1ー①

文字数 3,316文字

「どうして踏み込めないんですか?」芹沢は訊いた。「連中が拳銃を自家製造しようとしているのは間違いないんですよ」
西天満署(うち)の仕事やないからや」課長は答えた。「本店に任せとけ」
「けど、サンプルの拳銃を──」
「あのな、芹沢」
 課長は顔をしかめて目の前の芹沢を見上げた。「おまえも昨日今日刑事になったわけやないから分かるやろ。これは本部の仕事なんや。ワシは、うちの課には頼まれてもおらんのによその仕事まで背負い込むほど暇でおめでたい刑事はいてへんと思うし、これは署長も同意見やと確信してる。それに、令状を取るには連中がサンプルを持ち込んでるという証拠が要る」
「田所杏子の証言があります」
「それは彼女の虚言やとしらばっくれられたらそれまでや。だいいち、そのケースとやらはどこにあるんや?」
「……西川がロッカーに隠して、その鍵を杏子に渡し、杏子はそれを亮介に預けたんですが──亮介はここんところのどさくさで失くしちまったみたいなんです」
 ケースを見つけたことはまだ課長には内緒にしてあった。だから亮介には濡れ衣を着てもらう。
「スカタンやな」課長はふんと鼻を鳴らした。「残念ながら、それまでや」
「でも、杏子は確かに鍵を──」
「仮にケースが見つかったとしても、それが東条組から出たものやという証拠は何一つないんやろ」
「けど、上島と西川が口論してたのはそのケースのことなんですよ。西川が殺されたのもそのせいです」
「残念ながら、二人とも死んどる」
「西川の死に関わってるのは上島だけじゃなくて、例の矢野という男だって疑わしいんですよ」
「それも杏子の話やろ。それがほんまやと思うなら、その男を見つけ出して吐かせろ」課長は芹沢を見た。「いや待て、しかしその男、確か東条組に抱き込まれてる鉄工所の主人やったな。やっぱりあかん。手を出すな」
「西川殺しは、うちの事件(ヤマ)でしょうが」
「分かってる。やせからいずれ本店が動いて検挙できたときには、うちが西川殺しで矢野を取り調べられるように要求する」
「他人任せにするつもりですか」
「せやからたった今うちがやる、と言うたやろ。ただ、今はその時期やないということや」
 芹沢は納得していない顔だった。そしてなおも食い下がった。
「実際、杏子は組との交渉もしてるんですよ」
「それもあくまで彼女の口から出た言葉の上での話に過ぎん」
「じゃあ、湊組の鉄砲玉はどうなるんです?」
「いっそのこと、その鉄砲玉にことを起こしてもらうべきやったな。狙撃が未遂に終わった以上、あとでその証言を翻されたら他に証拠はないんやし、それで終わりや。おまけに、昨日一条警部が言うてたんやが、その鉄砲玉は今回は銃刀法違反だけで送検して、殺人未遂については見送るらしいぞ。何でも、神奈川県警も湊組を別件で叩きたいらしいし、その鉄砲玉も正式な組員というわけではなかったらしいから、深追いせんのが得策やと踏んだんやろ」
「そんな……」
「さあ、早よ戻って仕事にかかれ。おまえらには今まで、子供らを預かるという大きな負担を背負い込ませてたから何かと大目に見てきたけどな。今朝であの子らからも解放されたんやから、またどんどん仕事を片付けていってもらわんと困るんや。みんな手一杯なんやから」
「けどね、課長──」
「ええ加減にせんと怒るぞ」

 植田課長と芹沢はさっきからずっとこうして押し問答を繰り返していた。押収した拳銃を盾に東条組に踏み込むためには、令状が必要だった。だからこうして課長を説得しているのだが、ケースのことを内緒にしてある以上、主張できる根拠は杏子の証言だけしかなかった。しかしそれでは課長はうんと言うはずがない。芹沢もある程度の予測はしていたが、拳銃密造の一件はすべて本部の四課と銃対課に任せておけという課長のあいだには、三十分経っても何ら接点は見当たらなかった。
 その場に居合わせていた刑事たちは全員、半ば呆れ返ってこの様子を見守っていた。そう、芹沢以外の刑事はみんなだ。この件を自分たちの手で解決し、本部の鼻をあかしてやろうと言って芹沢にけしかけた張本人の鍋島でさえ、今は自分のデスクで頬杖を突き、暢気(のんき)に欠伸をしていた。しかし彼のその態度は、自分たちの大胆かつ無謀な策略を悟られないためのカムフラージュだった。
「おい、鍋島」
 高野警部補が鍋島に声を掛けた。
「はい?」
「芹沢のやつ、何であんなに張り切ってるんや?」
「さあ」と鍋島は首を傾げた。「手柄をあげたいのと違いますか。家業を継ぐのを放棄して、お巡りでメシ食うていく以外に方法がなくなりましたからね」
「それでああも変わるほど、実家の酒屋ってのは大きい店なんか?」
 高野の隣の島崎が口を挟んだ。
「従業員が八人いてる株式会社やそうですよ。ほんまやったらあいつは五代目を継ぐはずやったとも言うから、老舗でもあるんでしょうね」
「アホなやっちゃな、あいつも」と高野は芹沢を見た。「そんな大店(おおだな)とたかがお巡りとを天秤に掛けて、しかもこっちを取るやなんて」
「酒も一生飲み放題やったろうに」
 島崎が独り言のように言って、手許の書類に目を落とした。
 三十半ばの男の考えることか、と鍋島は島崎の言葉に首を傾げ、目の前の電話が鳴ったので受話器を取った。
「刑事課」
《──あ、鍋島か? 俺や、立花(たちばな)や。豊崎署の》
「ああ、立花か。久しぶりやな」
 鍋島は笑顔になった。「何や? また同期会でもやろうって言うんか?」
 立花修平(しゅうへい)は豊崎署の刑事で、鍋島と同期だった。鍋島には彼が世話好きで宴会には欠かせない陽気な男であるという印象がやたらと強く、彼からの電話といえばすぐに飲み会の相談だと思ってしまうのだった。そしてたいていの場合はそう解釈して正しかったのだが、今回は彼が田所杏子のアパートのある長柄の所轄署の刑事であることを一番に考え、それでピンとくるべきだったのだ。
《まあ、それは次の機会に相談するとしてやな。今日は違うんや。ちょっとおまえに確認しときたいことがあってな》
「俺の宴会での持ちネタか?」
 なおも言った鍋島を無視して、立花は訊いた。
《鍋島、おまえ田所杏子って知ってるな?》
「……ああ、知ってるけど──」
 鍋島はたちまち真顔になった。「うちの事件(ヤマ)の参考人や」
《菜帆っていう三歳の娘と──亮介っていう七歳の息子がいる》
 立花はメモを見ながら喋っているようだった。  
「ああ、そうや。しばらくうちの方で預かってたけど、今朝署で母親に引き渡した」
 鍋島の心臓が鼓動を打ち始めた。「……何かやったんか?」
《射殺されたよ、つい半時間ほど前に》
「シャサツ……」
 鍋島の身体が凍りついた。髪の毛から耳たぶ、半開きの唇、受話器を持った右手とライターを(もてあそ)んでいた左手、組んだ左足に床につけた右足の爪先……すべて時が止まったように微動だにしなかった。視線も、電話機に留めたままで、眼球の周囲が少し痛くなり始めてやっと瞬きするのを思い出したくらいだった。

 ──シャサツ。シャサツって何や。撃ち殺すっていうことか……?

《銃声がしてすぐパトロール中の制服が駆けつけたんやけどな。母親は即死、娘もすでに虫の息やったらしい》
 ──菜帆が? 菜帆がどうしたって?
 鍋島はまだ立花が何を言っているのかはっきりと分からないでいた。
《犯人もその場で確保した。というのも、そいつも自分の頭に一発ぶち込もうとして引鉄引いたものの、ビビった分だけ逸れた銃弾が後頭部えぐって肩を貫通や。救急車で運ばれていきよったけど、かなり危険な状態や》
 立花は一気に言うと舌打ちした。《それでな、鍋島──》
 ちょ、ちょっと待ってくれ。嘘やろ。やめてくれ。鍋島はきつく目を閉じた。息が荒くなり、苦しささえ感じた。
「……おい鍋島、どうした?」
 その声が電話の向こうから聞こえてくるものなのか、それとも周りの誰かが声を掛けてきたものなのか、彼にはもう分からなかった。


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