第4話 完結

文字数 2,203文字

「それは他のみんなにも言える事です。マスターの西木屋源助さんと娘の麗奈さん、河原崎君に石内山沙里さん、そしてもちろん国長野智一さんも全員被害者です。そういえば河原崎君は助かったみたいですよ。大量に打たれた麻酔のせいか、店での事はほとんど思い出せないみたいですけど。……それに私と小夜子は単に推理ゲームを楽しんだだけで、却って感謝しているくらいです」
 半分は本心だ。感謝しているとまではいかないが、あんなスリルを味わうなんて、滅多にある機会はない。貴重な体験だと思えば、腹の虫も収まるってもんだ。小夜子がどう思っているかは知らないが。
「例えそれが本心じゃないとしても、そう言ってもらえると少しは報われます。結局、大金を手にすることは出来なかったけれど、少しずつでも借金を返して、いずれ償いはするつもりです」彼女の瞳は真剣そのもの。本気であることに疑う余地はない。
「ちなみにその借金はどれくらい残っているんですか?」
 彼女はすぐに答えた。「五百万です。前の夫が闇金から無理して借りた金ですから、金利がもの凄くて」
 高野内はポケットから現金の束を取り出すと、カウンターにポンと放り投げた。五反田の目が丸くなる。
「三百万あります。返済の足しにでもしてください。実は警察が来る前に、ボストンバッグから一千万ほど拝借していたのです。もちろんマスターと沙里さんにも同額渡しました。どうせ元々は組織の連中が大麻の密売で儲けた金です。丸々返すのは勿体ないじゃありませんか。私も推理した報酬として百万だけ頂きました。小夜子には内緒ですよ。もしかしたら、アイツも気づいているかもしれないけど」
 ウインクをしながら笑顔を見せる高野内。いつの間にか五反田の目には涙がこぼれていた。
「ありがとうございます。天国の竹野内もきっと喜んでくれているでしょう。……こんな小さなスナックですが、彼の分まで精一杯生き抜いていこうと思います」深々と頭を下げ、丁寧に礼を言うと、最高の微笑みを浮かべた。
 二つのグラスに今度はブランデーを注ぎ、五反田は、おごりよと片方のグラスを薦めた。高野内はそれを取り、彼女と目を合わせると、今は亡き国長野と麗奈に乾杯を捧げる。もちろんハンチング帽の彼にもだ。
「ところで高野内さん、よくこの店が判りましたね。マスターにも教えていなかったのに」
「ええ、これでも探偵ですからね。あなたの名前を使って必死に調べました。これでも一応探偵なんでね。五反田博己という名前が偽名ならば、正直お手上げでしたが、警察の事情聴取の際にその名前が聞こえて、本名だと確信しました。それからスナックを片っ端から調査して、ここを割り出したという訳です。あなたは毎週月曜日にエイティーズに通っていると言ってました。ここの店休日も同じですよね。それも決め手の一つでした」
「さすがは名探偵さんね。常連になってほしいけど、やっぱり止めておくわ。あなたの顔を見ると、つい彼を思いだしてしまいそうだから。……名前も似ているしね」
 微笑を浮かべる五反田に迷いの色はもう無いように見えた。
「良かったら教えてくれませんか? 竹野内の下の名前を。まさか俺と同じ和也じゃないでしょうね」
 五反田の目が妖艶に光る。
「そのまさかよ」
「えっ? 本当ですか?」
 しかし、顔がほころぶと、ふふふっと声に出して吹き出した。
「冗談よ。彼の本名は竹野内豊。そう、有名な俳優さんと同じね。ここで初めて会った時、彼はその俳優さんと違って自分の人生は全然豊かじゃないと笑っていたわ。もっとも、それが本名だったとは限りませんけどね。ひょっとしたら私も騙されていたのかも。ふふふっ」
 三本目のフィリップに火をつけると、高野内はその煙を思い切り吸い込む。
 そして、ある事を思い出すと五反田に告げた。
「そういえばこんな話を知ってますか? 昔、ある飛び切りの美女が親友にこう言った。『これから道で出会う全ての男性に“ねえ、薔薇の花束を私にくれたら、あなたと結婚してあげてもいいわ”と言うつもりよ』と。そしたらどうなったと思います?」
 何の脈絡もない突然の質問に、五反田は戸惑う様子を見せる。少し首を捻るも、彼女は顔を振った。
「……判らないわ。答えは何? 教えて」
「残念ながら知らないんです。人づてに聞いた話なので」
「どうしてそんな話をするワケ? ひょっとして、からかっている?」
「そうではありません。もしかして、あなたなら知っているかもしれないと思っただけで。私としては話の続きなんてどうでも良いのですが、小夜子のやつが、どうしてもオチが知りたいとうるさくてね」
 それから雑談を交わした後、さよならを告げてスナックを後にした。
 ドアにかけられた札は準備中のままで、数秒後に明かりが消えた。

 吹き抜ける春風が高野内の頬を冷たくあしらう。
 沈み切った夕陽は雲にかかる満月に主役を奪われた格好で、なりを潜めている。半分だけの星空 を見上げ、冷たい空気を一気に吸い込むと、胸のもやもやが少しだけ晴れたような気がした。
 駐車場に止めてある車のドアに手を掛けた瞬間、高野内はある事を思い出した。

「しまった! ガソリンスタンドの場所を訊くのを忘れてた。今さら戻るのも恥ずかしいし、このままガス欠にでもなったら、小夜子に何て言い訳しよう!?」
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