第4話

文字数 4,662文字

 仕方がなくカップを持ちながら窓を見やっていると、
「ところでお客さん。あなた、探偵さんなんですか? ごめんなさい、ちょっと小耳に挟んだもので」れなは唐突に言った。
 この場合、小耳に挟むという表現はいかがなものか、“聞こえた”でいいではないか、と喉まで出かかったが、寸でのところで押しとどめた。後で小夜子に訊いたところ、使い方はそれで合っているとのこと。あわや恥をかくところだったので、言わなくて正解である。
「ええ、“名”探偵の高野内と言います。自分で言うのもなんですが、この業界では……」
 そこで小夜子が音を立ててティーカップをソーサーに置き、割り込んできた。
「ちょっとごめんなさい、この人ってすぐに自慢したがるの。あなたのようなグラマーの前では特にね。一旦しゃべり出したら、ある事ない事延々と聞かされるわよ」
「おい、小夜子余計な事言うなよ。俺は正直に話しているだけじゃないか」
「何処が正直なのかしら? この前なんか私の美術部員の前で散々自慢話を披露していたじゃないの。本文ではカットされていたけれど、初稿ではうんざりするほど唾を飛ばしていたのよ。……ちなみに詳しく知りたい人は、前作である『名探偵、苦難。小夜子編』をお読みくださいね」と、どこかに向かってピースサインを送る。あーあ、言っちゃった。
「すみません、誰に言っているんですか?」れなが首をひねる。
 こっちの話ですとお茶を濁した。
「ところで竹野内さん」国長野が口を挟む。
「高野内です。俳優の竹野内豊とは全く関係ありません。もっとも作者は未だにに私の名前を“竹野内”とミスタイプをするんですよ。これでもう五作目なんだから、いい加減に慣れてもいい頃だと思うんですがね」
 言葉の意味を理解していないらしく、国長野は首を傾げながら、改めてといった感じで疑問を口にした。
「失礼しました。高野内さんはこの店は初めてですか? 地元の人には見えませんが」
「ええ、雑誌にも掲載されていたはずですが、私の拠点は東京のど真ん中ですからね。……ある依頼者からの相談で海外に行ったので、空港の帰りにたまたま寄っただけなんです」
 小夜子の目が鋭く光る。高野内は『宮崎も本州からすれば海の外だろ』という目で返事をした。テーブルの下で二発目の蹴りが跳んできたが、それをギリギリでかわす。
「へえ、海外にいらしたんですか。でも、どうしてこちらにいらっしゃるんですか? 成田からの帰りにしては、あまりにもかけ離れた場所ですが」
 一瞬うろたえるが、そこは“迷”探偵。推理力――いや、言い訳はお手のものだ。
「……ええ、こちらにも依頼がありましてね。こう見えて結構スケジュールが詰まっているんです。本当はこんな耳障りなBGMの店でお茶している余裕なんて、これっぽっちも無いんですが、こいつがどうしてもと言うんで、仕方なく寄ったまでなんです」
 れなは、顔を引きつらせながら頭を下げる。
「耳障りなBGMですみませんでした。なにせマスターの趣味なものですから」そう言って指だけを厨房に向けた。
 高野内のような一見さんにはアクが強いと自覚しているのだろう。アイドルは嫌いではないが、こうも大音量で鳴らされると、どうしても雑音にしか聞こえない。
「いえ、いい趣味だと思いますよ。ただ、もう少しボリュームを落としてもらえると、くつろぎ易いと思うのですが」
「後で言っておきます。ここだけの話、本当はあまり好みじゃないんです。私も」微笑みを浮かべながら、こっそりとウインクを見せた。
 再びナンパ男――国長野が口を開く。「ちなみに海外はどちらの方に?」
 不意の質問に、一瞬、答えに詰まるものの、思わず口に出した答えが、
「……ええと、ストックホルムです。ベルギーの」
 すると間髪入れずにツッコミが飛んできた。
「たしかストックホルムはスウェーデンでしたよね。自分も二年前に行った事があります」
「そうでした、スウェーデンです。どうも海外が多いと時々ごっちゃになるんですよ」たじたじの高野内に、我関せずといった姿勢で小夜子は窓の外を眺めていた。
「判ります。私にも経験がありますから。この前なんかメルボルンとマサチューセッツを混同してしまいました。全然違うにも関わらずね」
 当然メルボルンもマサチューセッツもチンプンカンプンだった。こうなったら苦笑いを浮かべるしかない。すぐにでもこの場を立ち去りたい思いで、空になっているカップを持ち、飲む“ふり”をした。
「ははは、海外あるあるですね。いや、ファーストクラスばかりだと、つい場所の感覚が無くなって、自分が今どこの国にいるのか判らなくなってしまうことがあるんですよ。たまにですが」言い訳が止まらない。
 本当はビジネスクラスにも乗った事が無かった。今回の宮崎行きもLCCの確安チケットだ。それとて小夜子の自腹なのだが――。
「高野内さんって凄い方なんですね。私もいつかご一緒したいわ」うっとり顔のウエイトレス。好感触の高野内は襟を正して瞳をしっかりと見つめた。
「いつでもどうぞ。幸い今週の日曜日は“たまたま”スケジュールが空いていましてね」まるで今、思いだしたかのように、「そうだ! 都内にある『ダフネ』というカフェをご存知ですか? インスタ映えするカナディアンパフェを出すお店なんだけど、きみさえ良ければ、是非一緒に……」
 そこで国長野の横やりが入る。
「おっと高野内さん。抜け駆けはいけませんよ。私の先約がありますから。それにあなたはさっき一年先まで予約でいっぱいだと……」
「今週末は偶然空いているんです。それにあなたは先ほどデートの誘いを断られていましたよね。それを先約とはいかがなものでしょうか」
 ぐうの音も出ない様子で、国長野はすっかり押し黙ってしまった。もっさりと背を向けるとカウンターの席に戻り、煙草をくわえた。
 入れ替わるように、今度は落ち武者のマスターが二種類の液体の入ったサーバーを両手に現れた。
「うちのコーヒーと紅茶はいかがでしたか? よろしければお代わりをどうぞ」
 待ってましたとばかりに、すっかり空になっていたカップを差し出した。小夜子も同じく、遠慮しながらも礼を言って、同じくティーカップを向ける。
「わたくし、この店のマスターをしております、西木屋源助(にしきや、げんすけ)と言います。こちらは一人娘なんです。この年で彼氏もおらずにブラブラしていたので、店の手伝いをさせているんですよ」
 するとれなは、マスターである西木屋源助を肘で小突いた。
「ちょっとお父さん、余計な事言わないで。お客さんには関係のない話でしょう」
「まあいいじゃないか。本当の事だし」
「ぶしつけな父ですみません。聞いての通り、私はこの人の娘の麗奈(れな)といいます。父はこんなふうに言っていますけど、本音は淋しくてしょうがないんです。だから嫌々傍にいてあげているだけなんですよ」
「お店を手伝ってあげているなんて親孝行ですね。お父さんが羨ましいです。どこかの“わがまま娘”と違って健気で可愛らしいじゃありませんか」
 小夜子はお代わりされたばかりの紅茶を、ズズズと音を立てながら、何かを言いたげに冷たい視線を送っている。
「ところでお父さん。この方、探偵さんですって」
「えっ!」途端に目の色が変わったマスターは、興奮しながら物珍しそうに高野内の全身を嘗め回し始めた。品定めされているようで何だか落ち着かない。「もしかして高野内さんですか。実は私、昔からアイドルと推理小説が大好きでして。クリスティやドイル、ダインはもちろん、特にクイーンの作品は全て読破しました。国内では横溝正史、松本清張、西村京太郎、最近の作家では綾辻行人、有栖川有栖、東野圭吾、それに鈴木浩二郎と、メジャーどころからまだデビューしていないドマイナーな貧乏作家まで、大体は制覇しているんですよ。もちろん小説と現実では勝手が違うでしょうけれど、よろしければ詳しく話を聞かせてもらえますか」
 マスターの顔は爛々と輝いている。まさに少年のような瞳だ。気を良くした高野内は、口元を緩めると、矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「ええもちろん。最初は何から始めましょうか。そうだ、南金山の山荘で起きた密室殺人事件。あれは……」さっきは途中で遮られたが、今度こそはと意気込んだ。
 しかし、小夜子はそれを許さないようで――、
「すみません、この後仕事が詰まっておりますので、その話はいずれゆっくりとさせてもらえませんか。私抜きで」
「そうでしたか、それは失礼しました。お忙しいところ申し訳ございませんでしたね」
と、詫びを告げるマスターに、「いや、俺は別に……」名推理を披露したいところであった。
 ゴホン。
 小夜子の大げさな咳払いで、喋り足りない高野内の口は無残にも閉じられることに。
 マスターと麗奈は会釈をすると、「どうぞごゆっくり」と厨房に戻っていった。
 店の奥からは、相変わらず勢いが衰えることを知らない、若いカップルの笑い声が響き渡っている。
 店内のBGMはキャンディーズから山口百恵へと変わっていた。
 ふたりきりのテーブルになると、小夜子はいきり立ち、「ちょっと、いい加減にしなさいよ。自分の話になるとすぐに調子に乗るんだから」すぐ暴走したがる高野内を嗜める。
 高野内は、そんなことなどまるで構わないと、余裕の構えで煙をふかした。
「いいじゃないか。せっかく俺の話を聞きたいって言っているんだし、リクエストに応えるのも探偵としての役割ってもんだぜ。……もしかしたら、次の仕事に繋がるかもしれないしな」
「繋がる訳ないでよ。それにあなたの場合、ただの自慢話でしょう。何? この業界で俺の右に出る者はいない? 仕事で海外を飛び回っている? 一年先まで予約が一杯? よくそんな嘘が並べられるものね」
「海外を飛び回っているとは言ってない。ストックホルムの帰りだと言っただけ。二丁目にあるスナックの名前を出したまでさ」
「“ベルギー”のね。あなたは平気かもしれないけれど、恥をかくのはこっちなんですからね」
 身を乗り出しながら、小声で唾を飛ばす小夜子は、眉間にしわを寄せながら鬼の形相をしている。
「それに予約で埋まっているのは間違いない。毎日十二時間以上寝ないと頭がすっきりしないし、パチンコにも行かなくてはならない。レンタルした“ときめきセインツ”のDVDもまだ半分以上残っているし、今度、大野城エイラの握手会にも出向かないとへそを曲げるだろうし……」
「全部仕事と関係ないわよね。そんなんだからいつまで経ってもまともな依頼が来ないのよ。判っているの? 今あなたがすべきことは……」
 言葉を遮り、もろ手を挙げながら瞳孔を広げた。
「判ってるよ。仕事のためにセールス活動をしろって事だろ? 心配するな、もう奥の手は打ってある」
 意外な発言に戸惑いを隠せない様子の小夜子。高野内は顔をにんまりとさせて、すっかり灰になった煙草を灰皿に押し付ける。BGMは菊池桃子のか細い歌声が流れていた。
「奥の手って何?」
「実はだな、ここだけの話……」
 その時だった。
 高野内の発言を断ち切るように、男が入り口のドアを開ける。

 彼こそが、これから起こる悲劇のキーマンなのだが、高野内をはじめ、その場にいる誰もが予想だにしていなかった……。
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