第五十話 深情厚誼

文字数 3,817文字

 光輝の言葉通り観覧車は空いていた。
 二人は向かい合って座り、外の景色を眺めている。
 時間の流れを感じさせるように、視界がゆったりと上っていく。
「……良い眺めだな」
「うん」
 視線を外へ向けたまま静かに問い掛けると、素直に返事をしてくれた。
「……外して良い?」
「ダメ」
 良い流れでカチューシャを外そうと訊いてみたが、予想の範疇にもある二つ返事で却下された。
「良い雰囲気を台無しにしないで」
 叱咤までされてしまい、ここは一つ詫びるしかない。
「悪かったよ」
「あ」
 恭介の言葉を遮る勢いで声を洩らした相手が、窓に手をついた。
「ん? 何か見えるか?」
 相手につられて立ち上がり、肩が触れそうな距離で窓の外を見遣る。
 何を見ていたのか、目の前にはねこねこワンダーランドの敷地が見え、駐車場があり、その向こうは大通り、住宅街が空と交わるほど遠くまで見えるが、結羽が見つめる先はわからない。
 何が見えたのかと改めて問うように視線を向けた。
「アパートが見える」
「アパート?」
 自分たちが住んでいるアパートのことだろうか。だとするならば、高速バスで一時間の距離な上、こんな高いところから見るとしたらかなり小さく見えるはずだ。
「マジか? ここから?」
 結羽の視線を辿って探しても見当たらない。いや、見当たるはずがないのだ。
 暫く探していると、一緒に外を覗いていた相手が座った。
 恭介はまだ探している。
 あれがあそこにあって、あの通りが……と推理しながら探していた。
 その様子を暫く無表情で見つめ、やがて笑いを洩らす。
「……ふっ、嘘」
「は?」
 笑いに堪えきれず肩を震わせながら白状した結羽に、恭介が短く疑問符を洩らした。
「ここから見えるわけないじゃん」
「……わ、わかってる」
 少しでも相手の言葉を真に受けてしまったことに頬を赤く染めて視線を逸らし、相手の向かいに腰を下ろして足を組み、膝に肘をついて額を抑える。
「怒った?」
 まるで落胆している姿に、結羽が問い掛けた。そこには罪悪感の欠片もない。
 恭介は首を横に振って顔を上げて手を拱いた。
「いや、怒ってねェよ。結羽の嘘に騙された自分の情けなさに腹が立ってるだけだ」
「ホントだね、凄く情けない。コーヒーカップでダウンするし」
「…………」
 あれは確かに情けなかった。しかし、何も今蒸し返すことはないだろう。
 今回の羞恥に関しては、結羽の嘘が元凶なのだから。
「……その話はやめろ。蒸し返すんじゃねェ」
 思い出しては顔が青ざめる。
 本気で怠そうな恭介を暫く見つめ、やがて何も言わず立ち上がって隣に座った。
「何だ?」
 意図がわからず困惑の色を示すと、結羽が反対側の窓の向こうを見つめながら返答する。
「こうした方が恋人っぽい」
「…………」
 顔を背けたままの後頭部を見つめて、恭介の頬が微かに緩んだ。
 素直になれない相手とはいえ、自分からこうして来てくれるようになったのが嬉しい。
「結羽……」
 名を呼んでも振り返ってはくれないということは百も承知だ。
 そっと、恭介の両手が壁についた。
 左右から、結羽を閉じ込めるように。
「……!」
 驚いた様子で振り返った相手に躊躇わず、ゆっくりと顔を近付ける。
「……恭介、何?」
 逃げ場を失い、結羽が眉尻を垂れて上目遣いで見つめながら弱々しく問い掛けた。
 恭介は穏やかに口角を上げて、口元に人差し指を宛てがう。
 静かに、というように。
「良いから、そのまま……」
 そう囁きながら顔を近付けて、触れるだけの優しい口付けを交わした。
「……」
「……」
 結羽は抵抗の素振りも見せず、自らも顔を上げて応えてくれる。
 互いに唇の温もりを感じたところで、どちらともなくゆっくりと離れた。
「……平気だろ? 誰も見てねェ」
 至近距離で囁く男らしい恭介に、結羽は頬を上気させ、恥ずかしそうに視線を横に逸らしながら頷いた。
 その間も観覧車はゆっくりと廻り、恭介は結羽を抱き寄せて残りの二人きりで揺られる時間を堪能する。
 遊園地で楽しく遊ぶのも楽しいが、こうして二人きりでゆったりと過ごせるのもまた幸せだと感じながら。
 そんな幸福感に満たされた時間というのは、とても早く過ぎていってしまう。
「もう、着くよ」
「そうだな」
 地上が近付いてくると、二人は少しだけ間を空けて座り直した。
 代わりに、互いの手をしっかりと繋ぐ。
 放すことはないと言うように。
 やがて扉を繋いでいた鎖が係員によって外された。
 動きを止めることがない観覧車なので、地上に沿っている間に乗り場へと降りなければならない。
 先ず、恭介が乗り場へと降り立ち、優しく手を引いて結羽を降ろしてあげる。
「……楽しかった」
「そうだな」
 地上に降り立ち抑揚のない口調で紡がれた感想に、恭介も同意して頷いた。
「次、どうするの?」
「……どうすっかなァ」
 行き来する人たちを眺めながら、次はどうしようかと考えてみるものの思い付かずに居る。
「…………」
 辺りを見渡しながら思考を巡らせる恭介の裾が不意に引っ張られ、思考を切って相手に視線を向けた。
 片手は恭介と繋いだまま、もう片手で裾を掴んで結羽は俯いている。
「どうした?」
「……ホテルに、帰りたい」
 ここの雑踏に掻き消されてしまいそうな小さな主張も、恭介にはしっかりと届いた。
「構わねェが、どうした? 具合でも悪いのか?」
 そう問い掛けて、相手の顔を覗き込む。
「…………」
 俯いて視線を横に逸らした結羽は、頬を赤く染めていた。
「結羽……っ」
 改めて声を掛けると、俯いていた結羽がいきなり手を離して恭介の首に両腕を回して抱き着いた。
 首元に顔を埋めるように頬を押し付ける相手に、驚き過ぎた恭介は目を見開いて息を飲む。
「……えっ、と……結羽……?」
 何がどうしたのか理解が追い付かず、恭介は遠慮がちに疑問符を洩らしながら相手を優しく抱き締めて、落ち着かせようとぽんぽんと背を叩いた。
「……だって……」
 耳元に近い唇から洩れる温かな吐息と共に、理由が紡がれる。
「だって……二人きりに、なりたいから……」
 恥じらいを必死に堪えながら、絞り出した細い声。
 普段口にしない、素直な言葉。
 恭介の中に、相手に対する表現し難い愛しさが満ちていく。
「……あぁ、わかった。ホテルへ行こうか」
 相手にだけ聴こえる声量で答えると、優しく額に口付けを落としてそっと身体を離してあげた。
「うん……」
 顔を見ようと覗き込んでみても、頬を赤く染めた相手は恥じらいを隠すように不貞腐れた表情を浮かべ、視線を逸らされてしまう。

 ──やっぱり、可愛いな。

 好きで堪らないと言うように深く息を吐いて、相手と再度しっかり手を繋いで、出口へと向かった。 

 ─​───────

 その夜。
 恭介と結羽は、大浴場へ向かうことなく、二人で一緒に部屋の風呂に入った。
 一流ホテルということもあり、部屋の風呂もなかなかに広くオシャレだ。
 そして風呂上がり、普段着ることのないバスローブを羽織る結羽は、恭介の身体にもう一枚のバスローブを羽織らせてあげた。
「恭介、似合うね」
「そうか? まぁ、俺よりも結羽の方が……」
 風呂上がりのしっとりと薄い桃色に色付いた相手の白い肌。鎖骨から首筋、全てが色気を生み出していて、恭介は直視が出来なくなってしまう。
「恭介、どうしたの?」
 結羽の両腕が、またしても恭介の首を撫でるように回された。
「……ゆ、結羽?」
 相手の右目が艶やかに細められ、唇がふわっと重なる。
 微かに離れた唇から零れる互いの吐息が、甘く交わって消えていく。
「恭介……興奮してる?」
「っ……」
 囁く声色が、色気を含んで恭介の鼓膜を震わせ、ぞくりと肌を粟立たせた。
 恭介にはわかる。これは、誘われている、と。
 理性で堪えられることには限界がある。
 結羽を愛している恭介は、彼が紡ぐ言葉や仕草、声、全てにおいて少しずつ理性が剥がされていった。
「……だったら、どうする?」
 欲を覗かせて微かに乱れた吐息を洩らしながら問い掛けると、結羽は、ふっと色っぽく笑みを浮かべて、恭介の手を引く。
 そうして連れて来られたのは、やはりベッドの前だった。
 結羽が恭介を抱き寄せて、顕になっている逞しい胸元に、つっ、と指先を這わせる。
 ゾクゾクと細く甘い刺激を与えられ、恭介の鼓動は高まるばかりだ。
「ねぇ恭介、俺、ずっと我慢してたんだからね」
 そう紡ぐと、いきなり恭介をベッドへ押し倒し、ずりずりと肌を擦り合わせながら結羽が覆い被さって、見下ろしている。
「……ね? 気持ちイイこと、してよ」
 甘く誘う素直な言葉。
 恭介の中で、性欲の箍が外れる音が響いた。
「……寝かさねェぞ」
 鋭い視線で見上げて低い声色で告げた途端、相手の後頭部を掴むように引き寄せて、食らいつくように口付けた。
 まるで獣のように激しく、何度もしゃぶりついて、角度を変えて……。
 結羽は、嫌がることなく、むしろ幸せそうに目を細めてそれを受け入れる。
「っ、ん……恭介、愛してる……」
「ん……あぁ、俺も……」
 酸素を求めて呼吸を乱す相手の言葉に、恭介は応えながら、相手の白く綺麗な太腿を撫で上げた。
 そのままバスローブを肌蹴させて、綺麗な白い身体を堪能する。
 そこから二人が交合うまでに、時間は掛からなかった。

 初めて経験する、ホテルの一室で過ごす二人きりの時間。
 彼らは、互いの欲を絡み合わせながら、酷く濃厚な一夜を過ごすこととなった。
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

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