第2話

文字数 2,176文字

 ゴトッ。
 背後から重く鈍い音が鳴った。
 どうやら黒い光を放つ金属の塊が、男のジャンバーの内ポケットから落ちたようだ。立ち上がってそれを拾い上げると、ハンチング帽の男に手渡す。見た目に反して、重量があるのを感じたが、特に気にすることは無かった。
「モデルガンですか。仕事柄、私も詳しくてね。その形状だとイタリア製のベレッタM9ってところですか。しかし、最新モデルのレプリカとしては塗装が古いですね。もっと……」
 バーン!
 銃声が轟き、店内が揺れた。天井から小さな破片と埃がパラパラと舞い落ちる。みな、一瞬にして凍り付き、さながら小さな戦場と化していた。
 場違いと思える程、松本伊代の不安定な歌声が室内を揺らす。それが却ってこの舞台を異様な雰囲気に演出していた。
 ハンチング帽の男は拳銃を持った腕を天井から下ろし、素早く両手で構える。素人ではなく明らかに手慣れた構えだった。隙を見せない動作から表の人間ではないことは明白である。男は動くなと叫びながら、銃口を順番に向けた。
 右足を引きずりながら後ずさりでゆっくりと入り口のドアの前に移動し、内側から鍵を下ろす。誰も店から出さないつもりだ。
 小夜子は小声で耳打ちする。「なんで黙って返したのよ。本物に気づかないなんて、それでよく名探偵を名乗れるわね」しょげ返る高野内、返す言葉が見つからなかった。
 ハンチング帽の男は血走った目で、「見られたからには仕方ねえ。いいか、変な気を起こすんじゃねえぞ! 俺の言う事を黙って聞きさえすれば、痛い目に合うことは無え。……判ったか!!」みな、一斉に頷く。
 店の奥のテーブルの前にその場にいた全員が集められた。もちろんカップルの二人も例外ではない。高野内はこの時、初めて二人をしっかりと見ることができた。
 彼氏の被っている黒のキャップには、NY(ニューヨークヤンキース)のロゴがプリントされている。橙色と黒の派手なスカジャンと膝までのダメージジーンズ。かかとの潰れた白いスニーカーに開けた胸元からは、細い金のネックレスがちらりと見える。身長は百七十センチくらいで、やせ型ながら腕は太く、日ごろから鍛えているのが、ありありと判る。
 茶髪の彼女はというと、背丈は彼氏より少し低く、ひと昔前のホステスのような濃いめの化粧を施している。一見、大人びた印象を与えるが、漏れ聞こえてきた会話の内容から、彼氏とあまり変わらない年齢であることは確かなようだ。タータンチェックのブラウスに空色のパンツ。ブラウンのローファーはまだ買ったばかりなのか光沢が輝いて見える。左手には細い腕時計がさらりと目に入ったが、年齢の割には落ち着いたデザインで、失礼ながら、似つかわしくない印象だ。もしかすると一緒にいる彼氏からのプレゼントかもしれないが、もし、そうだとすれば、かなり奮発したに相違ない。彼氏の想いが偲ばれる。
 互いに寄り添い、カップルの二人は、その手をしっかりと握り合っていた。

 男は銃を構えたまま、テーブルの上に携帯電話と車の鍵を置けと声を荒げた。
 それぞれが震えながらスマホや車の鍵を取り出し、恐る恐るといった感じで並べる。それが終わると、今度は西木屋麗奈に銃口を向ける。
「おい、そこの娘! 何でもいいからその携帯を袋に詰めろ。車の鍵は俺が預かるから、そのままでいい。……判ったらさっさとやれ!」
 立ちすくむ麗奈は口をパクパクさせるだけで、全く動かない。それほど怯えている証拠だ。
 そこで父親の西木屋源助が男の前に立ちはだかった。
「代わりに自分がやります。それが店主である私の役目ですから」
 好きにしろとの合図なのか、男は顎で厨房を指す。
 マスターはカウンターの中に入ると、少し屈んでキャビネットを開き、大きめの茶色い布袋を取り出した。
「これでいいか?」マスターはその袋を上に掲げて、男の返事を待つ。袋の表面には何やら英語の文字が並んでおり、どうやらコーヒー豆を入れる専用の袋のようだった。結べるようにするためなのか、口のところに紐が通してある。
 男は再び顎で指す。マスターは男の指示通り、厨房からテーブルに移動し、慎重に携帯を袋に入れる。テーブルには車の鍵だけが残った。
「よし、今度は袋の口を縛れ」
 指示されるままに縛り上げると、ゆっくりとテーブルに乗せた。
「よし、今度は水の入ったバケツを用意しろ! もちろんたっぷりとな」
 男の狙いが手に取るように判った。おそらく奴は水の中に携帯を沈めて、使えないようにするつもりなのだろう。
 予想通り、男は水の溜まったバケツに袋を入れさせると、自分の足で何度も沈めた。
 やがてバケツを持ち上げ、カウンターの天井から吊り下がっているフックにかけるよう、マスターに命令した。かなりの念の入れようだ。この男、やはり只者ではない。
 ハンチング帽の男は、テーブルに残った車の鍵を回収してジャンバーのポケットに突っ込んでいく。
 それが終わると再びマスターに銃口を向け、顎でスピーカーを指した。
「おい、この音を何とかしろ! さっきから神経を逆なでして、耳障りなんだよ」
 マスターは再び厨房に入り、CDプレーヤーのスイッチを落とす。
 ちょうど西村知美からおニャン子クラブに変わった瞬間であった。
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