第6話

文字数 2,591文字

 店の裏側に停めてあるらしく、マスターは外に出て建物沿いに裏へまわる。その間に高野内と国長野の二人で河原崎を表に運び出し、車を待った。水無瀬は店内にいたままだが、カーテンの隙間から高野内たちの様子をじっと伺っている。おそらく奴の銃口は残りの女性たちに向けられているのだろう。
 程なくしてエンジン音が鳴り、カーキ色のワンボックスが現れた。
 正面に停まり、エンジンが回転したまま、マスターがドアを開けると、ほとんど意識のない河原崎を後部座席に運び入れる。
 行ってきますの合図なのか、マスターは軽く右手を上げる。高野内たちも行ってらっしゃいと振り返すと、噴煙を上げながら道の先に消えた。
 いつの間にか西の空が赤く染まり、遠くに見える山々がその色を真っ黒なシルエットに変えていく。

 カランコロン。

 ベルを鳴らして高野内と国長野は店内に戻った。喫茶店は沈黙に包まれている。店の床には河原崎の血だまりが地獄の海のように広がり、視線を向けるのがためらわれた。
 高野内たちは店の奥に固められ、再び床の上に座らされる。
 何とか警察に知らせる術は無いものか、さっきからずっと考えているが、ついぞ妙案が浮かぶことは無かった。
 水無瀬はスマホを取り出すと、どこかへ電話を掛けだした。漏れ聞こえる言葉の断片から、奴の言っていた闇医者への通話だということが判る。
 一、二分ほどで話し終えたらしく、水無瀬はスマホをチノパンのポケットにしまい込むと、拳銃を握りしめたままの手で右足をさすり出した。
 緊張の糸が緩んだのか、あくびをするのが見え、サングラスの中に左手の人差し指を入れて目をこすっている。
「そこのマスターの娘。何か飲み物を用意しろ。そうだな、折角だからコーヒーを貰おうか。ついでにみんなの分も淹れてやれ。本当はビールで一杯やりてえところだが、無えんなら仕方ねえ」
 麗奈は立ち上がると厨房へ向かう。国長野も一緒だ。「僕も手伝うよ」という声が聞こえたが、水無瀬は何も反応しない。勝手にしろとでも思っているのかもしれない。
 麗奈は慣れた手つきでコーヒーをカップに注ぐと、それをトレイに乗せて国長野が運んできた。
 水無瀬の前にカップが置かれると、左手でどけた。
「勝手に置くんじゃねえ! 俺に決めさせろ。まさかとは思うが毒が入っているかもしれねえからな」
 引きつった表情を見せると、国長野はカップをトレイに戻す。
「そんな事はしませんよ。ではご自分で選んでください」
 水無瀬はトレイに並んだ六つのカップを睨みつけると、一番奥のカップに手を触れると、顔を挙げて国長野の顔色をうかがう。当の国長野は緊張しているのか、表情を強張らせながら、左手首の腕時計を神経質に触る。頬から流れる脂汗が板張りの床に落ちた。
 その後も何度かカップを選ぶ手を変えて、水無瀬は悩み抜いた挙げ句に、手前から一つ右隣のカップを選び取ると、口をつけずにそのままテーブルに置いた。
 国長野はみんなを回り、小夜子、高野内、沙里、そして麗奈の順でカップを選ばせて、最後に残った一杯を自分の手に取った。
 麗奈はカウンター席に着き、他の四人は中央のテーブルに座る。
 皆、自分のカップを見つめて口につけるのを躊躇している中、麗奈は自ら率先してゆっくり慎重にカップを傾けた。その様子を見た小夜子は麗奈に続くと、高野内もカップを口につけた。こういう状況だからなのか、味や香りが全くしない。全くという表現は大げさだが、少なくとも、先ほど堪能したブレンドとは雲泥の差だ。もっとも普段はインスタントばかりなので、それよりはマシな気がする。
 麗奈もためらいがちに口に運ぶ。国長野はカップを手にしたまま麗奈と目線を合わせると、勢いよく傾けた。コーヒーが熱すぎたのか、それとも一気に飲んだせいか、彼は咳き込みだした。一瞬、緊張が走ったが、彼は「大丈夫。ちょっと器官に入っただけだから」と笑顔を見せた。
水無瀬はようやく安心したらしく、ようやくコーヒーを飲み始めた。
 やがて全員が飲み終えると、水無瀬は煙草に火をつける。それを見た国長野は大胆にもこんな発言をした。
「自分も煙草吸っていいですか」水無瀬を始め、一同はきょとんとした顔になった。「実はかなりのヘビースモーカーでして、ずっと我慢していたんです。一本だけでいいですから」
 すると何を思ったのか、今度は沙里もそれに続く。
「実は私もそうなんです。信吾が倒れてからというもの、とても心配で逆にムシャクシャしていたんです。この人がいいのであれば、私にも吸わせてください」
 こんな時に煙草なんてという目力で、小夜子は二人を睨みつけている。彼女としては出来るだけ水無瀬を刺激させたくないというのが本音だろう。
 突然、高野内は手を挙げると、意を決してこう言い放った。
「じゃあ、俺も」小夜子の目が突き刺さった。
 呆れる水無瀬の許可を貰い、高野内ら三人は喫煙タイムに入る。ポケットをまさぐって煙草を取り出すが、国長野はどうも切れていたらしく、一本せがんできた。
「私のでよければどうぞ」沙里はバッグを開き、マルボロメンソールを箱ごと差し出した。高野内はフィリップモリスだ。国長野は迷わず沙里の出したマルボロに手を伸ばした。三人で火をつけ、一刻の煙を堪能する。「自分はメンソールしか吸わないので」と国長野は照れながら左手で頭を掻く。
 やがて紫色の煙が辺りを充満させると、突然、国長野がむせ返り、咳を出し始めた。
 さっきのコーヒーの件もあり、高野内は大丈夫かと背中をさするが、一向に止む気配がない。それどころか、さらに苦しそうに喉元をかきむしると、痙攣しながら床に転がり出した。
これはただ事ではない。
 心配した沙里が抱きかかえようとすると、国長野はのたうち回りながら唾液と混ざり合った血を吐き、やがて動きが止まった。
「きゃあああああー!」
 小夜子と沙里と麗奈の悲鳴が同時に響き合う。
 高野内は国長野の腕を掴んで脈を計ると――。
「……」無言で首を振った。
「おい、何があったんだ」
 水無瀬の怒鳴り声が飛ぶ。彼もどうして良いか判らず、動揺の色を隠せずにいた。
「……毒が盛られたようです。もう息はしていない……」
 高野内は淡々と真実を述べるしかなかった……。
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