第4話

文字数 4,526文字

「ちょっと待ってください! どうして私なんですか! ……確かに高野内さんの言葉通りの手順を踏めばロープから抜け出すことは可能だったかもしれません。ですが、私ならやはり皆さんを開放して警察に通報したでしょう。その後はもちろん水無瀬から拳銃を取り上げたうえで逆に彼を拘束したでしょうし」
 さも自分は関係ないと言わんばかりの勢いで一気にまくし立てた。
「私の“最後”の推理はこうです。もちろんあなたは最初――つまりロープから抜け出した時点ではそうするつもりだったのでしょう。ところが始めに取った行動は、我々のロープを切る事ではなく、警察に通報する事でもなく、ましてや水無瀬から拳銃を奪う事でもなかった」
「……」
 マスターを見るとさっきの勢いはすっかり鳴りを潜め、顔をこわばらせながら口を固く閉ざしている。高野内はいよいよここが正念場といった風で語気を強めていた。
「あなたはロープから抜け出してから、最初に物置に向かったのです。当然、麗奈さんの安否を確かめるために。そして扉を開けるも、目の前にあったのは変わり果てた娘の姿。胸には銀色のバタフライナイフ。水無瀬が殺したと思い込んだとしても不思議ではありません。沙里さんが麗奈さんを殺したことが明るみになった際に、あなたはこう攻め立てましたよね。『“本当は”お前が麗奈を殺したのか!』と。なぜ“本当は”と言ったのでしょう。それは麗奈さんを殺したのは水無瀬だと信じていたからではありませんか? 怒りに震えたあなたは奴の拳銃を手に取り、熟睡している水無瀬の体を起こして拳銃を握らせる。そして自殺に見せかけるために、胸に向けさせて引き金を……」
 すると五反田は高野内の言葉を遮った。
「ちょっと待ってください。銃声が聞こえてきた時、マスターは自分達と一緒に縛られていました。もし、マスターが殺したのだとしたら、水無瀬のすぐそばにいたはずです。これはどう説明するつもりですか?」
「よく気が付きました。みなさん、それこそがこの事件の最大のミステリーなのです」

 テレビドラマであれば、ここでCMが入るところだが、小説なのでそうはいかない。

「では、本題に戻ります。マスターはどうやってそのような離れ業を行ったのでしょう? これがSF小説であれば問題ありません。瞬間移動とか念動力なんて登場したかもしれませんし、時間を止めることもアリでしょう。ところがこの作品ではそうはいかない。作者にそれだけの筆力が無いのは、この際置いておくとして(おいおい!)、超能力や魔法を使わずにどうやってそれを可能にしたのでしょうか?」
「さっぱり判らないわ。降参するから教えて頂戴」沙里はすっかりお手上げ状態で、高野内に丸投げした。小夜子には事件の全貌が見えていたが、ここは敢えて発言を控えた。
「その前にもう一つ問題があります。いくら我々が眠っていたからって、どうしてマスターはそんな大胆な行動がとれたのでしょうか。これが“ラスト”の推理です」
 さっき“最後”の推理って言ったくせに、とは誰も突っ込まない。もちろん小夜子でさえも。
「我々が縛られる前の事を思い出してください。マスターであるあなたの提案で、みんなにコーヒーを振舞いましたね。しかし、覚醒作用のあるカフェインの入ったコーヒーを飲んだにもかかわらず、水無瀬は急に眠気を訴えた。あなたはコーヒーに睡眠薬を混入したのでしょう。本当は水無瀬だけに飲ませたかったのでしょうが、あの状況では警戒するのが当然だったので、別の方法を取った――。あなたもみんなと一緒に睡眠薬入りのコーヒーを飲むことにしたのです。正確に言えば、あなたは飲む“ふり”をしただけで実際には一滴も飲んでいなかった。誰も飲んだ後のカップを確認しなかったし、カップを回収したのはあなた自身でした。カップをすぐに洗ったのも自分が飲んでいない証拠を消すためです。……あなたの狙いは上手くいきました。あの時は縛られたこともあり、かなりの興奮状態だったにもかかわらず、私は数分後に眠気に襲われました。五反田さんもそうではありませんでしたか?」五反田は同意するように頷いた。もちろん小夜子と沙里も。「あなたはみんなが眠りについたのを見計らってロープを解き、麗奈さんの遺体を見つけ、復讐を計ろうと水無瀬に近づいた……」
 余りのショックに言葉が出ない。同じ結論に達していたとはいえ、やはりマスターが犯人だった。小夜子は怒りを通り越して、悲しみの感情を抑えきれないでいる。
 沙里と五反田は固唾を呑んで高野内の言葉を聞き入っているようだ。
「それからあなたは、水無瀬の足元にあるボストンバッグが気になりジッパーを開けてみると、そこには大量の札束と共にもう一丁の拳銃があった。その拳銃は水無瀬の物と同じベレッタM9、おそらくサイレンサーが付いていたのではありませんか? その拳銃を取り出して水無瀬に握らせて発砲した。意外に思うかもしれませんが、サイレンサーと言っても、映画やドラマのような消音効果は期待できません。例えるなら『バーン!』が『バン!』となるくらいです。ミステリーを読みつくしているあなたが、その事を知らない訳はありませんよね。おそらく銃声が鳴った時点で、誰かが起き出すのも覚悟の上だったのでしょう。そうなった場合、『麗奈を殺した罪を告白して自殺した』とでも証言するつもりだったのではありませんか?」
 マスターは沈黙を守ったまま、石像のように固まっている。小夜子の目には、自ら罪を認めているようにも映った。
「ところが、いざ引き金を引いたところ、誰も起き出す様子が無い。想像以上に睡眠薬が効いていたのです。そこであなたはサイレンサーを外して拳銃を水無瀬の右手の下に置いた。しかし、それはあなたの犯した唯一のミスだったのです。判りますか?」 
 いきなりの質問に動揺したのか、身を震わせながら黙したまま首を振った。
「もし、水無瀬が自分で胸の心臓部分を撃ったとすれば、拳銃は左手側に落ちていなければならなかった。それが右にあったということは、自殺ではなく、誰かが置いたということになる。そしてあなたは元々奴が手にしていた拳銃をズボンの後ろ側に挟み、自らを縛り上げた。そこでもミステリー好きが功を奏し、あなたは自分でロープを縛る方法を知っていたのです。そして我々の横に寝転び、腰に挟んだ拳銃を抜き出して引き金を引いた。今度は距離が近いのとサイレンサーをつけていなかったので大きな爆音が鳴り、我々は直ぐに目覚めた……。以上です。何か質問は?」
 納得いかない顔のマスターは苛立たし気に貧乏ゆすりをしながら反論する。
「もし、高野内さんのおっしゃる通り、私が自分で縛ったとすれば、一人だけ結び目が違っていた事になりますよね。他の人はともかく、あなたがそれに気づかなかったのは変じゃありませんか? 私のロープはあなたが結んだのですから」言葉は丁寧だったが、さっきまで石のように硬くなっていたとは思えない程、激しい口調だった。
 高野内の答えはこうだった。
「確かに私は結び目に気づきませんでした。しかし、あの時の状況を思い出してください。包丁をカウンターから持ってきたあなたは、私にそれを渡して自分のロープを切るように指示しましたよね。その時、手が痺れているし自分は怪我をしても構わないからと言いました。私は思いやりのある男気の強い方だなと感心しましたが、本当は自分だけ結び方が変わっているのを気づかせないようにするためだったのではないですか? 切ってしまえば証拠は残りませんからね」
 高野内は一息つきながら、手首に出来たあざをさすっている。それに釣られたのかのように他のみんなもさすり出した。もちろん小夜子もである。
 するとマスターはいきなり拍手を始めた。まるで罪を認めたようにも見えるが……。
「さすがは高野内さんです。パーフェクトな推理に感銘を受けました……と言いたいところですが、敢えて反論させてもらいますよ。定番の台詞で申し訳ないが、私が水無瀬を殺したという証拠はあるのですか? なければどんなに素晴らしい推理でも、ただの仮説にしかすぎません。多くのミステリー小説がそうであるようにね」
「おっしゃる通りです。ですが私の“最終的”な推理が正しければ、証拠はそこにあります」高野内はマスターの足元を指さした。マスターの表情が、一瞬、引きつったように感じた。
 今度は“最終的”かい。いつまで続くんだこの推理は。小夜子はこの長ったらしい推理パートに、正直、うんざり気味だった。

 頑張れ、もう少しだ! 何が?

「あなたはさっきからずっとそこに座っていますよね。コーヒーを淹れる前も後も。そして一切動こうとしません。すぐ傍には国長野さんの亡骸があるにもかかわらずです。最初は麗奈さんの眠る物置を見るためだと思っていましたが、それならばもっと手前の方がよく見えます。その場所にこだわるのは何故ですか?」
 高野内の指摘に対し、マスターは上ずった声で述べた。口調も荒くなっている。
「特に意味はない。この場所が好きなんだ。スピーカーからの音もよく聴こえるのでね」
「ですが今は鳴っていませんし、そこが音楽を聴くうえで最適な場所とも思えません。……では何故あえてそこに座り続けているのでしょうか?」
「そんなものたまたまだ。私がどこに座ろうが、今回の事件とは関係ないでしょう。それに大事な娘を失って、これ以上あんまり動く気力がないんだ」
「そこはさっきまであなたが縛られていた場所ですよね。偶然にしては出来過ぎています。おそらくあなたの足の下には弾痕が残されているのではありませんか?」
 マスターはがっくりと肩を落とし、うなだれながらゆっくりと右足を退ける。
と、そこには黒い小さな穴が顔をのぞかせていた。
「それだけではありません。我々が目覚めた時、あなたは包丁を取りにカウンター内の厨房に入った。その時に拳銃とサイレンサーを隠した筈です。睡眠薬とロープの切れ端もどこかにあるでしょう。警察が線条痕と硝煙反応を調べれば、あなたの犯行を裏付ける決定的な証拠が出てくるでしょう。水無瀬の体内から睡眠薬の成分も検出されるでしょうしね。ミステリーを知り尽くしているあなたは、自分のトリックに自信があったでしょうが、警察が捜査をすれば、誰の犯行かいずれ暴かれます。だから警察が到着する前に私に挑戦したのです。ですが、最後の段階で躓きましたね。麗奈さんのこともあり、とっさのことでしたから仕方ないでしょうが、どんなに優れたトリックを用いても、結局最後には解決される全ての推理小説のごとく、完全犯罪は難しいものです――。まあ、私でなければ、この謎の迷路は永久に袋小路だったでしょうがね」
 たった今、警察が調べたらすぐに判ると言ったばかりなのに、“謎の迷路は永久に袋小路だった”、なんてよくもふてぶてしい事を言えるものだ。
 そう思いつつ厨房に入り、小夜子は扉や引き出しを次々と開けていく。
 やがてキャビネットの中から拳銃を発見し、声を上げた。
「……ありました……」
 小夜子にとってその声は歓喜とも悲痛とも言えた。
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