第1話 An Innocent Victim to Mocha
文字数 3,585文字
峰ヶ丘小夜子は、奥の床に運ばれた国長野智一の冷たい顔を見下ろしていた。
すぐ隣りには河原崎慎吾の血の跡が見える。死体を目の当たりにするのは、これが初めてでは無かったが、この恐怖と悲しみは何度経験しても慣れるものではない。
誰が彼を殺したの? まさか事故? それとも自殺……。
いろんな思いが頭の中を駆け巡ると、自然と涙がこぼれ落ちていく。
高野内和也は虚ろげな色を見せながら、肩にそっと手を乗せると、中央のテーブル席へ座るように促してきた。
カウンター席には石内山沙里が顔を伏せながら何かを唸り、となりに腰を据えている西木屋麗奈は背中をさすっていた。
入り口近くのテーブルに座る水無瀬はというと、国長野の死体などまるで最初からなかったかのように、鼻歌を唄いながら拳銃をハンカチで磨いている。
高野内は両手を上げながら水無瀬に近づくと、こう進言した。
「やっぱり警察を呼びましょう。人が死んでいるんです。水無瀬さん、あなたは逃亡して構いませんが、彼の亡骸をこのままにしておくわけにはいきません。……絶対にあなたのことは言いませんから」
しかし、水無瀬は首を縦には振らなかった。
「駄目だ! たとえあんたが言わなくても、他の誰かがしゃべるだろうし、逃げたところで真っ先に疑われるだろうが。現に二発もこいつをぶっ放しているんだからな」
拳銃を高野内に突き付けると、席に戻れと顎で示す。平静を装いながら彼自身もこの状況にどう対処すべきか悩んでいるのかもしれない。その証拠を示すように水無瀬は言った。
「そうだ! こいつがなぜ死んだのか推理してみろよ。名探偵なんだろ? 死体と来ればあんたの出番だ。警察に美味しいところを持っていかれる前に、さっさと解決してみせてくれ。もし、納得のいく答えだったら、ボーナスとして百万渡すぜ。……ただし、タイムリミットはマスターが帰ってくるまでの間だ」左手を伸ばし、腕時計を見る。「……あと一時間ってところか。俺に見せてみろ。さっきの名前当てみてえなガキの手品じゃなくて、本物の推理ってやつをよ!」
こらえきれなくなった小夜子は、ずかずかと水無瀬の前に立ち、威勢よくテーブルを叩くと、大声で啖呵を切ってみせた。
「あのね! これはゲームじゃないの。いくら何でもこの状況で推理してみろですって? 冗談じゃないわ。国長野さんはきっと自殺したのよ。見たでしょう? 彼はこの状況に耐え切れず、隠し持っていた毒を飲んで自ら死を選んだのよ。最後の一服の時にね」
「あんたも同じ意見か、名探偵の先生」
アドバイスを求めるかのごとく、水無瀬は高野内の顔を見上げた。
「私はとっくに真実を見抜いています。少なくとも国長野さんは自殺ではない。何故なら、もし自殺だとすれば、わざわざあんなタイミングを選ばないからです。……峰ヶ丘の言う通り、自殺だったらと仮定しましょう。もし、彼が自ら用意していた毒を呑んだとすれば、それはいつだったか? 一番考えられるのは、みんなでコーヒーを飲んだ時でしょう。ですが彼がコーヒーを飲んだのは、あのテーブルに私とコイツと沙里さん、そして国長野さんの四人が座っていた時です。いくらなんでも、そんな状況で誰にも気づかれずに毒を呑んだとはとても思えない。確かにコーヒーを飲んだ時にむせ返りはしたが、特に異変は見られませんでした。……では、コーヒーを飲む前だったのでしょうか? それもあり得ない。どんな毒だったかは検死してみないと判りませんが、いずれの毒だったとしても、もっと早い段階、少なくともコーヒーに口をつけるずっと前に呑んでいたはず。ならばその時点で息を引き取ったでしょう。なのに彼が死んだのは煙草を吸った直後。これは明らかに死ぬ寸前、少なくとも数分前に呑んだと言わざるを得ません」なるほどと水無瀬は頷いた。
推理に疑問を持った小夜子は、ある可能性を示唆した。
「じゃあ、もっと即効性のない、例えばトリカブトのような毒物だったらどうなの? あれだと服用してから数時間が経たないと症状が現れないないと聞いたことがあるわ。……もしくはカプセルを使ったとか」
しかし高野内はいとも簡単に反論してきた。
「頭脳明晰なお前にしては、お粗末な推理だな。勘違いしているようだが、トリカブト自体に効き目を遅らせる効果は無い。昔、保険金殺人で話題になった事件では、別の薬草と組み合わせて効果を遅らせ、苦みが判らないようにカプセルに入れられたうえに、持病の薬だと騙して呑まされたんだよ。当然、配合には専門的な知識がいる。一介の建設会社の課長さんにそんな真似が出来ると思うかい? 仮に国長野さんがカプセルを使用していたとしても同じことだ。カプセルを幾重に重ねたとしても、毒の成分が効き出す時間はほとんど変わらないことは既に立証されている。仮に効果が現れるのに時間がかかる毒があったとしよう。小夜子、お前だったら自殺する時に、そんな時限爆弾のような毒をわざわざ選ぶか? 自分があと数時間でこの世を去る。そんな恐怖なんて、普通はとても耐えられない。うつ病などで普段から死を意識していたのなら話は別だがな。……だがお前も知っている通り、国長野さんは数時間前、麗奈さんをナンパしたくらいだから、とてもうつ病だとは考え難く、早い時点で毒を呑んでいたとも思えない。衝動的だったとしても、一般的な毒には口に入れると耐えられない程の激しい苦みがある。無理矢理飲み込むとすれば、やはりカプセルに入れるか味の濃い飲み物に混ぜないと難しいだろう。したがって国長野さんには、自ら毒を呑むタイミングが無かった――。判ったかね、万年アシスタントの峰ヶ丘くん」
人差し指を立てて、その指をアシスタントに向けている。軽く頭を傾げた探偵は、得意げに口を歪めるのが見えた。
「さすがだ。自殺説をこうもあっさりと否定するんだからな。この調子で犯人をあぶり出してくれ」
「今のは子供でもわかる理屈です。まあ、子供以下の生徒会長もたまにはいますけど」ぐうの音も出ない小夜子は頬を膨らましながら、勝ち誇るような顔の高野内を見上げた。「だが、私の推理はここまで。あとは警察に任せましょう。私の出る幕じゃありません。犯人の予想は付いていますけどね」
また余計なことを……。小夜子は嫌な予感がした。
予感は的中し、水無瀬は挑戦的とも取れる台詞を吐いた。
「本当に犯人が判っているのなら、今すぐ指摘してみろ! どうせハッタリだろ? 時間稼ぎでもして俺の隙を伺おうたって、そうはいかねえぜ!!」
その言葉に反応したのか、怒り顔の高野内は水無瀬の前に足を鳴らして歩み出た。
「そんな事は無い! 私は罪を犯した人物に自ら名乗り出て欲しいだけです。その人の尊厳のためにも。それに真実を暴いたところで国長野さんは生き返らない!」
高野内はこぶしを握り締めると、小夜子の時と同じように勢いよくテーブルに叩きつけた。吸殻の積もった灰皿が、一瞬音を立てて舞い踊る。彼は真剣な表情で水無瀬を見つめている。探偵としてのプライドの表れなのだろうかと少し見直した。
水無瀬はそれに怯まず、指を二本立てて顔をニヤつかせる。
「判った。二百万だそう」
「犯人はこの中にいます!」条件反射のように軽く言いのける高野内。
なんという変わり身の早さ。推理しないと宣言しつつ、挑発や金にはめっぽう弱い、典型的ないつものパターンだ。おそらく彼は犯人を特定できていない。小夜子はこれまでの付き合いからそれを察していた。もっとも挑発に弱いのは小夜子にも言えることなのだが……。
「これから名探偵である私の純然たる使命として、真実を解明するために、ここで推理を披露したいと思います。……もちろんこれは私欲ではなく、突然亡くなった国長野さんへの弔いなのであります!」よくもまあ白々しい。金の話が出た途端にコレである。
そんな小夜子の気持ちを知ってか知らずか、高野内は軽く咳ばらいをすると、右手を胸に当てながら深くお辞儀をした。まるで演奏前の指揮者のようである。指揮者との決定的な違いは、全く拍手が起きないということだった。
「まずは簡単に事件を整理したいと思います。少々回りくどいですが、それが結果的に犯人を浮かび上がらせることとなり、読者も判りやすくなるからです」
まさか時間稼ぎだとは言えないのだろうと、小夜子は察した。
「後半の方は何のことかよく判らねえが、とにかく早く進めろ。残り時間はあまりねえぞ。マスターが帰ってきたら、そこでジ・エンドだ!」
バァーン! と大げさに声を上げて、水無瀬は撃つ真似を見せた。
高野内は胸を軽く叩き、少しだけまぶたを閉じると、ひと呼吸終えたらしく、やがてその目を見開いた。
すぐ隣りには河原崎慎吾の血の跡が見える。死体を目の当たりにするのは、これが初めてでは無かったが、この恐怖と悲しみは何度経験しても慣れるものではない。
誰が彼を殺したの? まさか事故? それとも自殺……。
いろんな思いが頭の中を駆け巡ると、自然と涙がこぼれ落ちていく。
高野内和也は虚ろげな色を見せながら、肩にそっと手を乗せると、中央のテーブル席へ座るように促してきた。
カウンター席には石内山沙里が顔を伏せながら何かを唸り、となりに腰を据えている西木屋麗奈は背中をさすっていた。
入り口近くのテーブルに座る水無瀬はというと、国長野の死体などまるで最初からなかったかのように、鼻歌を唄いながら拳銃をハンカチで磨いている。
高野内は両手を上げながら水無瀬に近づくと、こう進言した。
「やっぱり警察を呼びましょう。人が死んでいるんです。水無瀬さん、あなたは逃亡して構いませんが、彼の亡骸をこのままにしておくわけにはいきません。……絶対にあなたのことは言いませんから」
しかし、水無瀬は首を縦には振らなかった。
「駄目だ! たとえあんたが言わなくても、他の誰かがしゃべるだろうし、逃げたところで真っ先に疑われるだろうが。現に二発もこいつをぶっ放しているんだからな」
拳銃を高野内に突き付けると、席に戻れと顎で示す。平静を装いながら彼自身もこの状況にどう対処すべきか悩んでいるのかもしれない。その証拠を示すように水無瀬は言った。
「そうだ! こいつがなぜ死んだのか推理してみろよ。名探偵なんだろ? 死体と来ればあんたの出番だ。警察に美味しいところを持っていかれる前に、さっさと解決してみせてくれ。もし、納得のいく答えだったら、ボーナスとして百万渡すぜ。……ただし、タイムリミットはマスターが帰ってくるまでの間だ」左手を伸ばし、腕時計を見る。「……あと一時間ってところか。俺に見せてみろ。さっきの名前当てみてえなガキの手品じゃなくて、本物の推理ってやつをよ!」
こらえきれなくなった小夜子は、ずかずかと水無瀬の前に立ち、威勢よくテーブルを叩くと、大声で啖呵を切ってみせた。
「あのね! これはゲームじゃないの。いくら何でもこの状況で推理してみろですって? 冗談じゃないわ。国長野さんはきっと自殺したのよ。見たでしょう? 彼はこの状況に耐え切れず、隠し持っていた毒を飲んで自ら死を選んだのよ。最後の一服の時にね」
「あんたも同じ意見か、名探偵の先生」
アドバイスを求めるかのごとく、水無瀬は高野内の顔を見上げた。
「私はとっくに真実を見抜いています。少なくとも国長野さんは自殺ではない。何故なら、もし自殺だとすれば、わざわざあんなタイミングを選ばないからです。……峰ヶ丘の言う通り、自殺だったらと仮定しましょう。もし、彼が自ら用意していた毒を呑んだとすれば、それはいつだったか? 一番考えられるのは、みんなでコーヒーを飲んだ時でしょう。ですが彼がコーヒーを飲んだのは、あのテーブルに私とコイツと沙里さん、そして国長野さんの四人が座っていた時です。いくらなんでも、そんな状況で誰にも気づかれずに毒を呑んだとはとても思えない。確かにコーヒーを飲んだ時にむせ返りはしたが、特に異変は見られませんでした。……では、コーヒーを飲む前だったのでしょうか? それもあり得ない。どんな毒だったかは検死してみないと判りませんが、いずれの毒だったとしても、もっと早い段階、少なくともコーヒーに口をつけるずっと前に呑んでいたはず。ならばその時点で息を引き取ったでしょう。なのに彼が死んだのは煙草を吸った直後。これは明らかに死ぬ寸前、少なくとも数分前に呑んだと言わざるを得ません」なるほどと水無瀬は頷いた。
推理に疑問を持った小夜子は、ある可能性を示唆した。
「じゃあ、もっと即効性のない、例えばトリカブトのような毒物だったらどうなの? あれだと服用してから数時間が経たないと症状が現れないないと聞いたことがあるわ。……もしくはカプセルを使ったとか」
しかし高野内はいとも簡単に反論してきた。
「頭脳明晰なお前にしては、お粗末な推理だな。勘違いしているようだが、トリカブト自体に効き目を遅らせる効果は無い。昔、保険金殺人で話題になった事件では、別の薬草と組み合わせて効果を遅らせ、苦みが判らないようにカプセルに入れられたうえに、持病の薬だと騙して呑まされたんだよ。当然、配合には専門的な知識がいる。一介の建設会社の課長さんにそんな真似が出来ると思うかい? 仮に国長野さんがカプセルを使用していたとしても同じことだ。カプセルを幾重に重ねたとしても、毒の成分が効き出す時間はほとんど変わらないことは既に立証されている。仮に効果が現れるのに時間がかかる毒があったとしよう。小夜子、お前だったら自殺する時に、そんな時限爆弾のような毒をわざわざ選ぶか? 自分があと数時間でこの世を去る。そんな恐怖なんて、普通はとても耐えられない。うつ病などで普段から死を意識していたのなら話は別だがな。……だがお前も知っている通り、国長野さんは数時間前、麗奈さんをナンパしたくらいだから、とてもうつ病だとは考え難く、早い時点で毒を呑んでいたとも思えない。衝動的だったとしても、一般的な毒には口に入れると耐えられない程の激しい苦みがある。無理矢理飲み込むとすれば、やはりカプセルに入れるか味の濃い飲み物に混ぜないと難しいだろう。したがって国長野さんには、自ら毒を呑むタイミングが無かった――。判ったかね、万年アシスタントの峰ヶ丘くん」
人差し指を立てて、その指をアシスタントに向けている。軽く頭を傾げた探偵は、得意げに口を歪めるのが見えた。
「さすがだ。自殺説をこうもあっさりと否定するんだからな。この調子で犯人をあぶり出してくれ」
「今のは子供でもわかる理屈です。まあ、子供以下の生徒会長もたまにはいますけど」ぐうの音も出ない小夜子は頬を膨らましながら、勝ち誇るような顔の高野内を見上げた。「だが、私の推理はここまで。あとは警察に任せましょう。私の出る幕じゃありません。犯人の予想は付いていますけどね」
また余計なことを……。小夜子は嫌な予感がした。
予感は的中し、水無瀬は挑戦的とも取れる台詞を吐いた。
「本当に犯人が判っているのなら、今すぐ指摘してみろ! どうせハッタリだろ? 時間稼ぎでもして俺の隙を伺おうたって、そうはいかねえぜ!!」
その言葉に反応したのか、怒り顔の高野内は水無瀬の前に足を鳴らして歩み出た。
「そんな事は無い! 私は罪を犯した人物に自ら名乗り出て欲しいだけです。その人の尊厳のためにも。それに真実を暴いたところで国長野さんは生き返らない!」
高野内はこぶしを握り締めると、小夜子の時と同じように勢いよくテーブルに叩きつけた。吸殻の積もった灰皿が、一瞬音を立てて舞い踊る。彼は真剣な表情で水無瀬を見つめている。探偵としてのプライドの表れなのだろうかと少し見直した。
水無瀬はそれに怯まず、指を二本立てて顔をニヤつかせる。
「判った。二百万だそう」
「犯人はこの中にいます!」条件反射のように軽く言いのける高野内。
なんという変わり身の早さ。推理しないと宣言しつつ、挑発や金にはめっぽう弱い、典型的ないつものパターンだ。おそらく彼は犯人を特定できていない。小夜子はこれまでの付き合いからそれを察していた。もっとも挑発に弱いのは小夜子にも言えることなのだが……。
「これから名探偵である私の純然たる使命として、真実を解明するために、ここで推理を披露したいと思います。……もちろんこれは私欲ではなく、突然亡くなった国長野さんへの弔いなのであります!」よくもまあ白々しい。金の話が出た途端にコレである。
そんな小夜子の気持ちを知ってか知らずか、高野内は軽く咳ばらいをすると、右手を胸に当てながら深くお辞儀をした。まるで演奏前の指揮者のようである。指揮者との決定的な違いは、全く拍手が起きないということだった。
「まずは簡単に事件を整理したいと思います。少々回りくどいですが、それが結果的に犯人を浮かび上がらせることとなり、読者も判りやすくなるからです」
まさか時間稼ぎだとは言えないのだろうと、小夜子は察した。
「後半の方は何のことかよく判らねえが、とにかく早く進めろ。残り時間はあまりねえぞ。マスターが帰ってきたら、そこでジ・エンドだ!」
バァーン! と大げさに声を上げて、水無瀬は撃つ真似を見せた。
高野内は胸を軽く叩き、少しだけまぶたを閉じると、ひと呼吸終えたらしく、やがてその目を見開いた。