第3話

文字数 4,077文字

 沈み返った店内。それまで音楽が鳴り響いていただけに、反動で余計に静寂を感じる。全ての窓にはカーテンが引かれ、店の奥では全員が体育座りをさせられている。
 重苦しい空気の中、ハンチング帽の男は、高野内たちが先ほどまでいた入り口近くのテーブルに座り、拳銃を一同に向けていた。奴の前には灰皿が無造作に置かれ、既に吸殻が二本転がっている
「おい、お前ら。退屈だから順番に自己紹介でもしてみろ。高野内、お前はいい。まずはそこの小生意気な娘からだ」
 拳銃で指名された小夜子は、促されるままゆっくりと立ち上がると、「私は峰ヶ丘小夜子。高野内の“仕事上”のパートナーよ」毅然とした声を吐いた。
「そうか、小夜子ちゃんか。なかなかの顔してんじゃねえか。まさぞやモテるだろうな」顎をさすりながら、唇をペロリと舐めた。「……次! そこの二人!」
 今度はカップルの二人が指名されると、手をつなぎ、怯えながら立ち上がった。
 まずは彼氏の方が口を開く。風貌の割には落ち着きがなく、目も泳いでいるように映る。
「……河原崎信吾(かわらざき、しんご)。隣町で寿司職人の見習い」聞こえるか聞こえないかくらいの微妙なボリュームだったが、ハンチング帽が訊き返さないところをみると――。
 それより、別の事が気になった。職人の見習いにしては、黄色に染めた髪は大丈夫なのか。きっとそういう時代なのだろうと無理矢理納得するが、悲観せずにはいられない。
 次は彼女の番だった。彼氏に比べれば、まだ落ち着いて見えるのは、派手なメイクの賜物か。
「……石内山沙里(いしうちやま、さり)と言います。現在無職で、家事手伝いをしています」彼女もまた、微かに聞こえるくらいの小さな声だった。沙里と名乗った彼女は、一瞬、国長野と視線を合わせ、目くばせをしたように見えた。おそらくは、同じ境遇の彼と連帯感らしき思いが芽生えてきているのかもしれない。
 二人を座らせると、今度はマスターの番だと睨みつける。
「おい、お前。そこの落ち武者の旦那」わっ、言っちゃったよこの人。
「……もしかして私ですか?」声を掛けられたマスターは意外そうに顔を上げて水無瀬を見る。どうも彼には自覚がないようだ。
「そうだ。他に誰がいる」
 こんな状況でなければ、遠慮なく吹き出しているところだ。小夜子も同意なのか、僅かに肩が震えている。
 納得がいかないのか、マスターは首を捻りながらスクっと立ち上がり、「店主の西木屋源助だ。こっちは娘の麗奈。私はどうなっても構わないから、みんなを開放してやってくれないか」内心はどうか判断がつかないが、彼だけは毅然とした口調で凛々しく見えた。きっと彼ならば、この状況を打開してくれるのではないかと期待してしまう。
「駄目だ! そんな事をしたらすぐに警察に通報するだろう? もう少しおとなしくしてもらうぞ。……心配するな、暫くの我慢だ」
 するとマスターがさらに毅然とした声で言い放った。
「お前の目的はなんだ。仮に俺たちの誰かが通報しなくても、さっきの銃声で近所の住民がとっくに通報しているだろう。……悪い事は言わない。これ以上罪を重ねず、素直に自首してくれないか。お願いする」懸命に頼み込むマスターの目には、うっすらと涙が光っていた。きっと娘の身を案じているのだろう。
「その手は食わねえぜ旦那。ここは田舎の一軒家だ。周りは山や畑だらけで、一番近い家すらも相当離れている。大方、趣味の悪い大音量の曲を流すために、ワザとここを選んだんじゃねえのかい? まさかこんなことになろうとは想定していなかっただろうが、俺にとってはラッキーそのものだったぜ」
 本心を見抜かれたのか、マスターは呆気に取られ、そのまま床に座り込む。
 残るは建設会社のサラリーマンだ。
「……私は国長野だ。建設会社に勤務している。早く戻らないと、今頃は帰りが遅いのを不信がった部下が通報しているかもしれない」
「ふん。こんな時間にコーヒーなんか呑気に飲んでいやがるんだから、どうせサボりだろう? このままあんたが会社に戻らなくても、誰も心配なんかしやしねえだろうよ。一人だけ助かろうたって、そうはいかねえぜ。ご愁傷様」
 口をあんぐりと開け、小さく舌打ちをすると、国長野はおずおずと体育座りに戻った。
「大体のことは判った。本当は幼稚園みたく名札でも付けたいところだが、そうはいかねえしな。まあ、お前らの名前なんてどうでもいい。だが、退屈しのぎにはなったぜ」
 だったら訊くなよ。
 ハンチング帽の男は満足げに煙草をふかして口笛を吹いた。どうにかして逃げ出したいところだが、一分の隙も見せない。せめて奴の心情を探ろうとするが、サングラスが邪魔で読み取ることは出来ないでいた。
 このままではらちが明かないと、高野内は時間稼ぎを試みる。そのうち、隙を見せるかもしれないし、奴を出し抜くアイデアが浮かぶ可能性も――。
「私たちのことは話しました。今度はあなたの事を聞かせてください。あなたは誰なんですか。どうしてこんなことをするんです」
「自分の立場がよく判ってないみてえだな。俺のことはどうでもいいだろ」
「どうでもいいことはありません。こうやって軟禁されているんですよ。理由くらいは聞かせて貰っても、構わないんじゃないですか。せめて名前だけでも」
「名前なんて言える訳ねえだろう! 何考えてんだ」
「別に本名じゃなくてもいいんです。あなたの事を何と呼べば?」
無精ひげをなぞり、考え事をしている様子。……やがてパチンと指を鳴らすと、男はほくそ笑むように口元を緩めた。
「判った。ここはひとつゲームをしようじゃねえか」
「ゲーム?」
「あんた、探偵なんだろう? お前の推理力で俺の名前を当ててみろ。……言っておくが、鈴木や佐藤なんてありきたりの名前じゃねえぞ」
 ありきたりで悪かったな。
「そんなことできる訳ありません。いくら“名探偵”の私でも、何の情報もなしに初対面のあなたの名前をいきなり当てるなんて……」
 いくら何でも無謀すぎると言いかけたが、男は言葉をかぶせるように、「出来なきゃ死体が転がるだけだ。俺はどっちでも良いぜ。もし、名前を当てることが出来れば、この中から一人解放しよう。……どうするかね。名探偵の方の竹野内さん」
「高野内です。ですが、そんな条件なんて呑める訳が……」
 だが、そこでマスターの西木屋源助が肩を叩き、小声で話しかけてきた。
「ここは彼の話に乗りましょう。高野内さん、私はあなたを信じます。うまくいけば誰か一人でも助かるかもしれません。それに間違えたら人を殺すなんて馬鹿げた提案、きっと脅しに決まっています。そんなことで殺人を犯す人はいない――。もし本気だったとしても、その時は私が犠牲になりますから」
 マスターの目は本気だった。しかし、現状では名前を的中させるなんて、雲をつかむような話だ。高野内はハンチング帽の誘いに乗り気ではなかった。
「仮に名前を当てたとしても、素直に開放するとは限りません。誰かを殺す理由が欲しい、ただそれだけのサイコパスなのかもしれませんし」
「その時はその時です。これはチャンスかもしれませんよ。奴の気が変わらないうちに、どうかこの挑戦を受けてください。それとも自信がないんですか?」
 高野内は周りのみんなを見廻した。麗奈は顔を伏せ、今にも泣きそうな勢いで体を震わせている。だが、彼女以外はというと期待の目が一身に高野内に集まっていた。いざとなったらマスターが犠牲となるという言葉に安心したのだろう。薄情な連中だ。もちろんその中には高野内も含まれている。もちろん自信がないのかと言われ、悔しい気持ちになったことも否定できない。
 高野内は意を決して向き直ると、ハンチング帽の男にこう宣言した。
「判りました。あなたの挑戦に応えましょう。ですが、もし名前を言い当てることが出来れば、本当に誰かひとりを開放してくれますね?」
「ああ、約束は守る。人質は七人もいるし、一人くらい欠けても問題ねえさ」
「しかし、条件があります。いきなり名前を当てろと言われても土台、無理というもの。情報が無さすぎます。せめてヒントをくれませんか」
「名探偵の癖に甘えたこと言うな。シャーロック・ホームズだって、忘れもののステッキひとつで持ち主の特徴を見事に言い当てていたぜ?」
「『バスカヴィル家の犬』ですね。よくご存じで。でも、あれは小説の中の話じゃないですか。それにホームズはステッキに残された痕跡を都合よく解釈し、偶然当たっただけに過ぎません。個人的にはホームズの賢さを示すという意味では、最高の描写だとは思いますが、あくまで観察眼の鋭さを的確に表現したまで。ましてや何の情報もなく、いきなり名前を当てるなんて芸当は、たとえホームズと言えども、推理のしようがありません」たぶん、と、心の中で付け加える。
 さすがは名探偵といったふうで、男はポンと膝を叩く。
「なるほど、確かにお前の言う通りだな。何のヒントもなく俺の名前を言い当てることができたとすれば、それは推理じゃなくて、ただのインチキ占い師だ」
「理解してくれたようで感謝します。もし、ヒントが難しければ、私からいくつか質問させてもらってもいいですか? もちろん、いきなり名前を訊いたりはしないし、答えたくない質問には黙って首を振ればいい」これくらいであれば了承してもらえるはずだ。
 拳で額を叩きながら、男はしばらく悩んでいるようだったが、導き出した結論は、まさかのノーだった。
「……いや、駄目だ。その手には乗らねえぜ。何を質問する気なのかは知らねえが、どこかのメンタリストみてえに、表情の変化を読み取って、余計なことまでバレるかもしれねえからな。もし、あんたが噂通りの名探偵だとしたら、それくらいのことなんて朝飯前だろう」
 どこまで用心深い男なんだ。言うまでもなく、高野内はそんな能力など身に付けてはいない。
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