第二十四話 望まぬ再会
文字数 2,456文字
信田組の拠点。
その一室に、多くの男たちが集まっていた。
分厚いガラステーブルを中心に革張りのソファーが向かい合い、壁際には高価そうな机と椅子。
その椅子に座るのは、誰もが恐れる御歳六十の組長・信田忠 。
そして、智哉は机の前に意識を失ったまま拘束され、横たわっていた。
周りには数人の信田組組員が取り囲むように立っている。
「……おい、起きろ」
「ん……ぅ……」
磨かれた革靴の先で頭を小突かれ、智哉はうっすらと意識を取り戻した。
未だに目の前が揺れている感覚の中、冷たいフローリングの床に寝かされていることだけはわかった。
「う、ぅぐ……」
声を出そうとしたが、猿轡代わりに長いタオルが口元に充てがわれ、後頭部でキツく結ばれていてくぐもった声しか出せない。
後ろ手に両手首が拘束されて動けず、両足首も纏めて縛られている。
首から注射された謎の成分のせいなのか、身体を動かそうとしても脳からの指示が鈍っているように動けない。
唯一動かせる視線で辺りを少し見渡すと、質素な床に見知らぬガラの悪い男たちの黒い靴。まるで、時々ニュースでも見掛ける暴力団のような佇まい。
「……おい」
突然、うっすらとレンズの奥が見えるサングラスに黒髪オールバックの厳 つい男が智哉の眼前にしゃがみ込み、徐 に髪を掴んで無理矢理顔を上げさせた。
「んぐぅッ!! う、ぅっ……」
髪を引っ張られる痛みにタオルを噛み締めながら悲鳴を上げ、髪を掴む男に弱々しい視線を向ける。
詳しい状況は読めないが、かなり悪い状況だということはわかる。
イヤらしく歪んだ口元が、智哉の耳元へ寄せられた。
「可哀想になァ……お前、親父さんに売られたんだぜ」
「!? ……っ」
男が発した『親父』という言葉に過去の記憶と共に恐怖心が蘇り、ふーふーと唇の隙間から乱れる呼吸を繰り返し始める。
「組長の女に手を出した慰謝料の代わりにな」
「ぅ……」
何を言っているのかわからない。
しかし、何かに利用されていることを悟って身を震わせた。
──殺される……。
状況的に、その考えしか浮かばない。
智哉の反応を見て、髪を掴む男がニヤニヤと愉しそうに笑っている。
「……おい、蔵田 、あんまり脅すなや」
組長の信田が低く嗄 れた声で制した。
威厳と貫禄が響き、蔵田と呼ばれた男は智哉の髪から手を離して立ち上がる。
「すいやせん」
「大事な売り物が、使い物にならなくなったら困るでなァ」
──……売り物……?
信田は、そのまま全員に向けて言葉を浴びせる。
「若い男の身体ともなりゃァ、性欲処理したがる旦那らに一回三万でいくらでも売れるんだわ……女じゃァ孕んじまうからなァ、男に人気が集まってるっちゅうわけだ。お前さん、エエ顔しとるしなァ。弱って貰っちゃァ困る……大事に扱ってやらんと……」
ゆっくりと言い聞かせるような口調。
しかし、逆らうことが出来ないオーラを放っているのがわかる。
「へい、畏まりました」
ビシッとお辞儀をして、蔵田は引き下がった。
続けて信田の問い掛けがソファーに座る男へと向けられる。
「……お前さんは、何か言うことないんか?」
今にも泣きそうな智哉もそちらへ視線を向けると、その姿に目を見開いた。
「ぅ……ぐ……」
恐怖に堪えきれず涙が滲む。
そこに居たのは、十年前に智哉たちを捨てた父親だった男。
十年越しでも、その見た目にほとんど変わりはなかった。
父親だった男は智哉を見ようとせず、真っ直ぐに信田へと向いている。
「いえ、ありません」
ハッキリとした迷いのない言葉。
不思議と智哉はショックを受け無かった。
「我が子を売りに出すっちゅうことの意味、理解してんのか?」
「子どもだと思っていませんので」
──……知ってる……。
四歳の頃から気付いていたのかも知れない。
母親が居なくなった途端に、知らない女を連れ込んで自分と兄のことには目もくれなかった男。
父親だなんて、思っていない。
ただ、人を殴って捨てる、恐怖の対象としか思っていない。
「そうかい……最低な親父さんを持って、お前さんも不憫なもんだなァ」
信田に同情の言葉を投げ掛けられるも、智哉はタオルを噛み締めることもせず力なく瞼を伏せた。
「まァ、ワシらにしちゃァ当然の対価っちゅうわけよ。この男のせいでな、お前さんは今までの生活にゃ戻れねェ。これからは、大人に可愛がって貰うために生きる、ワシらの道具になるんだからなァ」
「…………」
何を言っているのかわからない。
ただ、涙が溢れてくる。
「まァ、乱暴なことはしないから安心しときぃ。大事な売り物に傷付けちゃァいけねェからなァ、優しく飼い慣らしてやらんと。それに、親父がワシの女に手ェ出した分の慰謝料、三千万円分稼いだら解放してやるんだ。安心して働いてくれりゃァ良い」
「…………」
殆ど聞き流している状態でも、極限下にあっても、自分の置かれている状況について大体の予想はついてしまう。
自分は、強制的に売春をさせられるということ。
しかも、ただ身体を売られるだけではない。
このよく分からない怖い組織に飼われ、父親の借金を返すための道具として扱われる。
「……ぅ……っ」
小さく、くぐもった嗚咽が洩れる。
形だけの父親に売られたことが悔しいわけではない。
──……兄ちゃん……。
守ってくれると言っていた兄は、ここには居ない。
もう会えなくなるかも知れない。
そのことだけが辛くて仕方なく、とめどない涙を溢れさせる。
「可哀想になァ……おい、お前ら、部屋に連れて行って寝かせてやれ。大事な売り物だからなァ」
「へい!」
信田が命じると、蔵田とは別にガタイの良い男が、智哉を抱き上げた。
「…………」
嫌悪感すら失い、力なく項垂れ、涙を幾重にも流しながらされるがままに運ばれていく。
抵抗をする気力もなく、抵抗をしようとも思わなかった。
兄が居ない世界に生きていても意味が無い。
飼育されるための小部屋に運ばれた頃、既に智哉の心には細かなヒビがいくつも入り、今にも壊れそうになっていた。
その一室に、多くの男たちが集まっていた。
分厚いガラステーブルを中心に革張りのソファーが向かい合い、壁際には高価そうな机と椅子。
その椅子に座るのは、誰もが恐れる御歳六十の組長・信田
そして、智哉は机の前に意識を失ったまま拘束され、横たわっていた。
周りには数人の信田組組員が取り囲むように立っている。
「……おい、起きろ」
「ん……ぅ……」
磨かれた革靴の先で頭を小突かれ、智哉はうっすらと意識を取り戻した。
未だに目の前が揺れている感覚の中、冷たいフローリングの床に寝かされていることだけはわかった。
「う、ぅぐ……」
声を出そうとしたが、猿轡代わりに長いタオルが口元に充てがわれ、後頭部でキツく結ばれていてくぐもった声しか出せない。
後ろ手に両手首が拘束されて動けず、両足首も纏めて縛られている。
首から注射された謎の成分のせいなのか、身体を動かそうとしても脳からの指示が鈍っているように動けない。
唯一動かせる視線で辺りを少し見渡すと、質素な床に見知らぬガラの悪い男たちの黒い靴。まるで、時々ニュースでも見掛ける暴力団のような佇まい。
「……おい」
突然、うっすらとレンズの奥が見えるサングラスに黒髪オールバックの
「んぐぅッ!! う、ぅっ……」
髪を引っ張られる痛みにタオルを噛み締めながら悲鳴を上げ、髪を掴む男に弱々しい視線を向ける。
詳しい状況は読めないが、かなり悪い状況だということはわかる。
イヤらしく歪んだ口元が、智哉の耳元へ寄せられた。
「可哀想になァ……お前、親父さんに売られたんだぜ」
「!? ……っ」
男が発した『親父』という言葉に過去の記憶と共に恐怖心が蘇り、ふーふーと唇の隙間から乱れる呼吸を繰り返し始める。
「組長の女に手を出した慰謝料の代わりにな」
「ぅ……」
何を言っているのかわからない。
しかし、何かに利用されていることを悟って身を震わせた。
──殺される……。
状況的に、その考えしか浮かばない。
智哉の反応を見て、髪を掴む男がニヤニヤと愉しそうに笑っている。
「……おい、
組長の信田が低く
威厳と貫禄が響き、蔵田と呼ばれた男は智哉の髪から手を離して立ち上がる。
「すいやせん」
「大事な売り物が、使い物にならなくなったら困るでなァ」
──……売り物……?
信田は、そのまま全員に向けて言葉を浴びせる。
「若い男の身体ともなりゃァ、性欲処理したがる旦那らに一回三万でいくらでも売れるんだわ……女じゃァ孕んじまうからなァ、男に人気が集まってるっちゅうわけだ。お前さん、エエ顔しとるしなァ。弱って貰っちゃァ困る……大事に扱ってやらんと……」
ゆっくりと言い聞かせるような口調。
しかし、逆らうことが出来ないオーラを放っているのがわかる。
「へい、畏まりました」
ビシッとお辞儀をして、蔵田は引き下がった。
続けて信田の問い掛けがソファーに座る男へと向けられる。
「……お前さんは、何か言うことないんか?」
今にも泣きそうな智哉もそちらへ視線を向けると、その姿に目を見開いた。
「ぅ……ぐ……」
恐怖に堪えきれず涙が滲む。
そこに居たのは、十年前に智哉たちを捨てた父親だった男。
十年越しでも、その見た目にほとんど変わりはなかった。
父親だった男は智哉を見ようとせず、真っ直ぐに信田へと向いている。
「いえ、ありません」
ハッキリとした迷いのない言葉。
不思議と智哉はショックを受け無かった。
「我が子を売りに出すっちゅうことの意味、理解してんのか?」
「子どもだと思っていませんので」
──……知ってる……。
四歳の頃から気付いていたのかも知れない。
母親が居なくなった途端に、知らない女を連れ込んで自分と兄のことには目もくれなかった男。
父親だなんて、思っていない。
ただ、人を殴って捨てる、恐怖の対象としか思っていない。
「そうかい……最低な親父さんを持って、お前さんも不憫なもんだなァ」
信田に同情の言葉を投げ掛けられるも、智哉はタオルを噛み締めることもせず力なく瞼を伏せた。
「まァ、ワシらにしちゃァ当然の対価っちゅうわけよ。この男のせいでな、お前さんは今までの生活にゃ戻れねェ。これからは、大人に可愛がって貰うために生きる、ワシらの道具になるんだからなァ」
「…………」
何を言っているのかわからない。
ただ、涙が溢れてくる。
「まァ、乱暴なことはしないから安心しときぃ。大事な売り物に傷付けちゃァいけねェからなァ、優しく飼い慣らしてやらんと。それに、親父がワシの女に手ェ出した分の慰謝料、三千万円分稼いだら解放してやるんだ。安心して働いてくれりゃァ良い」
「…………」
殆ど聞き流している状態でも、極限下にあっても、自分の置かれている状況について大体の予想はついてしまう。
自分は、強制的に売春をさせられるということ。
しかも、ただ身体を売られるだけではない。
このよく分からない怖い組織に飼われ、父親の借金を返すための道具として扱われる。
「……ぅ……っ」
小さく、くぐもった嗚咽が洩れる。
形だけの父親に売られたことが悔しいわけではない。
──……兄ちゃん……。
守ってくれると言っていた兄は、ここには居ない。
もう会えなくなるかも知れない。
そのことだけが辛くて仕方なく、とめどない涙を溢れさせる。
「可哀想になァ……おい、お前ら、部屋に連れて行って寝かせてやれ。大事な売り物だからなァ」
「へい!」
信田が命じると、蔵田とは別にガタイの良い男が、智哉を抱き上げた。
「…………」
嫌悪感すら失い、力なく項垂れ、涙を幾重にも流しながらされるがままに運ばれていく。
抵抗をする気力もなく、抵抗をしようとも思わなかった。
兄が居ない世界に生きていても意味が無い。
飼育されるための小部屋に運ばれた頃、既に智哉の心には細かなヒビがいくつも入り、今にも壊れそうになっていた。