第2話

文字数 3,078文字

「まず初めにコーヒーを飲みたいと言い出したのはあなたでしたよね? それから麗奈さんと国長野さんは厨房に入った。実際にコーヒーを淹れたのは麗奈さんで、それをトレイに乗せて運んだのが国長野さんでした。それをみんなに配って、最後に残ったカップを取ったのもやはり彼でしたね。そして全員が飲み終えた後、国長野さんが煙草を吸いたいと手を挙げた。それに沙里さんと私が合流した。彼は沙里さんから貰った煙草を吸い出したが、突然苦しみだすと、そのまま息絶えてしまった――。間違いないですよね?」
 少々端折りすぎなところもあるが、大体はそんな感じだったと水無瀬は同意した。小夜子も疑問はなく、誰も異議を申し立てしようとはしない。
「ここで問題なのは、国長野さんが苦しみ出した時間です。彼は煙草に火をつけてから、わすか数秒後に苦しみだした。……これは何を意味するのでしょうか? 答えはこうです。煙草のフィルター部分に、初めから毒が塗られていたんです!」
 沙里は必死で声を上げた。「私じゃないわ。毒なんて塗っていない」
 しかし、探偵は容赦なかった。
「それを証明できますか? 国長野さんはあなたの煙草を選んだのですよ。メンソールしか吸わないと言ってね」
 それがさも真実であるかのごとく、高野内は自信ありげに胸を反らせている。
 当然のように沙里は反論した。「どうして私が彼を殺さなくちゃいけないの! 初対面なのだから動機もない。もし信吾がいたなら、きっと証明してくれる筈だわ」
 涙声になる沙里を、高野内は執拗に追い立てた。
「今、それが出来ない以上、証拠にはなりません。それに例え君たちが初対面だと河原崎君が証言したとしても、果たしてあなたの無実は証明されるのでしょうか? ……こう考えてみたらいかがでしょう。あなたはメンソールの煙草の何本か――、もしかしたら一本だけかもしれませんが、その煙草にはあなたが予め毒を塗っていた。そして本当はその煙草を河原崎君に吸わせて殺す目論みだった。動機なんていくらでも考えられますが、今は置いておきましょう。ところが河原崎君があんな事になり、自暴自棄になったあなたは、煙草を求める国長野さんへ、何の気なしに毒入り煙草を差し出した。もちろん殺意なんて無かったが、誰かが死ぬことによって混乱が起こる事を期待した。それに乗じて逃げ出せるとでも思ったのかもしれない。……よって国長野さんを殺したのはあなただ! 石内山沙里!!」
 唖然とした顔の沙里。必死で首を振りながら、違う、違うと喚き散らす。
「ちょっと待て! それはちょっとばかし無理があるんじゃねえのか?」水無瀬はサングラスをずらしながら、充血した細い目を高野内に向ける。
初めて見る彼の赤い瞳に、小夜子は思わず体中の血が冷たくなるのを感じた。
「どうしてです? 犯人は彼女以外に考えられないでしょう」
「……あんたの推理通りだとすると、ひとつ判んねえことがある。もし、フィルターに毒が塗られていたんなら、くわえた瞬間に苦みを感じたはずだ。毒かどうかともかく、そのまま吸うとは思えねえ」サングラスを元に戻すと、水無瀬は左手の指先で威圧するようにテーブルをコツコツ叩き出した。
 さっきまでとは打って変わり、虚を突かれた様子の高野内はしどろもどろになった。
「それは……おそらくフィルターじゃなくて、煙草の葉の部分に毒が混ぜられていたんです。だから火をつけて煙を吸った時点で毒が体内に取り込まれた。……どちらにしても同じこと、彼女が犯人であることに間違いはないんです」
 しかし、その推理にも納得がいかないらしく、なおも攻め続けた。
「だとしたら、煙草に火をつけた途端に強烈な匂いがした筈じゃねえか? なのにその姉ちゃんはともかく、目の前にいたあんたがそれに気づかない訳ねえだろ。それとも今さら鼻が詰まっていたとでもいうつもりか? とんだポンコツ野郎だ」
 追い詰められた筈の高野内は、突然、水無瀬に拍手を送った。
「……いやあ、さすがです。やっぱりあなたの目は誤魔化せませんでしたね」
 やはりそう来たか。小夜子は相槌を打つがごとく、ゆっくりと頷いた。
「どういうことだ? 気でも狂ったんじゃねえのか」
「そうではありません。煙草に毒を含ませたと思わせておいて、沙里さんの犯行に見せかけようとした――。それが犯人の狙いなのです」
 小夜子はこっそりと鼻で笑った。高野内は自分の推理が外れると、すぐにこの台詞で誤魔化そうとする癖がある。以前、小夜子自身もこの必殺技をかました事があるが、事態を余計にややこしくしただけで、結局は後悔しか残らなかったという苦い経験があった。
 おかしなことにならなければいいが――。不安が止まらない小夜子であった。
「益々判らん。ちゃんと説明しやがれ。それともやっぱり頭がおかしくなったのか?」
 ここぞとばかりに小夜子は声を響かせる。
「まだ判らないの? 沙里さんを犯人に仕立て上げることで、他に容疑の目が向かないように誘導したのよ。これが高野内じゃなかったら、犯人の罠にまんまと貶められるところだったわね」
 そうやって小夜子は助け舟を出した。探偵の苦悩は自分が一番よく判っている。
 高野内はサンキューとウインクをした。「そうです。小夜子の言う通り、私は犯人に乗せられた“ふり”をして、ある人物の“粗(あら)”を探っていました。“ほころび”ともいいますがね」
 小夜子は目の動きで、これ以上は助けないから一人で頑張りなさいよ、と合図を送り返した。このあとどう仕切るのか、見ものであった。
「で、その“粗”とやらは見えたのか?」
「ええ、もうバッチリと。私には最初から判っていましたが、毒は煙草にではなくてコーヒーに混入されていた事に間違いはありません。……異論のある方はいますか?」
 首を縦に振る者はいない。小夜子も正直に横に振った。
「では、誰がどの時点で毒を入れたのか?」高野内は麗奈に体を向けると、「コーヒーを淹れたのはあなたでしたね」
「私? 確かにコーヒーを淹れたのは私ですけれど、毒なんて入れてません」麗奈は否定しながら手と首を振った。
「果たしてそうでしょうか? 毒を入れる機会があったのは、あなただけでしょう?」
「……そうかもしれませんが、私が入れたのであれば、おかしな点がありますよね。国長野さんは他の皆さんが選んだあとで、最後に残ったカップを取ったでしょう? だとしたら仮に私が毒を盛ったとしても、それが彼の手に渡るかは判らない。もし私に当たったとすれば自分が死んじゃうかもしれないのよ。そんな危険な真似なんてする筈ないわ!」
 言い終わると、麗奈は唇を噛みしめて震えているように映る。彼女の意見は至極真っ当に聞こえるが……。
「そこがこの事件の盲点だったのです。あなたがコーヒーを淹れ、それを国長野さんに運ばせ、みんなにランダムに選ばせる――。それこそが真犯人であるあなたの狙いだったのです!」選手宣誓のような大声を出す。さっきの汚名を返上するような強い意気込みが感じられた。

 静寂が訪れる。誰も言葉を発しようとしない。今にして思えば、あの大音量の中、明るい声で歌い上げる、小夜子の知らないアイドルの雑声も、何だか懐かしく耳によみがえってきた。
 麗奈はキョロキョロと落ち着きのない目をしながら、口を一文字に結び、頑なに腕を組んでいる。それはこれから高野内の手によって裁かれるのを、どこかで心待ちにしているようにも映った。
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