第1話 Demitasse de Meet Us

文字数 2,657文字

 小夜子の向けたその指先には石内山沙里がいた。
 彼女は目を丸くしてあっけらかんとした声を放つ。
「えっ? 私がどうして麗奈さんを殺さなくちゃいけないの? いつ? どうやって?」
 全てを確信した小夜子は完成されたパズルの全貌を晒し出す。まるで子供に絵本を読み聞かせる母親のように穏やかな口調になっていた。
「あなたが麗奈さんを殺害した手順はちょっと複雑ですから、じっくりと聞いてください。まずは動機から説明します。もしかしてあなたは河原崎信吾さんの他に、付き合っている人物がいたのではありませんか? そうです、本意ではなかったとはいえ結果的に麗奈さんに毒を盛られた国長野智一さんです。あなたは国長野さんを心から愛していたのでしょう。河原崎さんの方はどう思っていたのか知りませんが、残念ながらあなたにとって彼は恋人では無く、ただの遊び相手だったのよね。河原崎さんが撃たれた時、一瞬悲しむ素振りを見せましたが、その後は意外なほど淡泊な反応でした。その時は特に疑問に感じなかったんですが、思い返してみればとても本命の彼氏を心から心配していたとは思えません」
 沙里は目を吊り上げながら食ってかかる。
「そんなのただの印象でしょう? 私は信吾の事を一番に愛していたのよ。あなたがそれを淡泊に感じたのは、ただ私は表現するが不器用なだけ。そんな勝手な決めつけで私を犯人扱いするの? どうせ口から出まかせで、まともな証拠は無いんでしょう?」
 沙里はマルボロのメンソールを取り出して火をつける。やがて煙が舞いだすと、五反田は煙草が苦手なのか、急に咳き込み顔を背ける。それでも沙里は煙草を消そうとはしない。心なし、その手が震えているようにも見える。
 小夜子は推理を続けた。
「まあ、いいでしょう。二人が付き合っていたという証拠は後で指摘します。それより次に犯行の手順を説明しましょう。高野内の推理によって大事な恋人を麗奈さんの手によって奪われた事が発覚し、あなたは彼女に対して強い殺意を抱いた。いつか復讐してやろうとずっとその機会を狙っていたことでしょう。あなたは以前、河原崎さんの事をこう言ってましたよね? 『スリばかりを繰り返す毎日から抜け出せたのは、彼のおかげなんです』と。あなたはそのスリのテクニックを駆使して水無瀬からバタフライナイフをかすめ取ったのです。水無瀬に色仕掛けで迫った時にね。そして水無瀬が麗奈さんを縛り上げると、あなたは自分が物置に閉じ込めると言い出しました。千載一遇のチャンスをものにしたあなたは、麗奈さんを運び入れる際、彼女の胸にバタフライナイフを刺した。麗奈さんは苦痛の声を上げようとしたのでしょうが、さるぐつわのせいで声が漏れる心配はありません。……そして扉を閉めると何食わぬ顔でみんなの前に戻ってきました。しばらくは誰も物置を覗かないだろうと確信したうえで――。つまり麗奈さんを殺せたのはあなたしかいない。眠りにつく頃に物置から物音が聞こえてきたという証言も嘘ですよね、石内山沙里さん」
 得意満面で沙里を指差す。小夜子はその推理に確信を持っていた。
「確かにその方法を使えば、私にも殺せたでしょうね。でも、すべて状況証拠だけでしょう? さっきも言ったけれど、ちゃんとした証拠は無いの? それともただのハッタリかしら」
 そこで小夜子はとどめとなる証拠を示す。
「いずれ警察が指紋などを調べれば、確実に証明されるでしょう。ですが、もっと手っ取り早い方法があります。すみませんが腕を見せてください。そう、あなたの左腕です」
 沙里の顔色が変わった。とっさに左手首を右手で隠すと、テーブルの下へ滑り込ませる。彼女はまるでいたずらが見つかった子供のように怯えていた。
「国長野さんの左腕にはブランド物の腕時計が嵌めてありました。そして沙里さん、あなたの腕にも……。男性用と女性用、それぞれデザインは違いますが、同じ型の時計なのは間違いないですよね。どうしてあなたたちは同じ腕時計をしているのかしら? 偶然と言い張るのは勝手ですが、シリアルナンバーを照合すれば、同じ店で買われたことくらいすぐに判明しますよ」
 誰も言葉を発しなかった。沈黙という名の時の流れは亀のように鈍足で、時を刻む時計の音だけが、かろうじて生き永らえさせているようだった。
 沙里はまぶたを閉じてゆっくりと息を吸い込む。やがてそれを一気に吐き出すと、なにかを決意したのか瞳を大きく見開き、涙ぐむ目を小夜子に向けた。
「……本当は直ぐにでも捨てようと思ったの。でも、どうしても外せなかった。だって唯一の彼との想い出だったんですもの。この腕時計だけが愛し合った証ね。これに足元をすくわれたんだったら私も本望だわ。さすがは名探偵……いえ、普通の探偵の名助手といったところかしら」
 高野内は立ち上がって沙里の肩に手を添えた。
「普通の探偵の名助手ってのは気にかかるが、正直に白状したのは感心しました。国長野さんもこれで報われるでしょう。彼は私の出したフィリップモリスには手を出さずに、あなたのマルボロメンソールを選び取りました。メンソールしか吸わないと言っていましたが、きっと本音はあなたの煙草が吸いたかったんですね」
 そして高野内は横たわる国長野に両手を合わせて深くお辞儀をする。小夜子も続けて黙とうを捧げた。硬い表情のマスターは座ったまま微動だにしない。五反田にとっては全く面識のない人物のはずだったが、とりあえずといった格好で頭を下げている。沙里は涙を潤ませながら、その様子を無言で見守っていた。
 マスターは突然立ち上がると、猛烈な勢いで沙里の胸ぐらをつかみ、沙里の頬を渾身の力で殴りつけた。顔を上げると沙里の口元から一筋の赤い液体が流れている。
「本当はお前が麗奈を殺したのか! いくら恋人が殺されたからって、娘に手を掛けるとはどういう了見だ! 絶対に許さない。例え神が許してもな!!」
 怒りで顔を真っ赤に染めながら水無瀬の死体に駆け寄ると、マスターは足元にある拳銃を拾い上げた。銃口を沙里に向け、撃鉄を起こす。小夜子は足がすくんで動けず、渾身の力を込め、止めて! と叫び、沙里は真っ赤に腫れ上がった頬に手を当てながら、ただただ怯え、五反田は体を丸めて縮こまり、高野内はその様子を黙って見つめていた。
「麗奈のかたきだ! 謝罪はあの世でしろ! たっぷりとな!」
 マスターは震えながら引き金に指を掛けて、勢いよく引いた。
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