第2話

文字数 2,725文字

「うわあああ!」
 地獄からの叫びのようなマスターの悲鳴が店内にこだまする。確か娘の麗奈を助けるために物置へ行ったはずだ。一体何があったというのだろうか? 正直悪い予感しかしない。
 五反田を除く全員が物置へ駆け付けると、マスターは膝をついて大声で泣き喚いている。物置の扉は横に開かれており、蒼白い顔の麗奈が床に足を伸ばし、内壁にもたれかかるような恰好で座っていた。監禁された時と同じく、ロープで縛られ、さるぐつわをされたままの状態で、服装の乱れはない。だが、唯一注目すべき点があった。それは彼女の胸にナイフがしっかりと突き刺さっているという事実だ。既に息をしていないのは火を見るよりも明らかである。
 沙里は声の限りに悲鳴を上げ続け、小夜子は絶句してその場に座り込むと、虚ろな目を高野内に向けた。いつの間にか後ろにいた五反田は、またも腰を抜かした様子で、這いつくばりながらオロオロとうろたえている。
 マスターの嗚咽交じりの泣き声は、そのボリュームが下がることは無く、店内は悲劇の煙に燻されながら、憎悪の海に呑み込まれていくのであった。

 水無瀬と麗奈。
 突然現れた二つの死体。高野内が寝ている間に、一体何が起きたというのだろうか?

 叫び終えた沙里は声を枯らしながら言った。
「そんな……私、確かに聞いたのよ。……さっき眠りに入ろうとした時、物置の中から物音が聞こえてきたの。私はこの中で一番近くにいたし、音も小さかったから聞こえたのは自分だけかもしれないけど、きっと麗奈さんがロープを解こうとして悶えていたんだと思うわ。助けてあげたかったけど、どうする事も出来なくて……まさかあんな姿になるなんて……」
 沙里はぐったりと床に腰を下ろし、大粒の涙を流したが、誰も責める事など出来るはずは無かった。
 高野内は沙里の肩を抱きかかえながらテーブル席に座らせ、泣き濡れながら娘を抱きしめようとするマスターを「辛いでしょうが、警察が来るまでは触らないように」となだめすかし、どうにか落ち着かせると、今度は放心状態の小夜子に怒鳴りつけた。
「しっかりしろ! お前はそれでも名探偵の助手か! ちゃんと警察には通報したのか」
 すると小夜子は頷き、涙を滲ませながらもはっきりとした口調で口を開く。
「……ええ、連絡は済ませたわ。でも一番近い駐在所からでも相当離れているらしく、到着には二時間以上かかるみたい……私たちどうすればいいの」小夜子の手からスマホがずり落ちた。拾いあげると、既にバッテリーは限界らしく、電源を入れてもすぐにブラックアウトした。
震える小夜子の肩をそっと抱き、「大丈夫だ、お前はよくやった。今は何もしなくてもいい。とにかく休むんだ」と励ました。小夜子は黙って頷くと、そのまま床に寝そべり、まぶたを閉じた。
 それを見届けると、相変わらずホクロをいじりながら怯え切っている五反田を尻目に、今度は沙里の元へと移動する。彼女は少し元気を取り戻したのか、自分のスマホを操作しながら溜息をつくと、それを床に勢いよく投げつけた。
「駄目。全然電源が入らない。防水のはずだから大丈夫だと思ったんだけど、あれだけの長時間、水に浸かったままじゃ、さすがに壊れちゃったのね。今度はもっと頑丈な機種にしないと。……あ~あ、せっかくのデータが台無しだわ。ちなみに他のケータイでも試したけど全部駄目みたいよ」
「それは気の毒だったね。でも、命が助かっただけでも儲けものじゃないか。小夜子が通報したお陰でもうじき警察が到着する。それまで少し休んだらどうだい」
 話しているうちに、さっき見たばかりの悪夢を思い出し、少しドキリとした。
「でも、信吾のことが心配なんです。死体が三つになっちゃったでしょう? これで彼まで死んじゃったら。もう生きていられないわ。何とか病院に連絡できないかしら、警察が到着する前に」
 水無瀬のことなどまったく気にしていない様子。やはり、夕べのアレは本気では無かったようだ。
「そうだな、マスターに訊いてみよう。何か知っているかもしれない」
 高野内と沙里はカウンターで泣き伏せるマスターに駆け寄り、河原崎が運び込まれた病院について尋ねてみた。
「……ああ、あの病院なら覚えているよ。確か住所を書いた紙がまだ残っている筈だけど」
 そう言ってポケットをまさぐる。マスターは「あった」と声を上げると、四つ折りのメモ紙を取り出してカウンターに広げた。そこには病院の名前と住所が乱雑な字で記されてあったが、残念ながら電話番号は書かれていない。
「今から車を飛ばしてもいいが、警察が来るまではここを離れる訳にはいかないだろう。それに出来ればこのまま娘の傍にいてやりたい。例え私の声が永久に届かなくてもね」
 高野内はそれには及びませんと断りの手を振った。傷心のマスターをここから連れ出す訳にもいかないとの配慮だ。
 そこで妙案を思いついた高野内はポンと膝を打つ。
「そうだ! 水無瀬の携帯に通話記録が残っているかもしれない。奴の携帯はまだ生きているだろうし、リダイヤルすればすぐに繋がるだろう。他人の俺が訊いても病状を教えてくれるとは限らないが、試す価値はある。パスワードが設定されていたり、アドレスや通話記録が消去されていればお手上げだが、もし、そうでなければ、イチかバチか水無瀬のふりをして掛けてみよう。……だがその前に、一度、奴の死体を調べたい。ここは俺に任せてくれないか」
「そうね、さすがは名探偵だわ。あなたがこれほどまでに頼もしいとは正直思わなかったの。ごめんなさい、ただの胡散臭い強欲探偵だとばかり……」失言に気づいたらしく、沙里は目を丸くしながら口をつぐんだ。
 そんな風に思っていたのか。
 高野内はがっくりと肩を落としたが、今度は汚名返上とばかりに、勇みよく水無瀬のテーブルへと向かう。ポケットに常備している手袋を取り出すと、死体を検察してみることに。
 水無瀬は椅子に仰向けの格好でもたれていて、両手はぶらりと垂れ下がり、顔は宙を向いて、口をだらしなく広げている。目は大きく見開かれており、水無瀬の死が突然の出来事であるのを示していた。左胸には血が大きく滲んでおり、中央には弾痕らしき傷あとがはっきりと見える。血液の固まり具合から、死亡推定時刻は、今から一時間以内――、つまり銃声で目覚めるくらいのタイミングであることが伺われた。
 右手の下には奴の拳銃、バレッタM9。拾い上げるとまだ暖かく硝煙の匂いを感じ取れる。死因はこの拳銃で間違いないだろう。状況からして自殺に間違いないと考えられるが、疑問が残らないでもない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み