第2話

文字数 3,141文字

 カランコロン。
 小窓の付いた木製のドアを開き、小夜子を連れて店内へと入る。途端に香ばしいコーヒーの匂いが鼻腔を突く。四人掛けのテーブル席が三つとカウンター席が五つ、まさしくこじんまりという表現がぴったりの、田舎の喫茶店そのものである。
 カウンター席にはサラリーマンらしき男性客が一人、一番奥のテーブル席にはカップルと見られる男女がいた。厨房には、深いシワの目立つ、口髭を生やした、如何にも店長風の五十代らしき男が、客であるはずの高野内たちを見ようともせずに、顔を伏せながら熱心にガラスのコップを磨いている。すっかり薄くなっている頭頂部を隠そうともせずに、サイドの灰色の髪を肩までなびかせて、見ているこっちの気が滅入らざるを得ない。本人としては、フォークソングが流行った頃のロン毛を意識しているのかもしれないが、高野内にしてみれば、ただの落ち武者にしか見えなかった。彼は薄い黄色のエプロンを掛け、その胸元は『I❤SEIKO』とデザインされている。余程の松田聖子ファンに違いない。
 落ち武者のとなり奥には、まだ二十代とみられるウエイトレスらしき女性がいて、「いらっしゃいませ」と明るい笑顔を向けた。彼女は後ろでまとめたポニーテールで、ちょうどいいくらいに日焼けした肌に、くりりとした大きな瞳。白のブラウスにひざ下までの赤色のスカートで、フリルの付いたホワイトエプロンの上からでも、はっきりと判る胸のサイズは目を見張るものがあり、小夜子の残念なそれとは対照的である。
 曲が変わり、食器の並ぶ木製の棚の上に備え付けられているスピーカーから、小泉今日子の気の抜けたメロディが流れ出す。
 カウンターの上部には大きめのアナログ時計があり、ピンクレディーの二人の写真がプリントされていた。その横にはS字フックが並び吊るされている。以前は植木鉢か何か飾っていたのだろうが、今はただぶら下がっているだけ。
 あちこちの壁には松田聖子を中心に、堀ちえみや榊原郁恵などの色あせたアイドルたちのポスターが貼られ、大部分を占領していた。
 なるほど。店名のエイティーズは、八十年代から来ているのかと妙に納得する。
 高野内は入り口から一番近いテーブル席に腰を下ろし、彼の助手も正面に座った。
 
 ポニーテールが、はにかみながらコップの水をテーブルに置く。「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」と、言葉を残してカウンターに消えると、早速メニューを開く。
「それにしてもここは何処なの? 絶対に都内じゃないわよね。あなたを信用した私が愚かだったわ」肘をつくなり溜息を吐く。あれだけ高いびきだったにもかかわらず、小夜子は欠伸を繰り返しながら、窓の外に顔を向けた。
「いや、せっかくだから長閑な田園風景を満喫しようと思ってさ。……大丈夫、道はちゃんと把握しているから、夕方までには東京に帰れるぞ」まさか道に迷ったとはとても言えない。冷や汗を感じながら注文選びに没頭するふりをする。
「……それにしても楽しかったわね。琴美ちゃんや鈴香さんも元気そうだったし、夕食に出たチキン南蛮も美味しかった。その上、お土産まで貰っちゃって、わざわざ宮崎まで出向いた甲斐があったわね」
 小夜子はメニューに目を落としながら嬉しそうに語る。弥生丸という豪華客船で偶然知り合った母娘に再会できて、本当に満足したようだった。高野内は琴美の顔をまともに見ることができなかったが、それでもどこかホッとする自分がいて、最後は微笑むことが出来るようになった。なぜそうだったのか、詳しい理由を知らない方は、『名探偵、超苦難』をお読みください。
「税理士のご主人に会えなかったのは少し残念だったけど、急な出張なら仕方ないか」
「そういえば琴美ちゃんに殴られた足はもう大丈夫なの?」言われて足をさする。
「まだ少し痛むよ。なにせ、お土産に渡したバットで、思い切り右足を殴られたんだからな。まだ完治したばっかりだったのに」
 数か月前、小夜子の高校で起きたある事件を調査中に、歩道橋から突き落とされて右足を骨折し、しばらく入院していたのだった。そのくだりを知りたければ――、やっぱり今はやめておこう。
「だから、どうして女の子にバットなんか持って行ったの。野球が好きだって琴美ちゃんは一言も言っていなかったのに」 
 コップを傾けながら、小夜子は目を細めている。
「いや、それは弥生丸で会った時に、きっと野球に興味があると推理したからだ。予想通り喜んでいただろ?」
「私には、ただの社交辞令にしか見えなかったわ。子供にそんな気を使わせて、恥ずかしいとは思わないの?」
「小夜子はそういうけど、あの目は確かに嬉しがっていた。本人は意識していなくても、内心はバットを欲していたに違いない」
「相変わらず調子いいわね。ポジティブ思考もそこまでいくと、ある種の天才だわ」
 呆れる小夜子の横に、先ほどのポニーテールが伝票を手に現れた。高野内は注文を聞きに来たのだと推理する。
「ご注文はお決まりですか?」
 やっぱりそうだと満足する。そんな名推理(?)を知ってか知らずか、小夜子はレモンティーとフルーツパフェのセットをさらりと注文した。慌ててメニューを睨みつけると、ブレンドコーヒーと、とっさに目に入ったチーズケーキを頼んだ。
「ところで受験勉強の方はどうなんだ。医学部には入れそうなのか?」
「私を誰だと思っているの。そこら辺の能無し探偵とは頭の出来が違うのよ」
「能無し探偵とは、もしかして江戸川コナンのことか? それとも金田一少年? まさか船越英一郎か?」
「あなたの事に決まっているでしょう? 他に誰がいるっていうの」小夜子は真顔で指摘した。
「ふん」鼻で笑ってみせる。「言わせてもらえば、俺以外の探偵は、みんな大したこと無いぜ。誰かみたいに二時間かけたり、コミック一冊分かけたりはせず、俺だったら五分で解決してみせるさ。たとえどんな事件でもな」
「その割には弥生丸の事件や、この前の私の高校での事件だって悪戦苦闘していたみたいですけど」
 白い目を向けながら、小夜子は残りの水を飲み干すと、テーブルの上の水差しからお代わりを入れた。レモンティーを待てないところをみると、余程喉が渇いていたに違いない。
「あれは……犯人が俺並みに天才だったからだ。まるで怪人二十面相と明智小五郎みたいにさ」
「だったら私はさしずめ小林少年ってところかしら。……それにしても、少年探偵団シリーズに出てくる怪人二十面相って、結構微妙よね。だって何年もかけて準備した割には明智にあっさりとトリックを暴かれたり、誰にも気づかれなかった変装が一瞬で見破られたり。……それに二十では足りないからって、途中で四十面相を名乗り出したりとかね。迷走もいいところよね」
「そうなのか? 俺は一冊も読んだ事ないから、何となくとしか判らないけど」
「呆れた」小夜子は口を尖らせる。「名探偵を自称するなら、江戸川乱歩くらいは読みなさいよ。漫画ばかりじゃなくて」
「小説なんて時代遅れなカルチャーには興味が無いんだよ。お前も知っての通り、流行の最先端を行っているからな、俺は」パチンと指を鳴らす。
「小説の主人公がそんな喧嘩を売るようなこと言っていいの? それに最先端の割には鈴香さんから借りたスマホの操作が判らなくて七転八倒していたのはどこの誰だったかしら。琴美ちゃんも呆れていたわよ」
 聞こえないふりをして話を逸らした。「そういえばコーヒー遅いな。……今頃、豆を栽培していたりして」
「小学生レベルね。誤魔化し方もジョークの内容も」
 すると背後で男性の低い声が聞こえる。
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