第4話

文字数 3,004文字

 さりげなく小夜子を見ると、顔をしかめながら口を歪めている。きっとこう思っているに違いない。『この男はスマホの記事を信用しているのかも知れないが、もし、そんな能力があれば、逃げ出した子犬の尻尾を必死に追いかけたりはせず、もっと探偵として活躍しているだろう』と。
 高野内は虚勢を張る。
「あなたの言う通り、私レベルの探偵ならば、嘘を見抜くのは容易な事です」と、のたまったのち、「ではこうしましょう」そしてマスターに目を動かすと、「紙とペンをお借りしていいですか。出来れば紙は両面ともまっさらなもの。ペンは裏映りしないように、マジックじゃなくてボールペンがあればいいのですが」
 マスターは頷くとカウンターの中へ入り、真っ白なコピー用紙と黒のボールペンを手に戻ってきた。
 その紙を丁寧に曲げ、縦横三等分に折り目をつけると、再び広げて奴に見せる。ちょうど漢字の『井』の形に縦横の線がついている。それを両手で慎重に切り分けると、同じくらいの大きさの小さな紙が九枚出来上がった。それを一つにまとめ、ボールペンと一緒に手渡す。
 高野内は男に背中を向けて、声を張り上げた。
「ここまで怪しいところはありませんよね。ではまず、一番上の紙にあなたの名前を書いてください。書き終えたらすぐに折り畳んで、外から見えないようにして下さい。……よろしいですか」
 背後から拳銃をテーブルに置く音がすると、ペンを走らせる筆音が聞こえてきた。おそらくペンを持つためだろう。この隙に誰かが銃を奪わないものかと期待したが、そんな気配は一向にない。
しばらくして「次はどうするんだ」と、ぶっきらぼうな声が耳に入る。
「残りの八枚に適当な名前を書き込んでください。そして一枚目と同じように折りたたんでそのまま、ひとまとめにし、混ぜ合わせてください……できましたか? これで確率は九分の一です。これを私の推理で当ててみせましょう」
 一同は不安げな顔で見守っている。「本当にそれで判るの?」、「九分の一とはリスクが大きすぎる」、「私、殺されたくない」といった声が漏れ出していた。
「これでいいのか」唸るような声が聞こえた。
 振り返ると、男はどうだと言わんばかりに椅子にふんぞり返り、くわえ煙草で睨みつけている。もちろん銃口は握られたままだ。
 小さく畳まれてある九つの塊から、高野内は適当に一つを選ぶ。中を開いて中を確認すると――。
 やがて全てを確認し終えたところで、
「判りました。あなたの名前はズバリ、“水無瀬(みなせ)”ですね」そう書かれた一枚の紙を男に突き付けた。最初の文字が少しかすれているが、今は触れない。
 どうやら図星だったようで、ハンチング帽の男の顔色が変わり、咥えていた煙草が、火のついたまま床に落ちる。一同から安堵のため息が聞こえてきた。
 推理が的中したことは誰の目にも明らかだ。男は愕然とした表情を見せて、「なぜ判った? シワとか汚れとか、目印になるようなものは何も無かった筈だ」心なしか、拳銃を持つ手が震えているようにも、映る。
「約束通り、この中の誰かを開放してください。まさかこの期に及んで約束を破るつもりじゃないですよね」
「俺も男だ、約束は守る!……だが、どうやって見抜いたのか説明してもらおうじゃねえか。誰かを開放するのはその後だ」
 すると、ずっと黙っていた国長野が声を上げた。
「できれば私も知りたい。どうやって彼の名前を当てることが出来たのかを。……みんなもそうだろう?」
 その言葉に頷かないものはいなかった。
「答えは簡単です。紙の形状をよく見てください」
「形状? どの紙もおかしなところはねえようだが……」水無瀬は首をひねりながら、九枚の紙を順番に見比べる。「全部同じ形に見えるんだがな。俺には」
 そこで高野内は、今の現象について解説を始める。
「さっき見ていた通り、私は素手で紙を九等分に切り分けました。折り目を付けたから大体同じ形になりましたよね。でも、一つだけあきらかに他の紙と違うものがあったのですよ。何だか判りますか? 水無瀬さん」
じっと黙って答えようとしないハンチング帽の代わりに――。
「あっ!」小夜子の声が響いた。
「さすが我が助手の峰ヶ丘だ。まだまだひよっことはいえ、このトリックの仕組みが見えたようだね。……どうだい? お前の方から説明してみせるか?」
 小夜子は「うん」と頷き、テーブルの前にしゃしゃり出ると、水無瀬と書かれた紙を取りあげ、真剣な目で凝視した。
「やっぱり思った通りだわ!」
「おいお嬢ちゃん。一体何が思った通りなんだ?」男は拳銃を握り直す。「早く説明しないと、引き金を引くことになるぜ。こう見えても俺の気は長くねえんだぞ!」
 撃鉄を起こす乾いた音がした。たちまち店内に緊張が走る。水無瀬とかいうこの男は、本気で撃つ気なのだろうか? 
 唾を飲み込んだ様子で、小夜子からゴクリと音が聞こえる程であった。
「……水無瀬と書かれたこの紙をよく見てください。いいですか、上下左右、いずれの方向にも手で破った切れ目があります。これは中央の部分だからです。その証拠に、他の紙には二か所、もしくは三か所の切れ目しかないはすでしょう? 四方共に切れ目があるのはこの一枚だけなのです。つまり、最初に本名を書かせた紙に仕掛けがあったのです……よね?」
 高野内をチラ見して表情を探っている。
 その通りと褒めるつもりで立てた親指が目に留まったらしく、小夜子は自分の推理が正しい事を確信したと、目で合図を送ってきた。
 だが、男は納得がいっていない様子。「……今回はあんたの言う通り、一番上の紙に書いたが、もし俺があまのじゃくで違う紙に書いたとしたら、お前の推理は外れたかもしれん。俺が正直者で命拾いしたな」
「いや、仮にあなたが違う紙に書いたとしても、私にはちゃんと判ったでしょう」
「今さら何を。名前を当てたからって適当なこと言うんじゃねえ」
 高野内は適当ではありませんと前置きしたうえで、「実は保険を用意していたんです」
「保険?」男の口がポカンと開く。
「この仕掛けは不確定要素があるので、あくまでも保険でした。が、おかげでその試みは成功しました」そこでテーブルの上に転がっている“アレ”を持ち上げた。
「ボールペン? まさか特殊なインクでも使っているのか? 俺がこんな騒ぎを起こすことを想定して……」
「そんな訳ないでしょう」男を遮ると、「仮にあなたが来ることが予想できていたとしても、名前当てゲームを提案したのはあなたの方です。そんなの予測できる訳がない。それにこれを用意したのは、私ではなくマスターですよ」
「じゃあ、ボールペンには仕掛けは無かったのか」
「その通り、普通のボールペンです」
「ではどうやって?」
「絶対とは言い切れないが、ボールペンの特性として、書き始めはどうしてもインクがかすれたり、逆に滲んだりするものなんです。……ほら、現に水無瀬の“水”の部分が少しかすれているでしょう? これとさっきの切れ目とを組み合わせて、やはりこれに間違いないと確信しました。……以上です」高野内は胸に手を当てながら、深く頭を垂れた。
 パチパチパチ。
 自然と拍手が沸き起こる。高野内は勝利のVサインを掲げ、誇らしげな顔を見ながら周りを見廻した。
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