第六十五話 夏雅の頼み

文字数 2,293文字

「……なるほど」
 恭介が持ってきた封筒と、その中身一式を確認した夏雅が、テーブルの上に並べた紙面を一通り眺めつつ手を拱いた。
「で、お前は母親の指示に従う気はない、と」
「はい」
 紙面に向けられていた眼差しが恭介へと移り問い掛けると素直に頷き、夏雅はまた視線を落として搭乗券を手にし、あまり見慣れないそれを眺めながら先を続ける。
「それで良いんじゃねーか? 生い立ちを聞く限り今回従った後も自由はねーだろうからな」
 それなら不要かと、テーブルに広げた手紙等を封筒に仕舞い、机上を擦るようにして恭介へと差し出した。
 しかし、数回人差し指でテーブルをトントンと叩きながら何かを思い出す。
「あー、そうか、アパートも勝手に引き払われちまうのか。住居がなくなるわけだ……かといって、浮浪者になるわけにもいかねーからな……」
 鋭い視線が恭介を見据える。
 他でもない自分の親に非情なことをされているというのに、目の前の少年は怒りや哀しみを微塵も示さない。
 そのことが、夏雅の表情を曇らせた。
 恭介は、掛けられた言葉に応えるように口を開く。
「……贅沢は言いません。結羽と一緒に暮らせる家があればそれで良いです」
 そう告げる声色も顔付きも、まるで『諦め』を示しているような無表情だ。
 暫し恭介の心理を探るように見つめていたが、紡がれた言葉に返事をしつつ、説得を試みる。
「……住処が欲しいだけなら難しかねーぞ。俺の知り合いに安く貸してくれるヤツも居るから紹介してやれる。でもよ、折角なら、ちゃんと顔合わせて『二度と関わりたくない』っつーことを話した方がケジメにもなるんじゃねーか?」
「ケジメ……ですか?」
 後半の言葉を黙って聞いていた恭介が、おずおずと疑問を返した。
「仮に、今回無事に済んだとしても、今後また必ずどこかで親の都合に振り回されるぜ。逃げるのは勿論構わねーが、お前が関係を断ち切りてーってんなら正面から立ち向かわねーと、こういう親はまた同じこと繰り返すからな」
「……そう、ですよね」
 半分説教臭い口調だが真剣な眼差しの夏雅に、恭介は視線を落とす。
 どうしたらいいのかわからない、といった表情だ。
 それもそうだろう。地元しか知らない子どもが国外に出るのは簡単ではない。親が住んでいるところもよくわかっていない。
 そんな心境を読み取り、夏雅は自分の湯呑みを手に取り、唇を寄せて一口飲み下した。
「……かといって、簡単に渡米なんざ出来ねーし、親が送ってきたチケットも出来りゃ使いたかねーもんな」
「……はい」
 心の中を覗かれたような言葉に、恭介は頷いて恐る恐る視線を上げる。
「……恭介……」
 弱々しくも見える相手に、結羽が心配そうに名を呟いて、横からぎゅっと抱き着いた。
「だァな……まぁ、ちと気乗りはしねーが、アテがねーこともねーよ。一応、連絡取ってみるわ」
 待ってろよ、と言い残して、夏雅はスマートフォンを片手にリビングを後にした。
 二階に上がり、以前何度も恭介たちが入れて貰った座敷へと姿を消す。
 襖を閉める音が、静かに響いた。

 ─​───────

 ところ変わって、結羽が通うダンススクール。
 紗姫は、今日も十数人の子どもたちに向けてダンスのレッスンを行っていた。
「あの、せんせー」
「ん?」
 鏡の前で手本を見せていたところに女子生徒が遠慮がちに声を掛けると、くるっと振り返って優しく微笑んだ。
「あっ、はいはい! ごめんねみんな、ちょっと抜けるから、それぞれで踊ってて」
 先生の手本を真似ていた生徒たちは、揃って元気な返事を返した。
 呼んだ女子生徒の元へ急ぐと、ハンガーに掛かっている紗姫の上着を指さして内容を口にする。
「せんせーのスマホ、電話来てる」
 報告に従って上着のポケットからスマートフォンを取り出すと、バイブレーションの振動が。
 パッと明るい笑顔を向けて、相手の頭を優しく撫でる。
「あら、ほんとだ! 教えてくれてありがとう」
 礼を紡ぐと、女子生徒は嬉しそうに照れ笑って頷いた。
「どういたしまして! それでは、私はレッスンに戻ります」
「うん! あ、先生電話してから戻るって伝えておいて」
「はーい!」
 元気に返事をして戻っていく女子生徒を見送ってから、紗姫は急いで客間へと向かった。
 扉を閉めて、耳に宛てがう。
「……夏雅くん、どうしたの?」
 発信元に、普段通りの優しい声色で問い掛けた。
 そこで聞かされたのは、恭介の両親のこと、届いた封筒と中身のこと、アパートを引き払われること、といった内容全て。
 その後、途端に夏雅は口を閉ざしてしまった。
 暫く待っても言葉が続かないため、紗姫は椅子に座って穏やかに応える。
「……うん。そっか……んー……夏雅くんが私にそういった連絡してくるのは珍しいよね。何か、私に手伝えることでもあるの? ただ伝えるためだけに掛けてきたとは、ちょっと考えにくいかな」
 その予想は当たっていたらしく、数秒の間を置いてから夏雅が重い口を開いた。
「…………!!
 電話の向こうで告げられた内容に、目を見開いて何か言いたげに一度奥歯を噛み締める。
「……もー、夏雅くん……私が実家に連絡したくないの知ってるでしょ?」
 申し訳なさそうにそう答えると、更に事情が説明された。
「……うん、渡米は簡単に出来るけど……親に直接聞かなきゃダメ? 綴喜でも良いと思うから、綴喜を通しても良い? ……うん、わかった」
 紗姫は、両親のお金に対する執着心に嫌気が差し、自分の意思で実家を出て来た。
 恭介とは正反対の立場にある。
 今更両親に連絡をしたくもないが、弟は別だ。
 夏雅の了承を得て、静かに通話を切った。
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


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