3-①

文字数 2,603文字

「──それで? おまえらいつ結婚するんだ」
 キッチンで夕食の片付けをしていた芹沢は、ダイニングで缶ビールを飲んでいる鍋島に訊いた。
「別にはっきり決めてるわけやないけど──こういうことがあると、慌ててせんほうがええやろ」
「喪が明けるまで、ってことか」
「まあ……そのくらいはな」
「仕方ねえよな」と芹沢は溜め息をついた。
「何や、早よして欲しそうやな」鍋島は顔を上げた。「何かあるんか」
「そうじゃねえけどさ」
「けど何や」
「俺は別におまえが結婚しようとしまいとどっちだっていいし、何も困ることなんてないさ。ただ──」
「ただ何や。さっさと吐け」
 芹沢は洗った食器を乾燥機に入れ、それからじっと鍋島を見た。

のことさ」
 鍋島はどきっとした。芹沢から視線を外し、ゆっくりとテーブルの上の新聞に移した。──こいつ、俺のこと尾行でもしてやがったか?
「あいつがどうしたって?」
「こんなこと言うと、またおまえが怒ると思って黙ってたんだけどよ」
 そう前置きすると芹沢は鍋島を見た。「彼女、まだおまえのこと整理できてねえんじゃねえか?」
「何で、そんな──」
「こういうことは傍で見てる方が分かるのさ」
 芹沢は得意げに言った。「ほら、いつだったか──ひと月ほど前に彼女がおまえを訪ねてきたときがあっただろ。何の用事だったか知らねえけどよ。あのときの彼女のおまえへの視線、昔のままだったぜ」
「まさか」
 鍋島は心の動揺を見透かされないように造り笑いをした。「もうすぐ結婚するんやぞ」
「そりゃあするさ。おまえとはもう無理なんだから、いつかは誰かとするのが当然だろ。好きな男に女がいるからって、一生独りで通すなんて馬鹿げてるぜ」
 芹沢はあっさりと言った。「俺の言ってるのは、もっとメンタルな部分の話だよ。こうしておまえが相変わらず彼女と近いところにいると、そう簡単に諦めのつくもんじゃねえと思ってさ。しかもおまえらがいつまでも結婚しねえでいると、なんとなく期待しちまうもんだぜ。その──破局ってやつを」
「結婚するのとせえへんのとで、そう違うもんか?」
「だって彼女はお嬢さんなんだろ。形式や枠組みにとらわれるように考え方ができちまってるんじゃねえの? そう言うおまえだって彼女が婚約したからもう自分のことを忘れたと思ってるんだから、同じことさ」
 鍋島は喉の渇きを潤すためにビールを口に運んだ。そしてテーブルに戻した缶をじっと見つめ、観念したようにぽつりと言った。
「……確かに、そうタカを括ってた」
「何だ?」芹沢は眉をひそめた。
「……今日、麗子の家に真澄がいたんや」
「それで?」
「帰るとき、あいつと二人で駅まで行って──」
「……言われたんだな」
 鍋島は小さく頷いた。「古傷っていうのが痛み出したって」
 そうか、と芹沢は溜め息を漏らした「……ったく、おまえみてえなやつのどこがそんなにいいんだろうな」
「自分でもそう思う」
 鍋島が自嘲的な態度に出たので芹沢はますます困って腕を組み、考え込んだ。そしてやがて何か思い浮かんだのか、いくらか戸惑い気味に口を開いた。
「籍だけでも入れたらどうだ?」
「籍?」
「ああ。それって結構ずしっとくるもんらしいぜ。盛大に式を挙げられるのと同じくらい」
「そんなん……汚いと思わへんか? これは俺と真澄のあいだの問題やろ。結婚は俺と麗子の問題やし──二人に対して悪いよ」
「ほら、おまえのそういう態度だよ、彼女の気持ちをいつまでも引き留めてるのは。そりゃあ誰だって波風立てねえでケリを付けた方がいいと思うに決まってるさ。けどそんな綺麗ごとばっかり言ってるから、こうしてまだ終わらねえんだ」
「綺麗ごと……」
「そうさ。本当にすっきりさせようと思うなら、手段なんて問うな」
 芹沢はきっぱりと言った。「それに、俺は三上サンだって知らん顔しててもいいとは思わねえな。おまえと結婚するつもりなら、巻き込まれて当然さ」
 鍋島は黙ってテーブルの端に置いた煙草とライター、それに灰皿を引き寄せた。
「言っとくけど、強要なんかしてないぜ。俺こそ本当の部外者なんだしよ」
 そう言うと芹沢は自分も冷蔵庫から缶ビールを取りだし、キッチンの照明を消してカウンターをまわって出てきた。そして彼がテーブルの前まで来たとき、鍋島は疲れたように煙を吐いて言った。
「……真澄が、思い出作ってくれって」
「え?」芹沢は目を丸くした。「思い出って──」
「それで区切りでもつけようと思たみたいや。もちろんすぐに撤回したけど」
「当たり前だよ。そんな話におまえがうんと言うわけねえってこと、彼女にも分かってるはずさ」
「おまえやったらどうする?」鍋島は上目遣いで芹沢を見た。
「……それ、俺だったら乗ると踏んで訊いてるんだろ」
 芹沢は迷惑そうに笑った。「それで本当に終わるなら俺はできるさ。でも、あいにくそんなめでたい頭じゃねえからな。断る」
「というと?」
「考えてもみろよ。そんなことしたからって、それで本当に気持ちに区切りがつけられる人間なんていると思うか? ますます想いが深まって当然だろ。それに──何だかあとでこじれそうじゃねえか」
「まさか、そんな」
「そんなこと分かるかよ、捨て身でこられると」
 芹沢は鍋島をじっと見た。「甘いんだよおまえは」
「おまえ、そういう経験あるわけ?」
「ノーコメントだよ」
「……ったく、どうやったらおまえみたいにイージーな考え方ができるんやろな」
 鍋島は煙に目を細めて芹沢を睨んだ。
「試されてるんだよ、おまえみたいに正論だけで世の中通用するのかってことがさ」
 芹沢は面白そうに言い、そしてすぐに真顔になった。「とにかく、おまえみてえに優柔不断なやつほど、毅然とした態度が必要なんだよ。少しくらい相手に冷たくてもな」
「それができたら苦労せえへんわ。おまえみたいな男が羨ましい」
「……あのな。人をいったい何だと思って──」
 そこで和室の戸が開いて、寝ていたはずの亮介が出てきた。
「何だよ、またおねしょか?」
「菜帆が──」亮介は大きく息を吐いた。「ものすご熱いんや」
「熱いって、熱があるのか?」
「分からへん」と亮介は激しく首を振った。「でも、ガタガタ震えてる」
 芹沢は鍋島と顔を見合わせた。

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