第5話

文字数 3,494文字

 カーテンを開けると東の山間には春の太陽が顔を出し、紫立ちたる雲の細くたなびきたり――はせず、晴天の空をただ赤く染めだしていた。
 やがてサイレンが聞こえ、パトカーが到着すると、小夜子は高野内らと共に警察の事情聴取を受ける。もちろん他の三人もだ。毎度のことであるが、同じことを何度も説明するのは骨が折れる作業であり、興奮していることも災いしてなかなか終わらない。
 ようやく解放される頃には、既に太陽が西に傾いていた。
 一日ぶりにレンタカーのハンドルを握る高野内。コイツのせいで大変な目に遭ったのだが、一向に気にする素振りはない。
 ラジオをつけると、知らないアイドルの知らない歌が流れている。初めて聞く曲の筈なのに、どこか懐かしさを憶える。
 小夜子は大きな欠伸をしながら、ぼんやりとフロントガラスに目をやると、昨日と同じ田園風景が延々と広がっている。しかし、今の小夜子には違った風景に見えた。事件の解決を喜ぶよりも、後味の悪い映画を観た直後のような、もどかしい感情が頭の奥を支配している。今さら後悔しても始まらないが、もしかしたら自分の行動次第で今回の悲劇が回避できたのではないかと思うと、胸が締め付けられずにはいられない。自分に何が出来たのかと自問自答を繰り返す。
 気配を察したのか、高野内は空気を変えるべく、疲れたを連発しながら明るい声を出してきた。
「ああ、今回は本当に苦難の連続だったな。こんな経験、二度とごめんだぜ」
 そんな気分ではなかったが、小夜子は調子を合わせることにした。
「ホント、いくらミステリー小説だからって、いろいろ詰め込み過ぎよ。これで評判が良くなかったら、どうするつもりなんでしょうね」
「後先考えないのがこの作者の特徴さ。例えアイデアが枯渇しても、書き出せば何とかなると思っているところが浅はかなところだぜ」
 そこで小夜子の頭に何かが降りてきた。
「あれ? 今、気が付いたけど、タイトルがいつの間にか『さらば! 名探偵、苦難』になっているわよ」
 ハンドルを切りながら、高野内は慌てて謎の表紙を思い浮かべる。
「本当だ! してやられた。やっぱりそうだったのか。作者の野郎はこの作品で力尽きて、次のネタが思いつかなかったんだろう。……何となくそんな気がしていたんだよな」
「あ~あ、私の活躍を楽しみにしていた読者には可哀そうな事をしたわね」
「ちょっと待て! 俺とエイラの恋の行方はどうなるんだ?」
「どうせフラれるんだから別にいいじゃない。誰も興味ないし」
 トホホな高野内。彼にとって、シリーズが終わる事より、自分と大野城エイラとの関係が心配なのだろう。困った主人公である。やはり終わって正解か。こうなったら番外編に期待するという手もあるぞ。知らんけど。
 開き直った高野内は、宿題とばかりにある事を話題にした。
「ところで小夜子、この前の伊佐木加奈子の絵のタイトルはどうなったんだ。かなり強引だけど、今話題にしないと永遠の謎になっちまうからな」確かに強引である。
 小夜子はその課題について、身もふたもないことを言った。
「あれね。散々迷った挙句、無題にしたわ。やっぱり私には決められないもの」
それを言ってはおしまいだ。いくらナイスなアイデアが閃かなかったからと言って作品を跨いでおいてこの答えはあんまりである。読者からのクレームも予想される。
「でもコンクールでは銀賞を勝ち取ったわよ。美術部は結局廃部になっちゃったけどね……ところで、どうして三百万円は置いてきたの? 本当は喉から手が出るほど欲しかったんじゃない? あなたなら絶対ちょろまかすかと思ったんだけど」
「ちょろまかすとは人聞きが悪い。あれはれっきとした報酬だ。それに俺だって少しは迷ったさ。けれど、組織の連中に追われたくないし、もし警察にバレたらそれこそ探偵稼業を続けられなくなると思ってさ」
 何かを隠している気がしたが、小夜子は気づかないふりをしながら高野内の頭を撫でる。
「少しは成長したみたいね。よしよし」
「おい、馬鹿、止めろ! 事故って車にキズでも付けたらどうするんだ? レンタカーだぞ」
「知っているわよ。一番格安の年代物の軽でしょう?」
「動けばいいんだよ、動けば」
「大体あなたが最初に道に迷わなければ、あんな目に合わずに済んだのに」
「それを言うな。お前の推理もなかなかだったぞ。……まあ、俺のナビゲーションのお陰だが」
「車のナビは苦手みたいだけどね」
「うるさい!」
 図星を突かれ、手を滑らせたのか、高野内はクラクションを鳴らした。前方から走ってきた車が少しよろけたものの、そのまますれ違い、ドライバーから訝しげな視線を向けられた。
「そういえば、警察に本当のことを言わなかったでしょう? あれってもしかして……」
 高野内は諭すように言った。
「ああ、今さら真実を語ったところで誰も幸せにはならない。国長野さんと麗奈さんは水無瀬が殺し、その後、自殺したことにするのが最もふさわしいと判断したんだ。……何か問題あるか?」
「それでいいと思うわ。正当防衛とはいえ河原崎さんを撃ったのは本当だし、水無瀬の自殺で全部丸く収まれば、ハッピーエンドでの幕引きになるしね」
 流れる景色を眺めながら、小夜子は鼻歌を鳴らした。松田聖子の赤いスイトピーだ。エイティーズの懐メロ攻撃で、すっかり洗脳されたのかもしれない。
「それにしても、一番災難だったのは五反田さんよね。たまたま寄っただけで、あんな目に遭わされたんだから」
「……」
 高野内は何故か反応しない。何か考え事でもしているのだろうか。
「ちょっとどうしたのよ! 私の話ちゃんと聞いてる?」
「……あ、ああ。……そうだな。五反田さんが最大の被害者かもな……」
 どうも歯切れが悪い。やはり何か思うところでもあるのかもしれない。そこで小夜子は話題を変えることにした。
「ねえ、訊いてもいい?」
「駄目だ!」高野内は即答した。
「じゃあいい」小夜子はそっぽを向く。
「……気になるじゃないか。さっさと訊けよ」
 面倒くさいやり取りだが、小夜子は意外と気に入っている。
「水無瀬は車で逃亡するつもりだったのよね。だったら立て籠もりなんてせずに、キーを取り上げた時点で、とっとと逃げれば良かったんじゃないの?」
「それは……」
「何? 考えがあるなら答えて」
「奴にも事情があったんだよ。どうしてもあそこに留まらなければならない深刻な事情が」
「それって?」
 高野内は返事をしようとはしない。つまり、それが答えということだ。

 田舎の一本道をスタコラと走るレンタカー。
 ラジオからはいつの間にか『横山耕太のよこしまラジオ』の再放送に変わっている。今回のゲストは“何とかなる子”とかいう怪しげな女性だった。
「ねえ、もう一つ判らないことがあるんだけど」
「何だい? 俺の天才の秘密が知りたいのならば、特別に教えてやらないこともないが」
「そんなの別にどうでもいいわ。一ミリも興味ないから」
「ちょっとは興味を持ってくれよ! ……で、何が判らないんだ?」
「あなたが病院へ電話した時、お前なんか知らないって切られたでしょう? 何故だったのかしら」
「ああ、あれか。最初は俺の演技がマズかったのかと思っていたけど、後でやっと理由が判明したよ」
「違ったの?」
「そうだ。奴の本名は水無瀬じゃなかったのさ」
「え? そうだったの?」
 ハンチング帽の男の正体は水無瀬では無かったというのは、いったいどういう事だろうか。でも水無瀬が否定しなかったということは、名前当ての時にわざと違う名前を書いたに違いない。
「一杯食わされたのさ。確認したわけじゃないが、奴の本名はおそらく竹野内で間違いない。俺と一字違いだ。名前当ての推理を持ち掛けたのもそのせいだろう。だからわざと違う名前を最初に書きやがったのさ。まさか奴の本名が竹野内だとは誰も思わないだろうからね。今思えば病院へ電話した時、素直に本名を名乗っていれば、通じたかもしれないな。……皮肉なもんだぜ」
「でも、どうしてそれが判ったの? 最初に書かれたのが水無瀬だったとしても、他にも八つの名前が書いてあったんでしょう?」
 道の先に都内を示す標識が見えた。高野内は看板の指す方にハンドルを切る。

「実は……水無瀬以外の八枚は、全て竹野内と書いてあったんだ。馬鹿にしやがって!」
 水無瀬……いや、竹野内のしたたかさに、小夜子は腹を抱え涙が出るほど大笑いした……。
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