線が何を捉えているのか掴めず疑問符を口にした。
「……恭介、眼科行ったら?」
怪訝そうに眉を寄せる結羽の辛辣な言葉が刺さる。
「あのな、お前が何見て言ってんのかわかんねェんだよ。いつでも同じところを見てると思うな」
「はいはい、あそこ見て」
恭介の言い訳に面倒臭そうな相槌を返した後、左手の指が差したのはダンススクール脇の細道。
白い指の先に視線を這わせると、そこにはうっすらと茂った草の中に黒っぽい物体が見えた。
日が沈みかけて翳り、ハッキリと何かはわからない。
「そんなに気になるのか?」
「んー、なんとなく」
適当な返答をしながら、結羽の足先はダンススクールから脇道へと向いた。
そのまま、躊躇いもなく進んでいく。
「この道、よく西岐が通ってるんだよね。家でもあるのかな」
「そうなのか」
元々帰宅部の結羽は、自宅から自転車でダンススクールへ通っていた際に西岐の姿を見掛けていたのかも知れない。
恭介は、それ以上追及せず相手について行く。
「……あ、これ」
「西岐のカバンと同じだな」
右腕の動かない相手の代わりに恭介が手にしてみると、少なからず中身が入っているような重みを感じた。
落としてそれほど時間が経っていないと思わせるくらいには、綺麗な状態だ。
「同じカバンを持ってる人くらいいるんじゃない?」
結羽の問い掛けは
ともすれば、やむを得ないとばかりに恭介が溜め息をつく。
「……確認させて貰うか」
カバンのファスナーを開くと、財布やスマートフォンなど大切な物が入りっぱなしになっていた。
「おいおい……」
悪い奴に拾われなくて幸いだなと思いながら、自分も持っている生徒手帳を見つけて最終ページを覗き見る。
「……え」
恭介は言葉を失った。
生徒手帳を凝視したまま動かない様子に、結羽も相手と一緒に覗き見る。
「えっ、西岐?」
思わず声に出したことに気付いた結羽は、慌てて片手で自分の口を覆った。
「…………」
生徒手帳をカバンに仕舞ってファスナーを綴じると、恭介は立ち上がって辺りを見渡す。
持ち主の姿は見当たらない。
落し物ドッキリにしては、余りにも警戒心がなさすぎる。
──何かあったのか?
恭介には、それ以外の予想がつかない。
ただ突っ立っているわけにも行かず、
どうしようもなければ警察に届けようと考えていた。
「恭介、誰に電話?」
「夏雅さんだよ」
結羽の問い掛けに答えると同時に、電話の向こうで相手が応える。
『恭介、どうした?』
相変わらずガラの悪い口調だが、怖い気はしなかった。
しかし、続く恭介の言葉に一転する。
「あの、西岐のカバンが、田んぼ脇に落ちてました」
『……智哉は?』
声のトーンが低くなったのがわかった。
その後は、状況を説明するための質疑応答が数回続く。
「居ません」
『スマホは?』
「カバンに入ってます」
『……わかった。智哉から何か聞いてねーか?』
「いえ、何も……」
素直に受け答えしていると、舌打ちが聞こえた。
抑え切れない怒りが伝わってくる。
『……了解。もうすぐ家につくから……あ、見えた』
言い終えるが早いか、ブチッと通話が切れた。
カバンへ視線を落としたまま、不通となったスマートフォンをポケットへ仕舞う。
「あ、あの人」
結羽の声に視線を上げると、ダンススクールとは反対側の遠くに手を振る人影が見えた。
夏雅だ。
大学からの帰宅途中だったらしい。
「夏雅さん!」
手を振り返すと、夏雅が駆け足で二人の元へとやって来た。
「
ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱して、苦い表情を浮かべながらスマートフォンを操作している。
「仕方ねーな。場所特定すっか……」
焦燥感を顕にしながら、夏雅の指先がスマートフォンの画面を叩いた。
「場所の特定……GPSですか? あの、スマホはここに……」
恐る恐る問い掛ける恭介に、夏雅の視線がチラッと向いて、微かに口角が上がる。
「GPSってのは、肌身離さず付けておかなきゃ意味ねーんだぜ」
そう言って、自分の耳元を飾るピアスを指差した。
「……なるほど」
確かに、西岐はいつもピアスを着けている。
「スマホだと、電源切られりゃ終わりだからな……もしもし、
夏雅は、知り合いと
落ち着きを取り戻せず、深い溜め息が吐き出される。
「……なァ、恭介、結羽」
怒りの色に染まった低く唸るような声色に呼ばれ、二人は何も言わず視線を向けた。
「手間ァ掛けさせちまって悪かったな……ここからは俺ら兄弟の問題だ……もう、帰っていいぞ」
「…………」
「…………」
有無を言わせぬその言葉に、恭介と結羽は一度顔を見合せて頷き合い、黙って相手に従うことに決める。
ダンススクールを覗くことは諦め、拐われたクラスメイトを心配しつつ仕方なく帰路に着いた。