2ー①

文字数 2,266文字


 井出和之を署に連れて帰る役目を芹沢に任せて、鍋島は現場からミナミに向かった。御堂筋(みどうすじ)へ出てタクシーを拾い、そのまま南に走って千日前(せんにちまえ)通りを東へ戎橋筋(えびすばしすじ)あたりまで入ったところで車を降りると、鍋島はアーケード街を通ってファッションビルの隣にあるパチンコ店に入った。
 有線の音楽と店内放送、そしてパチンコ台から出てくる玉やスロットの音が渾然一体となり、店内は耳を覆いたくなるほどの騒音で溢れていた。開店してまだ二十分ほどしか経っていないというのに、早くもこの盛況ぶりだ。安価な娯楽は不況にも強いというのは、ここを見ているだけでもよく分かる。
 鍋島は入口から少し右に入った列の前で立ち止まると、ずっと先の方を見つめながら奥へと進んだ。
 突き当たりの席で顎を突き出して煙草を咥え、顔をしかめながら台に向かっている大柄の男の前まで来て、鍋島は男の隣の空いた椅子に座った。
「よう、調子はどうや」
 男は目を細めて鍋島に振り返った。「……あんたか」
 男は鍋島のお抱えの情報屋だった。歳は鍋島よりも三つ四つ上で、呼び名をタツと言った。ミナミのキャバクラで用心棒のような仕事をしながら、パチンコでもそこそこの収入を得ている。
 鍋島とは数年前に酔っ払ってブティックのショーウィンドウを壊して逮捕されたときからの間柄で、彼は鍋島の警官らしからぬところが妙に気に入っていた。
「何かあったんかいな」
 そう言うとタツは自分の台に向き直って小さく笑った。「……ないとこんなとこまで俺を捜してけぇへんか」
「まあ、そういうことやな」
 鍋島はタツの台から一掴みの玉を取り、自分の前の台に入れた。やがて玉が打ち出されるとその行方を目で追いながら、ジャケットのポケットから一枚の写真を取りだしてタツの前に置いた。
「こいつ知らんか」
 タツは俯き、写真を見た。それはさっき西天満のビルの谷間で死んでいた男のポラロイド写真だった。鍋島が鑑識係員に頼んで、現場写真を一枚分けてもらったのだ。
「ああ、こいつ……西川(にしかわ)っていう売人ですわ」
「ほんまか?」
 タツがあっさりと男の名前と正体を言ったので、鍋島は驚いて振り向いた。
「顔の形相がごっつ変わってるけど、間違いないな」
 とタツはもう一度写真を見下ろした。「えらいことになっとんな……やっぱり、ヤクが絡んで殺されたとか?」
「さあ、それは分からん。こいつがどこのルートで仕事してたか分かるか」
東条(とうじょう)組やな」
 タツは台を眺めながら言った。「売人言うても、それだけで食うてたわけやなさそうやけどね。もともとは新地かどっかのクラブでボーイやってたみたいやし。けど最近、なんや急に金回りがようなったらしくて、それはやつが東条組とのかなり強力なルートを確立させたからやて言う噂が、ちらほら流れてきてましたで」
「そうやったんか」
 鍋島は西川の懐に残されていた四十万近くの現金を思い出した。
「あ、もしかしたらそれで殺られたんと違いますか? 利権争いや」
 タツは得心がいったように頷いた。鍋島は彼の勝手な推測には反応せず、話を続けた。
「西川の周りに右の目尻に傷のある男っているか」
「さあねえ。あいつの交友関係までは知らんから」
「そしたら、こいつに自分の女を横取りされて頭に来てるやつの話なんて聞いたことないか」
「何です、それ?」とタツは呆れたように笑った。「西川のやつ、女のことで殺されたんか?」
「さっきから俺はひとことも殺されたとは言うてへんけど」
「ほなその写真はなんやねん。サスペンスドラマのエキストラでもやってんのか?」
「せや。よう分かってるやんか」
「またまた……まあ、調べときまっさ」
 タツは言うと左手を鍋島の前に突き出した。
「おまえ、それだけ勝ってるやないか」
 鍋島はタツの足下に並んでいる玉のぎっしり詰まった箱を顎で示しながら言った。
「これはこれ、そっちはそっちや。調査料はきっちりもらわんと」
 鍋島は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らすと、パンツのポケットから数枚の紙幣を取り出し、その中の五千円札をタツの台に置いた。
「今はこれだけや。今夜は予定があるから」
「あ、俺この前見たで」タツは鍋島に振り返った。「十日ほど前に心斎橋(しんさいばし)を歩いてたやろ。隣にいたの、もしかしてあんたの女か?」
「……ええやろ、そんなこと」
 やぶへびだったなと後悔しながら鍋島は頷いた。
「はあー、驚きやなあ」とタツは大袈裟に首を振った。「あんな美人、ちょっとやそっとではお目にかかれへんで」
「お世辞言うたって、それ以上は出さへんからな」
 そう言いながらも鍋島はまんざらでもなさそうだった。
 受け皿の玉がなくなり、鍋島はゆっくりと立ち上がった。そしてタツには何も言わずに来た道を出口へと向かった。
「あ、ちょっと、鍋島さん」
 鍋島は振り返った。「何や」
「いや、関係あるかどうかは分からんけどね──」
 鍋島はタツのそばに戻った。
「西川のやつ、最近道頓堀(どうとんぼり)の『ラプソディ』って言うクラブに毎晩のように現れてましたよ」
「そんなこと、何でおまえが知ってるんや?」
「へへえ……俺のこれが、その隣の店にいるもんでね」
 タツはにやにや笑いながら左の小指を立てるという古臭い仕草をした。
「で、そのクラブには西川のお目当ての女がいたってわけか」
「そこまでは分かりませんけどね。でも、あいつの仕事の縄張りはキタやし、東条組かてあんたとこの管内(シマ)でしょ。それが夜毎わざわざミナミまで出かけてきて、しかも一つの店に通ってたとなると、何かあるんと違いますか?」
 鍋島は一つ頷いた。「おまえ、今夜その店に探り入れてくれ」
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