第五十七話 釘付け
文字数 3,425文字
紗姫から夏雅に連絡が入ったのは、正午を過ぎた頃だった──。
「恭介、レッスン終わったらしいぞ。乗せてやるから降りて来い」
「はい、わかりました!」
あれから、朝食にと夏雅が作ってくれたチャーハンを食べ、二階の座敷にてテーブルに向かい合いながら智哉と百人一首で遊んであげていた恭介は、一階から響いてきた夏雅の声に反応して声を上げた。
恭介の返答に、百人一首の絵札を読んでいた智哉は顔を上げてニッと楽しげに歯を見せる。
「一乃瀬、また来てくれるか?」
「あぁ、次は結羽も連れてくる」
穏やかな表情で頷くと、とても嬉しそうに笑った。
「へへっ、楽しみだ」
テーブルに散らばった百人一首を恭介が片付けようとすると、智哉の腕がそれを制止する。
「園原、待ってるんだろ? 俺が片付けとくから、行ってやれって」
自分のことで精一杯だろうに、優しく気遣ってくれる相手に恭介は申し訳なく見つめた。
「……良いのか?」
智哉にしてみれば喜んでくれると思い紡いだ言葉にまさかの申し訳なさそうな反応をされ、目を丸くして少し見つめた後、翳りのない笑顔を見せてくれる。
「気にすんな、友達だろ」
「西岐……」
相手の口から穢れのない『友達』という言葉を告げて貰えたことが心にじんわりと沁みて、自然と口角が上がった。
「そうだな、ありがとよ」
心からの礼を述べて立ち上がり、またな、というように肩をポンッと叩く。
「ん、またな!」
明るい返事に頷き、恭介は襖を開いて部屋を後にした。
────────
夏雅のバイクにて、再びダンススクールの近くへと降り立った。
「じゃあな」
それだけ告げて、夏雅は智哉の元へと帰って行く。
「ありがとうございました」
既に聞こえないであろう相手の後ろ姿に礼を口にして、ダンススクールへと視線を向けた。
「…………」
結羽がどのような状態なのか、詳しい内容は聞いていない。
ただ、『レッスンが終わった』ということだけ。
一度深呼吸をして、スクールに歩を進める。
まだ誰も出てくる気配のない外扉に手を掛けて、ゆっくりと開いた。
靴を脱ぎ、内側の扉へと手を伸ばす。
「…………」
指先まで伝う緊張を抑えるように、ドアノブを強く握って少しだけ開いた。
隙間から覗く教室内。
そこには、鏡の前でターンの練習に励んでいる結羽の姿が……。
彼の手には、杖が握られている。
オシャレな黒色の杖を左手に握り、その感覚で体幹を補いながら、髪をふわりと揺らして綺麗に回った。
時折、杖を持ち替えたり、杖を回してステップを踏んだり華麗に足をスライドさせたりと柔軟な動きを繰り返しては、鏡を前に楽しそうな笑みを浮かべている。
音楽も歌も流れていない、しかしその無音が美しさを際立たせているのかも知れない。
恭介は、惹き込まれるようにいつの間にか見惚れてしまっている。
まるで、一つのミュージカルを見ているようだった。
先生や他の生徒たちは、邪魔にならないよう壁に背を凭れて座り、結羽の姿を眺めている。
やがて、綺麗なターンを決めて、ミュージカルは閉幕した。
その直後、巻き起こったのは拍手の波だった。
教室中の全員が結羽のダンスに向けて、拍手を送っている。
照れ臭そうにぎこちない笑みを浮かべる結羽だったが、生徒たちを見渡すうちに、扉の隙間から覗いている恭介に気付いて一瞬にして顔を真っ赤にした。
その反応に、それまで見惚れていた恭介も顔を赤らめる。
──……流石にバレたか。
覗き見ていたことを詫びるように苦笑いを浮かべると、結羽は目を丸くして、何か言いたげに口を開けて、逃げるように更衣室へと去って行ってしまった。
──……後で怒られそうだな。
その覚悟はしておこうと考えながら、しっかりと扉を開いて教室へと踏み込む。
「一乃瀬くん、迎えに来てくれてありがとね」
結羽が足早に更衣室へ向かうまでの様子を眺めていた先生が、恭介に気付いて近寄って来た。
「いえ、こちらこそ、連絡ありがとうございました」
「夏雅くんの知り合いだったのね」
驚き半分の言葉を掛けられるも、少し違うと恭介は頷かずに頭を下げる。
「そうなんですけど、むしろ夏雅さんの弟とクラスメイトでして」
「なるほど」
そう言えば同学年だったと思い出したのか、先生は納得して手を叩いた
「……えっと、結羽は……」
朝に『帰って』と追い出された時と全く違う様子になっていたことの衝撃が大きく、問わずには居られなかった。
先生は、口元に手を添えてコソッと内緒話で教えてくれる。
「見ていたと思うけど、ステッキを渡してあげたらとてつもなく変化したわ。音楽がなくても、即興でダンスを考えて皆の前で披露してくれたの」
言い終えると、ニコッと優しく微笑んで喜びを示してくれた。
「それじゃ、もう大丈夫ですか?」
気掛かりなのは、思うようなダンスが出来なかったという部分だ。そこが解消されているかどうかを遠慮がちに訊いてみると、先生は笑顔を浮かべたまま頷き、まだ結羽が更衣室から来ていないことを確認しつつ先を続ける。
「あのステッキもオシャレで気に入ってくれているみたいだし、色んな場面で使えるから……例えば、モデルの撮影とか」
「あっ……」
先生の言葉に、恭介は思い出したように声を洩らした。
結羽の夢は、『ダンスをすること』ではない。『歌って踊れるモデルになること』だ。
『ダンサー』ではなく『モデル』。
そのことを忘れかけていた。
──漸く、スタート地点に着けたってわけか。
これから、モデルになるためにオーディションを受けたり、彼が望むように歌唱力についてもどこかしらで付けて行かなければならないだろう。
「バカ……バカ、恭介のバカ!」
先のことを考えていると、結羽が着替えを済ませて更衣室から出てきたと思えば、怒りを顕にしながらズカズカと恭介へと歩み寄って来る。
予想した通りのご立腹状態。
覚悟しておいて正解だった。
しかし、その手にはしっかりとステッキが握られている。
「それ、持ち帰っていいのか?」
「ふん!」
膨れっ面の相手に問い掛けるが、顔を背けられてしまった。
「覗き魔! 見てるなら言ってよ!」
見られていたのが相当恥ずかしかったのだろう。
可愛い声も怒りを含めば刺々しく刺さるものだ。
これは機嫌回復までに時間を要しそうだと感じて、恭介は肩を落とす。
「そりゃねェだろ……邪魔しねェように見てたんだぞ」
「見ないでよ! バカ!」
羞恥が怒りに変わるとこんなにもヒートアップしてしまうのかと反省しながら、先生に頭を下げて教室を後にした。
「そんな怒るなって。悪かったよ」
「ふん!」
靴を履き替え、外扉を開いて先へ先へと行ってしまう。
恭介はゆっくりと追うように歩きながら、相手の後ろ姿へと声を掛ける。
「けど、楽しそうで良かった」
「っ……」
それまでの怒りを掻き消すような恭介の一言に、結羽が足を止め、言葉を詰まらせて振り返る。
赤らめた顔はそのままに、ゆっくりと怒りの形相を解いた。
その表情に恥じらいだけを残して、視線を横に逸らしながら何か言いたげに唇を尖らせる。
「…………」
「……どうした?」
言いたいことがあるなら遠慮しない相手が、何故か言いづらそうに数十秒の間、黙っていた。
恭介が急かさずに見つめていると、唇が僅かに開く。
「……ごめんね」
恐らく、『帰って』と吐露した怒りのことだろう。
「…………」
見つめていれば、恥じらっていた表情が次第に申し訳なさそうな様子で俯いていく。
恭介は、何も言わずに表情を綻ばせながら相手に歩み寄り、ふわっとを包み込むように優しく腕の中へと閉じ込めた。
一度は驚いて身体を硬直させる結羽だが、直ぐに肩の力を抜いて大人しく抱きしめられることを選んだ。
柔らかな髪の隙間から、白い耳元へと唇を寄せる。
「……あのな、我慢される方が辛いんだぞ。普段から我慢して顔に出さねェお前だから余計にさ。お前の感情が俺に向いたってことは、それだけ俺のことを信用してくれてるってことだから、嫌な気はしなかったぞ」
素直な言葉が相手の鼓膜を優しく震わせると、恥ずかしそうに強く抱き着いて恭介の首元に額を押し付けてきた。
嬉しさが込み上げてきているというのが、相手の抱き着く強さから容易に感じ取れる。
「綺麗だったぞ」
「……バカ」
耳元で囁いた褒め言葉に続く悪態は、微かな羞恥と共にどこか嬉しそうな音を纏って恭介の心へと穏やかに沁み入ったのだった。
「恭介、レッスン終わったらしいぞ。乗せてやるから降りて来い」
「はい、わかりました!」
あれから、朝食にと夏雅が作ってくれたチャーハンを食べ、二階の座敷にてテーブルに向かい合いながら智哉と百人一首で遊んであげていた恭介は、一階から響いてきた夏雅の声に反応して声を上げた。
恭介の返答に、百人一首の絵札を読んでいた智哉は顔を上げてニッと楽しげに歯を見せる。
「一乃瀬、また来てくれるか?」
「あぁ、次は結羽も連れてくる」
穏やかな表情で頷くと、とても嬉しそうに笑った。
「へへっ、楽しみだ」
テーブルに散らばった百人一首を恭介が片付けようとすると、智哉の腕がそれを制止する。
「園原、待ってるんだろ? 俺が片付けとくから、行ってやれって」
自分のことで精一杯だろうに、優しく気遣ってくれる相手に恭介は申し訳なく見つめた。
「……良いのか?」
智哉にしてみれば喜んでくれると思い紡いだ言葉にまさかの申し訳なさそうな反応をされ、目を丸くして少し見つめた後、翳りのない笑顔を見せてくれる。
「気にすんな、友達だろ」
「西岐……」
相手の口から穢れのない『友達』という言葉を告げて貰えたことが心にじんわりと沁みて、自然と口角が上がった。
「そうだな、ありがとよ」
心からの礼を述べて立ち上がり、またな、というように肩をポンッと叩く。
「ん、またな!」
明るい返事に頷き、恭介は襖を開いて部屋を後にした。
────────
夏雅のバイクにて、再びダンススクールの近くへと降り立った。
「じゃあな」
それだけ告げて、夏雅は智哉の元へと帰って行く。
「ありがとうございました」
既に聞こえないであろう相手の後ろ姿に礼を口にして、ダンススクールへと視線を向けた。
「…………」
結羽がどのような状態なのか、詳しい内容は聞いていない。
ただ、『レッスンが終わった』ということだけ。
一度深呼吸をして、スクールに歩を進める。
まだ誰も出てくる気配のない外扉に手を掛けて、ゆっくりと開いた。
靴を脱ぎ、内側の扉へと手を伸ばす。
「…………」
指先まで伝う緊張を抑えるように、ドアノブを強く握って少しだけ開いた。
隙間から覗く教室内。
そこには、鏡の前でターンの練習に励んでいる結羽の姿が……。
彼の手には、杖が握られている。
オシャレな黒色の杖を左手に握り、その感覚で体幹を補いながら、髪をふわりと揺らして綺麗に回った。
時折、杖を持ち替えたり、杖を回してステップを踏んだり華麗に足をスライドさせたりと柔軟な動きを繰り返しては、鏡を前に楽しそうな笑みを浮かべている。
音楽も歌も流れていない、しかしその無音が美しさを際立たせているのかも知れない。
恭介は、惹き込まれるようにいつの間にか見惚れてしまっている。
まるで、一つのミュージカルを見ているようだった。
先生や他の生徒たちは、邪魔にならないよう壁に背を凭れて座り、結羽の姿を眺めている。
やがて、綺麗なターンを決めて、ミュージカルは閉幕した。
その直後、巻き起こったのは拍手の波だった。
教室中の全員が結羽のダンスに向けて、拍手を送っている。
照れ臭そうにぎこちない笑みを浮かべる結羽だったが、生徒たちを見渡すうちに、扉の隙間から覗いている恭介に気付いて一瞬にして顔を真っ赤にした。
その反応に、それまで見惚れていた恭介も顔を赤らめる。
──……流石にバレたか。
覗き見ていたことを詫びるように苦笑いを浮かべると、結羽は目を丸くして、何か言いたげに口を開けて、逃げるように更衣室へと去って行ってしまった。
──……後で怒られそうだな。
その覚悟はしておこうと考えながら、しっかりと扉を開いて教室へと踏み込む。
「一乃瀬くん、迎えに来てくれてありがとね」
結羽が足早に更衣室へ向かうまでの様子を眺めていた先生が、恭介に気付いて近寄って来た。
「いえ、こちらこそ、連絡ありがとうございました」
「夏雅くんの知り合いだったのね」
驚き半分の言葉を掛けられるも、少し違うと恭介は頷かずに頭を下げる。
「そうなんですけど、むしろ夏雅さんの弟とクラスメイトでして」
「なるほど」
そう言えば同学年だったと思い出したのか、先生は納得して手を叩いた
「……えっと、結羽は……」
朝に『帰って』と追い出された時と全く違う様子になっていたことの衝撃が大きく、問わずには居られなかった。
先生は、口元に手を添えてコソッと内緒話で教えてくれる。
「見ていたと思うけど、ステッキを渡してあげたらとてつもなく変化したわ。音楽がなくても、即興でダンスを考えて皆の前で披露してくれたの」
言い終えると、ニコッと優しく微笑んで喜びを示してくれた。
「それじゃ、もう大丈夫ですか?」
気掛かりなのは、思うようなダンスが出来なかったという部分だ。そこが解消されているかどうかを遠慮がちに訊いてみると、先生は笑顔を浮かべたまま頷き、まだ結羽が更衣室から来ていないことを確認しつつ先を続ける。
「あのステッキもオシャレで気に入ってくれているみたいだし、色んな場面で使えるから……例えば、モデルの撮影とか」
「あっ……」
先生の言葉に、恭介は思い出したように声を洩らした。
結羽の夢は、『ダンスをすること』ではない。『歌って踊れるモデルになること』だ。
『ダンサー』ではなく『モデル』。
そのことを忘れかけていた。
──漸く、スタート地点に着けたってわけか。
これから、モデルになるためにオーディションを受けたり、彼が望むように歌唱力についてもどこかしらで付けて行かなければならないだろう。
「バカ……バカ、恭介のバカ!」
先のことを考えていると、結羽が着替えを済ませて更衣室から出てきたと思えば、怒りを顕にしながらズカズカと恭介へと歩み寄って来る。
予想した通りのご立腹状態。
覚悟しておいて正解だった。
しかし、その手にはしっかりとステッキが握られている。
「それ、持ち帰っていいのか?」
「ふん!」
膨れっ面の相手に問い掛けるが、顔を背けられてしまった。
「覗き魔! 見てるなら言ってよ!」
見られていたのが相当恥ずかしかったのだろう。
可愛い声も怒りを含めば刺々しく刺さるものだ。
これは機嫌回復までに時間を要しそうだと感じて、恭介は肩を落とす。
「そりゃねェだろ……邪魔しねェように見てたんだぞ」
「見ないでよ! バカ!」
羞恥が怒りに変わるとこんなにもヒートアップしてしまうのかと反省しながら、先生に頭を下げて教室を後にした。
「そんな怒るなって。悪かったよ」
「ふん!」
靴を履き替え、外扉を開いて先へ先へと行ってしまう。
恭介はゆっくりと追うように歩きながら、相手の後ろ姿へと声を掛ける。
「けど、楽しそうで良かった」
「っ……」
それまでの怒りを掻き消すような恭介の一言に、結羽が足を止め、言葉を詰まらせて振り返る。
赤らめた顔はそのままに、ゆっくりと怒りの形相を解いた。
その表情に恥じらいだけを残して、視線を横に逸らしながら何か言いたげに唇を尖らせる。
「…………」
「……どうした?」
言いたいことがあるなら遠慮しない相手が、何故か言いづらそうに数十秒の間、黙っていた。
恭介が急かさずに見つめていると、唇が僅かに開く。
「……ごめんね」
恐らく、『帰って』と吐露した怒りのことだろう。
「…………」
見つめていれば、恥じらっていた表情が次第に申し訳なさそうな様子で俯いていく。
恭介は、何も言わずに表情を綻ばせながら相手に歩み寄り、ふわっとを包み込むように優しく腕の中へと閉じ込めた。
一度は驚いて身体を硬直させる結羽だが、直ぐに肩の力を抜いて大人しく抱きしめられることを選んだ。
柔らかな髪の隙間から、白い耳元へと唇を寄せる。
「……あのな、我慢される方が辛いんだぞ。普段から我慢して顔に出さねェお前だから余計にさ。お前の感情が俺に向いたってことは、それだけ俺のことを信用してくれてるってことだから、嫌な気はしなかったぞ」
素直な言葉が相手の鼓膜を優しく震わせると、恥ずかしそうに強く抱き着いて恭介の首元に額を押し付けてきた。
嬉しさが込み上げてきているというのが、相手の抱き着く強さから容易に感じ取れる。
「綺麗だったぞ」
「……バカ」
耳元で囁いた褒め言葉に続く悪態は、微かな羞恥と共にどこか嬉しそうな音を纏って恭介の心へと穏やかに沁み入ったのだった。