第八話 悪魔な装い
文字数 2,499文字
朝九時前。
恭介がダンススクールへ訪れていたその頃、結羽は漸く目を覚ましていた。
あれからすぐに寝付き、夜中に看護師が様子を確認に来たことも気が付かなかったほどに眠り込んでいた。
日が昇り、看護師のノックには未だ眠りの底から浮上出来なかったが、カーテンを開けて貰ったことで陽射しが病室を一気に明るくし、喑から明への変化によって意識が浮上した。
全身にかけられた麻酔は既に抜け切っている。
恐る恐る瞼を持ち上げると、右目がゆっくり開いた。
久しぶりに見た景色は、最後に見た暗がりを照らす赤と反して明るく白い天井。
「…………」
暫く天井を見つめていたが、どこか視界がおかしい。
「あ……」
左目が機能していないことに気が付くと、微かに声が洩れた。
しかし、すぐに眼球が摘出されていたことを思い出して静かに溜め息をつく。
「園原さん、おはようございます」
穏やかな声掛けと共に視界へと入るように右側に立った看護師の姿を右目で一瞥し、結羽はまた天井に視線を戻した。
「……どうも」
無愛想な小声で反応すると、看護師が今度は左側へ移動した。
「点滴替えますね。もうすぐ先生来ますからね」
「…………」
左腕に繋がれた点滴を見ようとするが、視界が狭く上手くいかない。
すぐに右目周りに疲労が顕れて瞼を伏せた。
やがて点滴の交換が済んだのか、看護師の気配が移動する。そんな折、扉がノックされて誰か入ってきた。
「園原さん、おはようございます」
看護師と同じ挨拶を聞けば、それが担当医だと気付き、近付いてくる気配に小さく口を開く。
「……どうも」
相手に聞こえるか分からない声量で呟き、結羽は右瞼を開いた。そのままベッド脇に座る医師に視線を向ける。
「調子はどうですか? 目の周りが痛かったり、頭痛がしたり、吐き気などはありませんか?」
「……ない」
「食欲はありますか?」
「……ある」
「はい、わかりました。それでは、ちょっと手術の痕を見せて下さいね、抗菌目薬を点 して包帯も替えてしまいましょう」
簡単な質疑応答の後、ベッドのリクライニングが優しく結羽の上体を起こし、包帯が外されていく。
右腕を動かさなければ、これといった痛みもない。
結羽自身にもわからない手術痕を、担当医が丹念に確認し、目薬を取り出して左目に点してくれた。
有窓義眼は、『有窓』とあるように、丁度瞳の部分に穴が空いていて目薬を点しやすい形状になっている。
点眼が済むと、綺麗な包帯を丁寧に巻いてくれた。
そしてリクライニングを戻そうとしてくれる。
「……座ったままがいい」
呟くような口調で言葉を紡ぐと、すぐにベッドの動きが止まった。そして直ぐに、少し下げられた上体が先ほど同様の高さまで上がる。
「これでいいですか?」
「ん、いい」
相変わらずツンとした態度にも、看護師は寛大な反応でふふっと優しく微笑み、主治医と共に病室を後にしていく。
その様子を視線で見送りながら、もうすぐ朝食が運ばれてくるだろうと考えて、肩の力を抜きつつベッドに身を委ねた。
座ると辺りの状況を確認しやすくなり、骨折している右腕がギプスで動かないことについても、左腕が点滴に繋がっていることについても理解が出来る。
少しの間、静かな一人の時間が続くだろう。
個室は気楽でいいや、と大人しく食事を待っているところ、誰かが扉をノックして結羽の返事を待たずに病室へと入ってきた。
しかし、看護師にしてはラフ過ぎる格好に結羽は眉を顰める。
「失礼しまーす」
軽快な挨拶を室内に響かせ、入ってきたのは西岐だった。
「……誰?」
警戒心に満ちた問い掛けを西岐に突き刺して睨み付ける。
「えー? 随分な挨拶じゃない?」
明るい笑顔を携えて朝っぱらからテンションが高い相手に、結羽の表情が怪訝に満ちていく。
「うるさい。で、誰?」
「……ホントにわからない感じ?」
改めて問われると、西岐はそれまでのテンションを一旦仕舞い、おずおずとした表情で問い返した。
「…………」
暫く無言で西岐を見つめていた結羽だったが、小さく首を傾げて態度で知らないと答えた。
「マジか、ショックでか。西岐だよ、同じクラスの」
存在を忘れ去られたことに傷心したと言うようにわざとらしく眉尻を下げながら、病室の端に立て掛けられたパイプ椅子をベッドの近くに置いて腰掛ける。
「…………」
何しに来たの? と言いたげに不機嫌な右目の視線がじっと西岐の瞳を貫いたが、そんな眼差しを気にすることもなく、相手の顔が意地悪にニッと笑った。
「一乃瀬じゃないから残念?」
「……は?」
揶揄い半分に問い掛けられていると感じた結羽は、不機嫌全開で疑問符を投げ返した。
「ま、心配しなくても、あと三十分くらいで来るってさ」
片目が隠れていて表情がわかりづらいのか、はたまた反応を気にしていないのか、相変わらず西岐が怯む様子はない。むしろ全てを躱しているようにも見える。
そんな気持ちの余裕を噛ましてくる相手に、結羽は苛立ちを抑えようと深く息を吐いた。
「何言ってんの? 別に心配なんかしてないけど」
「ほら、利き腕骨折してると一人で食事するの不便なんじゃない? だから、俺が手伝ってやろうかなーって」
持ち出された提案に結羽は、ふん、と鼻で笑う。
「左手で食べられる食事にしてくれるから要らない。それだけ? ばいばい」
「えー、そんな突き放す? 哀しいじゃん」
口先を尖らせて未だに居座ろうとする西岐に、結羽はニッコリと優しい笑顔を見せた。
「うん、ばいばい。もう来なくていいよ」
「うぅ……」
あまりに淡白な声色で突き放されたところで、やっと心に響いた様子の相手を見遣り、結羽は満足気に瞼を伏せる。
「兄貴に色々聞くからいいもん! じゃあな!」
そう言い残し、西岐は何をするでもなく病室を後にした。
「……はぁ、疲れる」
他人の前では強気で居るのが当たり前。
誰にも弱味なんか見せたくない。
そんな結羽も、流石に強気で居るのが辛くなってきた。
──西岐を追い出して正解だったかも。
視神経の疲れもあるが、これでも酷く精神的に参っている。
朝食が来るまで休もうと、結羽は再度瞼を閉じた。
恭介がダンススクールへ訪れていたその頃、結羽は漸く目を覚ましていた。
あれからすぐに寝付き、夜中に看護師が様子を確認に来たことも気が付かなかったほどに眠り込んでいた。
日が昇り、看護師のノックには未だ眠りの底から浮上出来なかったが、カーテンを開けて貰ったことで陽射しが病室を一気に明るくし、喑から明への変化によって意識が浮上した。
全身にかけられた麻酔は既に抜け切っている。
恐る恐る瞼を持ち上げると、右目がゆっくり開いた。
久しぶりに見た景色は、最後に見た暗がりを照らす赤と反して明るく白い天井。
「…………」
暫く天井を見つめていたが、どこか視界がおかしい。
「あ……」
左目が機能していないことに気が付くと、微かに声が洩れた。
しかし、すぐに眼球が摘出されていたことを思い出して静かに溜め息をつく。
「園原さん、おはようございます」
穏やかな声掛けと共に視界へと入るように右側に立った看護師の姿を右目で一瞥し、結羽はまた天井に視線を戻した。
「……どうも」
無愛想な小声で反応すると、看護師が今度は左側へ移動した。
「点滴替えますね。もうすぐ先生来ますからね」
「…………」
左腕に繋がれた点滴を見ようとするが、視界が狭く上手くいかない。
すぐに右目周りに疲労が顕れて瞼を伏せた。
やがて点滴の交換が済んだのか、看護師の気配が移動する。そんな折、扉がノックされて誰か入ってきた。
「園原さん、おはようございます」
看護師と同じ挨拶を聞けば、それが担当医だと気付き、近付いてくる気配に小さく口を開く。
「……どうも」
相手に聞こえるか分からない声量で呟き、結羽は右瞼を開いた。そのままベッド脇に座る医師に視線を向ける。
「調子はどうですか? 目の周りが痛かったり、頭痛がしたり、吐き気などはありませんか?」
「……ない」
「食欲はありますか?」
「……ある」
「はい、わかりました。それでは、ちょっと手術の痕を見せて下さいね、抗菌目薬を
簡単な質疑応答の後、ベッドのリクライニングが優しく結羽の上体を起こし、包帯が外されていく。
右腕を動かさなければ、これといった痛みもない。
結羽自身にもわからない手術痕を、担当医が丹念に確認し、目薬を取り出して左目に点してくれた。
有窓義眼は、『有窓』とあるように、丁度瞳の部分に穴が空いていて目薬を点しやすい形状になっている。
点眼が済むと、綺麗な包帯を丁寧に巻いてくれた。
そしてリクライニングを戻そうとしてくれる。
「……座ったままがいい」
呟くような口調で言葉を紡ぐと、すぐにベッドの動きが止まった。そして直ぐに、少し下げられた上体が先ほど同様の高さまで上がる。
「これでいいですか?」
「ん、いい」
相変わらずツンとした態度にも、看護師は寛大な反応でふふっと優しく微笑み、主治医と共に病室を後にしていく。
その様子を視線で見送りながら、もうすぐ朝食が運ばれてくるだろうと考えて、肩の力を抜きつつベッドに身を委ねた。
座ると辺りの状況を確認しやすくなり、骨折している右腕がギプスで動かないことについても、左腕が点滴に繋がっていることについても理解が出来る。
少しの間、静かな一人の時間が続くだろう。
個室は気楽でいいや、と大人しく食事を待っているところ、誰かが扉をノックして結羽の返事を待たずに病室へと入ってきた。
しかし、看護師にしてはラフ過ぎる格好に結羽は眉を顰める。
「失礼しまーす」
軽快な挨拶を室内に響かせ、入ってきたのは西岐だった。
「……誰?」
警戒心に満ちた問い掛けを西岐に突き刺して睨み付ける。
「えー? 随分な挨拶じゃない?」
明るい笑顔を携えて朝っぱらからテンションが高い相手に、結羽の表情が怪訝に満ちていく。
「うるさい。で、誰?」
「……ホントにわからない感じ?」
改めて問われると、西岐はそれまでのテンションを一旦仕舞い、おずおずとした表情で問い返した。
「…………」
暫く無言で西岐を見つめていた結羽だったが、小さく首を傾げて態度で知らないと答えた。
「マジか、ショックでか。西岐だよ、同じクラスの」
存在を忘れ去られたことに傷心したと言うようにわざとらしく眉尻を下げながら、病室の端に立て掛けられたパイプ椅子をベッドの近くに置いて腰掛ける。
「…………」
何しに来たの? と言いたげに不機嫌な右目の視線がじっと西岐の瞳を貫いたが、そんな眼差しを気にすることもなく、相手の顔が意地悪にニッと笑った。
「一乃瀬じゃないから残念?」
「……は?」
揶揄い半分に問い掛けられていると感じた結羽は、不機嫌全開で疑問符を投げ返した。
「ま、心配しなくても、あと三十分くらいで来るってさ」
片目が隠れていて表情がわかりづらいのか、はたまた反応を気にしていないのか、相変わらず西岐が怯む様子はない。むしろ全てを躱しているようにも見える。
そんな気持ちの余裕を噛ましてくる相手に、結羽は苛立ちを抑えようと深く息を吐いた。
「何言ってんの? 別に心配なんかしてないけど」
「ほら、利き腕骨折してると一人で食事するの不便なんじゃない? だから、俺が手伝ってやろうかなーって」
持ち出された提案に結羽は、ふん、と鼻で笑う。
「左手で食べられる食事にしてくれるから要らない。それだけ? ばいばい」
「えー、そんな突き放す? 哀しいじゃん」
口先を尖らせて未だに居座ろうとする西岐に、結羽はニッコリと優しい笑顔を見せた。
「うん、ばいばい。もう来なくていいよ」
「うぅ……」
あまりに淡白な声色で突き放されたところで、やっと心に響いた様子の相手を見遣り、結羽は満足気に瞼を伏せる。
「兄貴に色々聞くからいいもん! じゃあな!」
そう言い残し、西岐は何をするでもなく病室を後にした。
「……はぁ、疲れる」
他人の前では強気で居るのが当たり前。
誰にも弱味なんか見せたくない。
そんな結羽も、流石に強気で居るのが辛くなってきた。
──西岐を追い出して正解だったかも。
視神経の疲れもあるが、これでも酷く精神的に参っている。
朝食が来るまで休もうと、結羽は再度瞼を閉じた。