第3話

文字数 3,280文字

「お待たせしました」
 ふたりの会話を聞いていた訳ではないのだろうが、ちょうどそのタイミングで注文した品が運ばれてきた。今度はマスターとみられる落ち武者の男である。心なしか、カップを置かれた時の音が大きめに聞こえたのは気のせいだろうか。
 落ち武者のマスターが去ると、手持ち無沙汰となった高野内は、コーヒーを傾けながら、再び店内を見廻してみる。
 壁中に貼られたアイドルのポスターは女性の歌手が大半を占め、男性アイドルは沢田研二や近藤真彦が数点あるのみ。女性歌手ばかりと言っても和田アキ子や研ナオコといったいささかトリッキーなフェイスの方はベンチ入りしていないようだ。
 目を落とすと、焦げ茶色したシミの目立つ床は、フローリングというより板張りと呼んだ方がむしろ似つかわしく、その変色具合からも、かなりの年月が経過していることが伺い知れた。店のつくりからいって裏口はなく、おそらく出入り口は正面のドア一つきりで間違いない。
 天井には大きなファンが二つ並んでいたが、まだ春先ということもあり、ただのインテリアに成り下がっている。もっとも夏本番になったら出番が来るのかと思いきや、必ずしもそうとは限らない。壊れているのか、それとも電気代が惜しいのか、まったく稼働していない店を何軒か知っていたからである。
 奥のテーブルに見えるカップルは、楽しそうに体を揺らしている。黒いキャップを斜めに被った彼氏は、髪を黄色に染めていて、いかにもチャラそうな感じ。多分二十代半ばといったところだろう。唾を飛ばす勢いで、正面の女に熱心に口を動かしている。
 もう一方は背中しか見えず、茶髪ということしか判らない。俯き加減で、微かに揺れる腕の動きから、スマホをいじっているのだろうと推測を立てた。
 耳を傾けると、彼氏の声しか聞こえない。茶髪の女はもっぱら聞き役専門と言ったところか。如何にも今どきの若者らしく、時々聞こえてくる笑い声には、ディスるだの、卍だの、タピるだのといった、理解しづらい言葉が混ざっていた。
 カウンターに視線を移動させると、サラリーマン風の男は、高級そうなスーツ姿で、髪はポマードで固められている。背中を向けているので人相までは判らないが、その佇まいからは上品な紳士が予想される。男は煙をふかしながら、ポニーテールの女と楽しそうに会話を繰り広げていた。
「ねえ、れなちゃん。今度映画でも観に行かない? ほら今話題の『世界の中心で、端を掴む』ってやつ。たしか長浜あさ美主演で凄く泣けるんだってさ。きみってラブストーリー好きだったろ」カウンターの男からだった。『卒業』を唄う斉藤由貴のせいで良く聞き取れないが、おそらく内容は間違ってはいない。
 どうやらポニーテールは“れな”という名らしく、落ち武者のマスターがいるにもかかわらず、堂々とナンパしているようだった。頭の中で『フラれろ~、フラれろ~』と何度も念を送る。自分以外の男がモテるのを、日頃から面白くないと思っているからだ。
 念が通じたのか、落ち武者が「うちの娘に手を出されると困ります」とナンパ男に注意を促した。どうやら二人は親子らしい。ナンパ男は降参というふうに両手を挙げ、お代わりのブルーマウンテンを注文した。男は気づいていないようだが、カップルの女がチラチラと視線を向け、関心のあるようなそぶりを見せている。
「小夜子、今の見たか。あのカウンターの男、見事にフラれたぞ。ザマぁみろってんだ」
「ちょっと聞こえるわよ。もっと小声で話さないと」
「大丈夫だよ。……しかし、どんな顔しているか見てみたいよな。もしかすると物凄~くブサイクだったりして」
「ブサイクかどうかは知りませんが、あなたよりはマシだと思いますよ」
 急に声を掛けられ、おののく高野内。振り向くと声の主は先ほどのナンパ男だった。見た目は高野内と同じ三十代半ば。期待通りとはいかず、すらりとした長身のなかなかのイケメン顔。細いフチなしの眼鏡をかけていて、その奥の目はかなりの切れ長だ。オールバックの髪は、後ろから見た印象の通りポマードで固められていた。スーツは一般的な量販店の物と思えるが、左腕には高級ブランドとみられる腕時計を巻いている。案外リッチなのかもしれない。彼は訝しげな目で高野内を見下ろしている。
「あ……どうも、これは失礼しました」平謝りの高野内に笑いを我慢する小夜子。
「盗み聞きとは油断なりませんね。まあ、もっともそれが探偵の性分なのでしょうが」
え? なぜ俺が探偵だと知っている? この男、まさか同業者か? 呆気にとられ動揺を隠せない。
「驚かせてすみません。実はあなたのお顔は週刊誌などで拝見しておりまして。……確か竹野内さんでしたか」
「高野内です。高野内和也。ちなみにこいつは私の助手をやらせている峰ヶ丘です」小夜子に手を向けながら、一応とばかりに紹介した。
「どうも、峰ヶ丘小夜子と申します。」小夜子は棘のある口調で、「高野内の助手を“やらせて”もらっています」高野内を横目で睨みながらナンパ男に軽く頭を下げる。彼女にしてみれば、頼りない探偵を見かねて、仕方なく助手を“やってあげている”のだろう。
「私をご存知とは嬉しい限りですね。まあこの業界で私の右に出る者はいないと自負していますが」
 ナンパ男は少し歪んだ眼鏡の端を持ち、素早く整えながら、
「ええ、雑誌のインタビュー記事にもそう書いてありました。なんでも独自の手法で事件を解決されておられるとか。一度その手腕を拝見してみたいものですな」
 お世辞としか取れない褒め言葉に、気を良くした高野内は、「まあ、機会があればぜひご相談ください。ですが予約で半年、いや一年先まで埋まっていますので、その後でよろしければ、ですけど」声のトーンが一つ上がり、つい早口になる。
 すると小夜子はテーブルの下でスネを蹴り上げた。
「痛っ!」悲鳴を上げる。見ると『見栄を張るのもいい加減にしなさいよ』とばかりに、目で合図を送っていた。
「どうされました?」
「いえ、別に……ところであなたは?」屈みながらスネをさすり、苦悶の表情を浮かべながら質問した。
「申し遅れました。わたくしはこういう者です」
 ナンパ男はそう言って名刺を差し出す。それには『有限会社水野島建設 販売部課長 国長野智一』と記してあった。
「くにながのさんですか?」
「“こくながの”と読みます。こくながの、ともかず。名刺にもある通り、建設会社に勤めています。規模はあまり大きくありませんが、年商はそこそこいってますよ」
 見下しているように感じるのは、うがちすぎだろうか。
「国長野さんはご近所にお住まいですか?」小夜子は何気なくといった感じで話しかける。
「いえ、会社がこの近くなものですから。……といっても車でニ十分以上かかりますけどね。今も営業周りのついでに一息入れに来ていた所です。ここのブルマンは最高ですからね。音楽の趣味は微妙ですけど」
 言われて気づくとBGMは天地真理になっている。
「そんな事言って、本当は私目当てなんでしょう?」
 いつの間にかれなと呼ばれたポニーテールのウエイトレスが水差しを持って立っている。お冷を入れに来たらしい。だが、テーブルには既に水の入ったポットが置いてある。あくまでも話に入りたいがための口実なのだろう。
「あ、れなちゃん。判っているなら今度映画にでも……」動揺して少し声の震える国長野。高野内たちが目の前にいるにもかかわらず、大胆にもウエイトレスを口説き始めた。
「うちのお父さん、よく知っているでしょう? あの人の前でそんな事言っちゃ駄目よ。相手が誰であれ、反対するのが親の使命だと思っているんだから」
 なら、俺たちの前ならいいのか。
「だったらせめてメアドくらい教えてくれてもいいじゃないか。もう半年も通っているんだし」
 二人はすっかり世界に入り、探偵コンビなど目に入らないらしい。小夜子は聞こえない素振りでパフェを満喫していた。
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