第6話

文字数 5,673文字

「そうか、じゃあ二百万は要らねえんだな。せっかくの三百万のチャンスも、あんたにとっては小遣い銭って訳か」
「ちなみに、もし、あなたの目的を言い当てることに失敗したらどうなるんでしょうか?」
「何だ、ちったあ興味あんのか。……そうだな、もちろんこの中の誰かに死んでもらうしかねえだろうな。あんたでもいいぜ、高野内さんよ」
 銃口を高野内の鼻頭に向けた。
「やはりそうですか。推理自体は簡単ですが、万が一、的中しなかったことを考えると、そんな危険なゲームは出来ませんね。……残念です。三百万が欲しい訳じゃありませんが、退屈しのぎくらいにはなると思いましたが」
 芝居がかった調子が鼻についたのか、水無瀬は条件を翻す。「冗談だよ。簡単な推理ってんだから余程の自信がおありのようだ。間違えてもペナルティーは無し。もちろん当てれば三百万だ」
「私の推理はこうです」そう来ると思った。
 高野内のセコさは思う存分知り尽くしている。リスクが無いと判った途端、話に乗るのは当然の行為だ。と、思わずうなる小夜子であった。
 沙里もこのやり取りに関心を持ったのか、ジュディ・オングのポスターを眺めながら聞き耳を立てているふうに見える。
 五反田は探偵という職業を把握していないらしく、顎にある特徴的なホクロに指を当てながら、「あの人も竹野内というんですか」と言ってきたので、小夜子は高野内だと訂正する。あの有名俳優を思い浮かべたのかもしれない。本名だから仕方がないが、紛らわしい苗字だ。
 マスターはというと、相変わらずカウンターの席に顔を伏せながら肩を震わせていた。
 やがて高野内の見解が聞こえてくると、耳を澄まさずにはいられない。
「……まずあなたは小汚い――いや、年季の入った服装をしているにもかかわらず、ボストンバッグだけは不釣り合いなほど新品のように見えます。一体何故でしょうか? あなたの物ではないからです。あなたは闇医者に百万もの大金を渡し、さらに三百万もの金を出そうとしている――。つまりそのバッグの中には最低でも一千万、もしかすると五千万から七千万はあるでしょう。それに最初から本物だと見抜いていましたが、拳銃にしてもベレッタM9はそう簡単に手に入る代物ではない。おそらく裏ルートを使って入手したのでしょう。という事は、あなた自身にそっち方面の人脈があり、かつ、大金を手に入れる手段を知っていた事になります。……では、どうやってその大金を入手したのか? 強奪しようにも、ここら辺は畑と山ばかりで、銀行どころかコンビニすらも見当たらない。車に乗って来た様子もないから、遠くから逃走してきた訳でもなさそうだし、仮に車を使っていたとしても、何かのトラブル……例えばエンジントラブルかガソリンが切れたとかで、途中で乗り捨ててここまで歩いてきた――。こんな田舎町で大金が動くということは、考えられる可能性はただひとつ……まだ続けますか?」
 すると水無瀬はバンザイとばかりに両手を上げ、拳銃を握りしめたまま拍手を鳴らす。暴発したらどうするんだと小夜子は不安になった。
「判った、白状しよう。さすが名探偵だな、大筋は合ってるぜ……実はこの近くの山奥で、大麻を密かに生産している組織があるんだ。そこで俺は組織の男に取り入って取引の情報を掴んだ。そしてあんたの予想通り、裏の人間を使ってこの拳銃を手に入れたって訳さ。……昨夜遅く、取引現場に車で出向き、仲間のふりをしてこの大金の入ったバッグを奪い取って逃走を計ったんだ。……ところが逃げる途中でガス欠になっちまって、仕方なく車を置いて夜通し歩いた。お陰で体はヘトヘト、足もそのせいでイカレちまったし、気が付けばこの喫茶店に辿り着いたという寸法だ。結局、昨夜から一睡もしてねえから眠くて眠くてたまんねえ。もし、ホントに睡眠薬を盛られていたならイチコロだったぜ」
 なるほど、サングラスをしているのは人相を隠すためだけじゃなく、眠気で目が充血しているのを悟らせないためでもあったと思われる。だからさっきサングラスを外した時、赤い目をしていたのかと納得がいった。高野内も同意しているに違いない。
「実は惚れた女がいるんだ。やくざ者のこの俺にもな。あいつは俺を待っている。明日、都内の某所で落ち合う手はずになっているんだ。その女とは、去年、場末のスナックで知り合ったんだが、そいつはバツイチで、元の旦那が作った借金を返すために必死で働いていやがる。この金さえあれば借金なんてすぐにチャラさ。俺たち二人で誰も知らねえ土地にでも逃げて、そこで幸せに暮らすのが夢なのさ。本当は一緒に撮った写真でも見せてえところだが、しくじった時のために捨ててきた」
 涙ぐむ気配を見せると、水無瀬はそれを隠すように顔をそむけた。もちろん拳銃は構えたまま。やがてむせび泣く声が聞こえると、やりきれない気持ちになった。
 そんな水無瀬に同情したのか、五反田は大粒の涙を流しながら高野内の前に歩み出る。
「この人は悪くありません。話を聞いていると彼にも辛い理由があるみたいです。……水無瀬さん、自分を人質にしていいから一緒に逃げましょう」
「そうか、そこまで言ってくれるなら……」水無瀬は五反田の腕に手を伸ばす。
 するとマスターが声を上げた。
「五反田さん、それは駄目です。私が人質になります。これ以上犠牲者を増やしたくはありません。きっと娘も判ってくれると思います」
 続いて沙里が割って入る。
「だったら私が人質になるわ。信吾がいなくなってやっぱり寂しいの。私を可愛がってくれるならどこまでもついて行くわ」
 高野内は最後に我こそはと手を挙げた。
「仕方ありません。私が探偵として皆さんの身代わりになりましょう。安心してください。隙を見てバッグを奪おうなんて、これっぽっちも考えていませんから」
 考えているくせに。他の人はともかく、あなたの魂胆は見え見えなのよと、小夜子はため息をつかずにいられない。
「お前らいい加減にしろ! こうなったらバスでも手配するか? 俺は意地でもここから動かねえぜ!」みんなの態度が逆鱗に触れたようだ。当然、高野内がとどめを刺したのだが。
 高野内は前言をフォローするように告げた。
「しかし、こうして籠城を続けていても、いずれは組織に見つかるでしょう。ここから早く離れるべきです。絶対に警察には通報しません。あなたはやくざを気取っていますが、本当は心の美しい人です。その証拠に重症の河原崎君を、危険を承知で闇医者に運ばせた。……あなたを心配して言っているんです」
 それでも水無瀬は承知しなかった。
「そうかもしれねえ。だが、正直もうこれ以上動きたくねえんだ。約束する。夜が明けたらここを出て行ってやるから、それまで我慢してくれねえか」
 高野内は意見を求めるかのごとく、小夜子たち四人を見ている。マスターが麗奈を自由にしてやってくれと頼んだが、提案は聞き入れられず、これ以上誰も傷付けないことを条件に、みな、従うことになった。
「約束の金だ」
 水無瀬はテーブルの上に百万円の札束を三つ乗せる。それをじっと見つめる高野内はなぜか手を出さない。本当に貰っていいのか、悩み中のようだ。
「何だ要らねえのか。俺はどっちでもいいけどよ」
 途端に手を伸ばすと、「とりあえず今は貰っておきましょう。ゲームとはいえ仕事をした事には変わらないからね。これは後で寄付にでも回すとしましょうか」高野内は懐に仕舞った。
 寄付? 小夜子は耳を疑った。どうせそんな気はさらさらないくせに。以前にも増して目を細めながら高野内を軽蔑の眼差しで睨みつける。事務所の家賃も滞りがちなのに寄付なんて絶対あり得ない。探偵という職業は格好つけるのが仕事じゃないのかと本気で考え出していた。
 するとマスターは右手を挙げ、提案を申し出る。
「良かったらコーヒーを淹れましょうか? みんなもひと息入れたいでしょうし」
 先ほど飲んだばかりなので、喉は乾いていない。それにあんなことがあったので、出来れば遠慮したいところ。しかし、マスターの言う通り、ひと息入れたい気分でもあった。
「確かにそれは悪くないな。飛び切り濃いやつを頼むぜ。ただし、あんたの娘みたいに妙な真似をしたら、どうなるか判っているんだろうな」
 コクリと頷くと、マスターは厨房に入り、豆を挽き出した。コリコリというミルの音が何処か心地よい。そういえば麗奈のときはミルの音は聞こえなかった。きっと既に挽いてあるのを使ったのだろう。彼女の名誉のためにフォローしておくが、決して手を抜いたのではなく、味よりもスピードを優先させたと解釈すべきだ。あの状況では仕方がなかったと言える。
 やがて香ばしい匂いが漂ってくると、マスターはトレイにカップを乗せて配り、余計なものは淹れていませんよとアッピールするためなのか、サーバーに入ったコーヒーを直接、目の前で注ぎだした。つまり、全員が同じサーバーのコーヒーを飲むことになる。これでは仮に毒物などが混入されていた場合、全員があの世行きだ。マスターがよほどのサイコパスでなければあり得ないだろう。
 注ぎ終えたマスターは厨房の中に戻った。
 それでも警戒しているのか、水無瀬は全員のカップを何度か交換させると、ようやく口をつけだした。小夜子も香りを満喫した後、高野内や他の者も続いてそれを傾ける。マスターは満足げな笑顔を浮かべ、厨房の中でカップに口をつけていた。
 たった一杯のコーヒーで、こんなに気分が落ち着くとは思わなかった。小夜子は幸福に包まれ、地獄の中の一刻の天国を味わう。
 最後の一人が飲み終えると、マスターはカップを回収し、流し台で洗い始めた。
「あんたのお陰で多少すっきりしたぜ。……だが、コーヒーを飲んだばかりだってえのに、何だか眠くなってきやがった。やっぱりそろそろ限界みてえだな」水無瀬は欠伸を噛み殺している。
 小夜子もまぶたが重くなっていた。カフェインを摂取したとはいえ、疲労がピークに達したに違いない。みんなも俯き加減でぐったりとしている。
 すると水無瀬はボストンバッグをまさぐり、ロープを取り出した。
「悪いが、ひと休みさせてもらうぜ。あんたらを信用してない訳じゃねえが、一応拘束させてもらう。……おい、探偵。これでみんなを縛るんだ!」
 水無瀬は拳銃を高野内に向ける。仕方がないといった表情でロープを掴むと、高野内は、「苦しいでしょうが我慢してください、もう少しの辛抱です」と、マスター、沙里、五反田、そして小夜子の順番で、足首と両手を後ろに縛り上げた。そして最後に水無瀬が高野内を縛ると、緩みが無いか、全員分確かめたうえで、店の奥にひとまとめにして座らせた。傍らには国長野の遺体があったが、それを気にするものは誰もいない。
 五反田だけが蒼白い顔をして、一番離れた位置を取った。

 ようやく安心したのか、水無瀬はテーブルにうつ伏せになると、やがて静かな寝息が聞こえてきた。しかしその手には拳銃が握られ、隙をつくのは容易ではなさそうである。
 小夜子は必死でロープを動かしてみたが、それが緩むことは無かった。他のみんなも同様にもじもじさせているが、脱出に成功する者はいない。
「ねえ、私達これからどうなるの?」小夜子は訊いた。高野内は体をよじり、少しだけ顔を向ける。
「今は水無瀬を信じるしかない。おそらく奴の言った事は本当だろう。あいつもテンパっていて冷静な判断が出来ないでいるんだ」
 マスターは不安げに囁き声を出した。
「本当に信用していいのでしょうか? 今は眠っているからいいようなものの、もし、途中で目覚めて娘に変な気を起こしたらと思うと……」
 すると今度は沙里が口を広げる。
「私も信吾が心配だわ。水無瀬は大丈夫みたいなこと言っていたけど、あんなに血が流れていて今にも死にそうだったのよ」
彼女もまた河原崎の事が気になる様子だが、どこか本心ではないような気がした。さっき水無瀬に迫ったのは、案外本気だったかもしれない。だとすると沙里をその気にさせたのは、この特殊な状況のせいとも思えた。
 高野内は諭すように、「あなた方の気持ちは判ります。ですが、私の推理があったにせよ、水無瀬は自分の置かれた状況を素直に話してくれたんです。それも何のリスクも考えずに。それだけを取ってしても、奴は信用できる男です。きっと言葉通り、夜が明けたらここを出て行くつもりでしょう。それからゆっくりと通報すればいいんです。さっき報酬としてもらった三百万円は慰謝料として皆で分けましょう。ボストンバッグにはまだ大金が入っているでしょうが、さすがにそれに手を付ける訳にはいかないでしょうからね。それこそ全員が殺されてしまいます」と、苦笑いをした。
 その言葉に小夜子は驚きの色を隠せない。
 あのがめつい高野内が三百万を分けるだなんて到底あり得ない。しかし、なんだかんだ言っても、彼は人としての分別のある男なんだなと見直し始めた。だが、実際に開放されるまでは油断できないと再び思い直す小夜子であった。ああ、忙しい。
 五反田は泣き交じりの声で「どうしてこんな事に……」と何度もつぶやいていた。確かに五反田にしてみれば、偶然、この店にやってきただけで、とばっちりもいいところ。それはみんなにも言えることだが。
 横たわる国長野の屍を、沙里は無言で見つめている。その目は何処かはかなげで、きっと明日は我が身とでも思っているのだろう。
 やがて時計が十時を指し、フクロウの遠い鳴き声が聞こえてくる。小夜子はこれ以上まぶたを開けることが難しく、ゆっくりと仰向けになる。みんなも苦しい体勢ではあったが、それぞれ身を倒して眠りについたようだ。

 更けゆく春の夜長、これからまた悪夢が続くのを知る者は誰もいない。
ある人物を除いては……。
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