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文字数 3,199文字
六日ぶりにやってきた刑事課の奥を陣取る来客用のソファーに身を沈めて、鍋島と芹沢は呆れ顔の植田課長と向き合っていた。
部屋には婦警の市原香代と三係の主任、四係の係長がそれぞれ自分のデスクで仕事をしており、間仕切り戸のそばでは一係の湊主任が制服警官と立ち話をしていた。誰もが二人にどんな処分が下りるのかが気になって仕方がないらしく、仕事や会話の合間にちらちらとソファーに視線を向けるのだった。
「おまえら──」
課長は憮然として二人を交互に眺めて溜め息をついた。
「久しぶりに出て来たと思たら、そのだらしない格好は何や? 鍋島はまあ……しゃあないとしても、芹沢、おまえまで」
二人の格好は、昨日亮介を見送ったときとほとんど変わっておらず、せいぜいTシャツが昨日とは違っているという程度のものだった。
「鍋島が許されて、俺が駄目ってのはないでしょう」
芹沢は肩をすくめた。「えこひいきですよ」
「それが処分を伺いに来た者の格好か? 背広ぐらい着てこい」
「は、まさか。警視総監から表彰してもらうわけやあるまいし」
鍋島は鼻で笑った。「スーツは就職活動のためにとってあるんです」
「そら、残念やったな」
今度は課長がほくそ笑んだ。
「え?」
「無駄やったなと言うてるんや」
課長は言って咳払いをすると不満げに二人を睨んだ。
「ええか、よう聞け。おまえらに対する処分や」
いつもやたらと騒がしい刑事課が一瞬、静まり返った。
「はい」鍋島が無感情に言った。
「二人とも、手を出せ」
「はい?」
「手錠 掛けられるようなことまではしてませんよ」
「ええから、出せ」
二人は腑に落ちない様子で首を傾げながら顔を合わせ、渋々両手を差し出した。
課長は隣のソファーに置いた大きな茶封筒を取ると、中から警察バッジを二つ取りだして、それぞれの手に乗せた。
「これ……」鍋島がぼんやりと手を見つめて呟いた。
「おまえらのや」
答えながら課長は今度は手錠とホルスターに入った拳銃を出してきて、二人の前に置いた。
「どういうことです?」
「どうもこうもない。受け取ったら、さっさとおさめろ」
「処分は──」
「処分はこうや」
課長は腕を組んでソファーに身体を預けた。
「今回、所轄署の刑事として東条組を壊滅状態に追い込み、本部の四課と銃対課に
二人は唖然として課長を見つめていた。課長は構わず続けた。
「言うとくが、この結論にたどり着くまで、ワシや高野係長はもちろん、一係のみんなはおまえらの無茶苦茶なガサ入れを正当化するのに必死で走り回ったんやぞ。へそを曲げた本店の機嫌を取ったり、十三署や豊崎署にも頭を下げに行ったりもした。それから、四係の松本と神奈川県警の一条警部までがえらい骨を折ってくれた。あとで礼を言うとけ」
二人はまだぼんやりとしていた。やがて鍋島が我に返ったように目を見開くと、何か言おうとして背筋を伸ばし、口を開きかけた。「────」
「それからもう一つ」
課長は鍋島の発言を遮って素早く言い、人差し指を顔の前で立てた。
「休んだ分は、しっかり有休から引くからな」
「課長……」
「それだけや」課長は両手を広げた。「分かったら、さっさとそれ持って仕事にかかれ」
そして課長は立ち上がって自分のデスクに戻った。二人はまだ釈然としない様子でソファーに残ったままだった。
「何してるんや、早よせえ」課長は声を張り上げた。「ゆうべ起きた傷害の犯人らしい男の潜伏先が、今さっき割れたんや。先に制服が出動してるから、おまえら二人も行ってこい」
課長の命令を背中で聞いて、芹沢はぽつりと言った。
「……鍋島、そういうことだよ」
そして小さく笑ってシャツを脱ぎ、拳銃を装着し始めた。
「そういうことやな」
鍋島も同じように拳銃を肩に掛けて、手帳とバッジを掴んで立ち上がった。
「そう簡単には行かへんってことや」
二人はふうっと息を吐きながら顔を見合わせた。馬鹿馬鹿しそうに笑いながら首を振り、それからようやく顔を上げると、鍋島が課長に振り返って訊いた。
「場所は?」
「六丁目のラブホテルや。テレビ局のそば。連れの女は先に出たらしい」
課長はデスクから一枚の紙切れを取り上げ、二人の前に来て顔の前で広げて見せた。
「これが逮捕状や。どや、思い出したか?」
「……ええ、確かに」芹沢が苦笑して受け取った。
二人は部屋を横切って間仕切り戸に向かった。周りのデスクでは刑事たちがにやにや笑って彼らを見送った。
「おい芹沢、忘れもんや」
課長に呼び止められて、芹沢は振り返った。
「近いからと言うて、歩いて行くつもりか?」
そう言いながら車のキーを投げ、課長は続けた。「言い忘れてたが、戻ったら今回の始末書と報告書を書いてもらうぞ。徹夜してでも」
放物線を描いて飛んでくるキーを掴み取り、芹沢は「まさか」と言って顔をしかめている鍋島に向き直った。
「──行こうぜ、巡査部長」
署の玄関を出たところで、二人は表に停まっている車から声を掛けられた。
「よっ、お二人さん」
振り返ってみると、車から半分身体を乗り出した松本だった。
「せっかく
松本はいつもの軽い口調で言った。「こうなったら、
「主任もね」芹沢は答えた。
松本はひょいと肩をすくめ、車に消えた。
安っぽい塗装の赤いドアの前で、三人の制服警官を従えた二人はゆっくりと拳銃を抜いて銃口を上に向けた。
「ここで待機してくれ」
芹沢は一人の制服警官に言った。そして正面の壁に背をつけると、
「行くぞ」と言って鍋島を見た。
「どうぞ」
ドアの脇に立った鍋島が頷いた。
芹沢は静かに右足を上げたかと思うと次の瞬間にはノブを蹴り、ドアを弾き飛ばしていた。同時に鍋島がなだれ込んだ。
狭い部屋の手前に置かれたガラステーブルの前であぐらを組み、二十代前半の男が、五歳くらいの少女を抱え込んでその首にナイフを突きつけていた。少女は怯えきった顔で震えていた。
「ちっ、近づくなっ! 近づいたら、このガキ殺すぞっ!!!」
男は血走った眼で叫び、ナイフを握った手に力を入れた。
「……こんなの聞いてねえよ」
芹沢は困惑した声で呟くと、苦々しい表情で舌打ちした。「……ちっくしょう。あのタヌキ課長め」
「おい、その子いったいどうしたんや」
鍋島は拳銃を突き出したまま、男に訊いた。
「どうした? 自分のガキをどうしようと、俺の勝手やろ?」
そう言うと男はひひっと笑った。テーブルには大量の錠剤が散乱し、空のビール瓶が三本倒れていた。
「お父ちゃん……やめてよお」
少女は言うとやがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
それと同時に、鍋島が慌てて後ろを向いて項垂れる。芹沢はその様子を見て小さく舌打ちし、深いため息をついた。
繰り返し、すべてはこの繰り返しなのだ。
〈了〉
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。
部屋には婦警の市原香代と三係の主任、四係の係長がそれぞれ自分のデスクで仕事をしており、間仕切り戸のそばでは一係の湊主任が制服警官と立ち話をしていた。誰もが二人にどんな処分が下りるのかが気になって仕方がないらしく、仕事や会話の合間にちらちらとソファーに視線を向けるのだった。
「おまえら──」
課長は憮然として二人を交互に眺めて溜め息をついた。
「久しぶりに出て来たと思たら、そのだらしない格好は何や? 鍋島はまあ……しゃあないとしても、芹沢、おまえまで」
二人の格好は、昨日亮介を見送ったときとほとんど変わっておらず、せいぜいTシャツが昨日とは違っているという程度のものだった。
「鍋島が許されて、俺が駄目ってのはないでしょう」
芹沢は肩をすくめた。「えこひいきですよ」
「それが処分を伺いに来た者の格好か? 背広ぐらい着てこい」
「は、まさか。警視総監から表彰してもらうわけやあるまいし」
鍋島は鼻で笑った。「スーツは就職活動のためにとってあるんです」
「そら、残念やったな」
今度は課長がほくそ笑んだ。
「え?」
「無駄やったなと言うてるんや」
課長は言って咳払いをすると不満げに二人を睨んだ。
「ええか、よう聞け。おまえらに対する処分や」
いつもやたらと騒がしい刑事課が一瞬、静まり返った。
「はい」鍋島が無感情に言った。
「二人とも、手を出せ」
「はい?」
「
「ええから、出せ」
二人は腑に落ちない様子で首を傾げながら顔を合わせ、渋々両手を差し出した。
課長は隣のソファーに置いた大きな茶封筒を取ると、中から警察バッジを二つ取りだして、それぞれの手に乗せた。
「これ……」鍋島がぼんやりと手を見つめて呟いた。
「おまえらのや」
答えながら課長は今度は手錠とホルスターに入った拳銃を出してきて、二人の前に置いた。
「どういうことです?」
「どうもこうもない。受け取ったら、さっさとおさめろ」
「処分は──」
「処分はこうや」
課長は腕を組んでソファーに身体を預けた。
「今回、所轄署の刑事として東条組を壊滅状態に追い込み、本部の四課と銃対課に
多大な協力
をしたおまえらは、通常なら文句なしに本部長賞と警部補への特進という栄誉が与えられるところや。けど、そうなったら今後誰もがおまえらみたいに事務手続き無視の強引な捜査をするやろう。面倒臭い書類作成をすっ飛ばした捜査ほど、楽で手際のええもんはないからな。おまけにそれで出世も手に入れられれば、渡りに舟や。せやから、今回はおまえらの表彰も特進もなし。まだしばらくは巡査部長のままでいてもらう。それが処分や」二人は唖然として課長を見つめていた。課長は構わず続けた。
「言うとくが、この結論にたどり着くまで、ワシや高野係長はもちろん、一係のみんなはおまえらの無茶苦茶なガサ入れを正当化するのに必死で走り回ったんやぞ。へそを曲げた本店の機嫌を取ったり、十三署や豊崎署にも頭を下げに行ったりもした。それから、四係の松本と神奈川県警の一条警部までがえらい骨を折ってくれた。あとで礼を言うとけ」
二人はまだぼんやりとしていた。やがて鍋島が我に返ったように目を見開くと、何か言おうとして背筋を伸ばし、口を開きかけた。「────」
「それからもう一つ」
課長は鍋島の発言を遮って素早く言い、人差し指を顔の前で立てた。
「休んだ分は、しっかり有休から引くからな」
「課長……」
「それだけや」課長は両手を広げた。「分かったら、さっさとそれ持って仕事にかかれ」
そして課長は立ち上がって自分のデスクに戻った。二人はまだ釈然としない様子でソファーに残ったままだった。
「何してるんや、早よせえ」課長は声を張り上げた。「ゆうべ起きた傷害の犯人らしい男の潜伏先が、今さっき割れたんや。先に制服が出動してるから、おまえら二人も行ってこい」
課長の命令を背中で聞いて、芹沢はぽつりと言った。
「……鍋島、そういうことだよ」
そして小さく笑ってシャツを脱ぎ、拳銃を装着し始めた。
「そういうことやな」
鍋島も同じように拳銃を肩に掛けて、手帳とバッジを掴んで立ち上がった。
「そう簡単には行かへんってことや」
二人はふうっと息を吐きながら顔を見合わせた。馬鹿馬鹿しそうに笑いながら首を振り、それからようやく顔を上げると、鍋島が課長に振り返って訊いた。
「場所は?」
「六丁目のラブホテルや。テレビ局のそば。連れの女は先に出たらしい」
課長はデスクから一枚の紙切れを取り上げ、二人の前に来て顔の前で広げて見せた。
「これが逮捕状や。どや、思い出したか?」
「……ええ、確かに」芹沢が苦笑して受け取った。
二人は部屋を横切って間仕切り戸に向かった。周りのデスクでは刑事たちがにやにや笑って彼らを見送った。
「おい芹沢、忘れもんや」
課長に呼び止められて、芹沢は振り返った。
「近いからと言うて、歩いて行くつもりか?」
そう言いながら車のキーを投げ、課長は続けた。「言い忘れてたが、戻ったら今回の始末書と報告書を書いてもらうぞ。徹夜してでも」
放物線を描いて飛んでくるキーを掴み取り、芹沢は「まさか」と言って顔をしかめている鍋島に向き直った。
「──行こうぜ、巡査部長」
署の玄関を出たところで、二人は表に停まっている車から声を掛けられた。
「よっ、お二人さん」
振り返ってみると、車から半分身体を乗り出した松本だった。
「せっかく
シャバ
へ出られたと思ったのに、残念やったな」松本はいつもの軽い口調で言った。「こうなったら、
獄中死
は覚悟せえ」「主任もね」芹沢は答えた。
松本はひょいと肩をすくめ、車に消えた。
安っぽい塗装の赤いドアの前で、三人の制服警官を従えた二人はゆっくりと拳銃を抜いて銃口を上に向けた。
「ここで待機してくれ」
芹沢は一人の制服警官に言った。そして正面の壁に背をつけると、
「行くぞ」と言って鍋島を見た。
「どうぞ」
ドアの脇に立った鍋島が頷いた。
芹沢は静かに右足を上げたかと思うと次の瞬間にはノブを蹴り、ドアを弾き飛ばしていた。同時に鍋島がなだれ込んだ。
狭い部屋の手前に置かれたガラステーブルの前であぐらを組み、二十代前半の男が、五歳くらいの少女を抱え込んでその首にナイフを突きつけていた。少女は怯えきった顔で震えていた。
「ちっ、近づくなっ! 近づいたら、このガキ殺すぞっ!!!」
男は血走った眼で叫び、ナイフを握った手に力を入れた。
「……こんなの聞いてねえよ」
芹沢は困惑した声で呟くと、苦々しい表情で舌打ちした。「……ちっくしょう。あのタヌキ課長め」
「おい、その子いったいどうしたんや」
鍋島は拳銃を突き出したまま、男に訊いた。
「どうした? 自分のガキをどうしようと、俺の勝手やろ?」
そう言うと男はひひっと笑った。テーブルには大量の錠剤が散乱し、空のビール瓶が三本倒れていた。
「お父ちゃん……やめてよお」
少女は言うとやがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
それと同時に、鍋島が慌てて後ろを向いて項垂れる。芹沢はその様子を見て小さく舌打ちし、深いため息をついた。
繰り返し、すべてはこの繰り返しなのだ。
〈了〉
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。