第3話

文字数 3,249文字

 静まり返ったスナックの店内は張り詰めた緊張の色で染まり出す。
「……ホクロは以前から気になっていて、今回の事件を期に美容整形しました。それに眼鏡はあくまでもプライベート用。仕事の時はコンタクトをしてるの。髪は……」
「カツラだったんでしょう?」高野内は食い気味に言った。「気持ちを整理するためにしてはイメチェンしすぎです。あなたはエイティーズで終始ホクロを触っていました。ずっとクセなんだろうと思っていましたが、実際はつけボクロが取れないか心配だったのですね」
 開き直った五反田は、しょうがないなと前置きしてから口を尖らせた。
「判った、白状します。ルックスがイマイチな自分が恥ずかしくて、エイティーズに行くときは、いつも変装していたんです。悪いですか? でも、どうして私が竹野内の恋人だと思ったのです? まさか当てずっぽうなんて言いませんよね。結局あなたは何をおっしゃりたいのですか。私は被害者ですよ、あなたもご存知の通り、事件には全く関係ありません。ただ巻き込まれただけなんです」
「それは私を含めて他の皆さんもそうです。ですが、果たしてそうでしょうか。あなたは敢えてあの場所に現れたのではありませんか?」
 高野内はカウンターに置いてあるマッチに手を伸ばして、ようやくフィリップに火をつけた。ライターを切らしていたわけではない。何となくそうしたい気分だった。
「おかしいと思いました。毎週通うほどの常連であるあなたが、BGMが鳴っていないことに気づかない訳がありません。あれだけの大音量です。少なくとも車を降りた時点で音楽が鳴っていないことに不信を抱かないのは、おかしいとしか思えない。ましてや、あなたはマスターと同じくアイドルマニアですよね。音楽には人一倍うるさいはずです。あなたは店に入るなり、マスターと麗奈さんがいないことを指摘しましたが、BGMに関しては一切触れませんでした」
 妖艶な目で高野内を睨みつける五反田。彼女は自分の煙草を取り出すと、それを燻らせる。銘柄はラッキーストライクだった。
「さすが探偵といったところです。“名”が付くかどうかは微妙ですが。……あの時のことはよく覚えていませんが、まさかそれだけのことで私を犯罪者扱いするんですか?」
 しらを切り続けようとする五反田に、高野内は攻勢の構えを崩さない。
「もう一つ疑問があります。あなたは奴に携帯を出すように命令された時、河合奈保子のCD以外、何も持っていませんでしたね。携帯どころか財布と車の鍵もです。百歩譲って携帯と財布はいいでしょう。元々携帯を持たない人もいるし、CDを渡したらすぐに帰るつもりで財布を車に置いてきたのかもしれない。ところが、あなたは車の鍵を持っていなかった。それは何故ですか?」
 高野内の言葉に、大したことではないといった素振りを見せながら、五反田は平然とした口調で答える。
「……あんな田舎ですから、車に鍵を挿したままでいる人は別に珍しくもありません。おっしゃる通り、CDを渡したらすぐに帰るつもりでしたので、特に問題ないと思ったんです。まさかあんな事になるなんて、思ってもみませんでしたからね」
「そう答えると思っていました。本当の問題はあなたが車の鍵を持っていなかった事ではありません。竹野内がどうしてその事を“知っていたか”なのです」
 五反田の片眉が吊り上がった。
「意味が判りません。ちゃんと説明してくれますか」
「あなたは知らなかったでしょうが、竹野内は全員に携帯と車の鍵を出すように命令し、我々はそれに従いました。ところが、あなたの場合は違った。竹野内はあなたに携帯だけを要求した。鍵には一切触れずにね。あなたは車で来たことは竹野内ならずとも全員が知っています。にも拘わらず、鍵を持っていないということは、車に挿したままであったということ。当然、竹野内も気づいた筈。しかし、その事を指摘する気配も見せず、そのままやり過ごしていた。もし誰かが店を抜け出せば、簡単に逃亡できるにもかかわらずです。……あれだけ用心深かった奴が、それを見逃す筈はありません。……竹野内は知っていたのです。あなたが車の鍵を挿したままでいる理由を!」
 言い終えた高野内は水のお代わりを要求した。当然拒否されると思ったが、五反田は笑顔で蛇口を捻る。
「……ならば、どうして彼は知らない“ふり”をしていたのでしょう。私がXなら、芝居なんかせずにそのまま逃走すればよかったのに」
 振り返った五反田は棚からウイスキーを取り出し、グラスに注ぐ。カウンターへ置くと高野内に勧めてきたが、あいにく車なんでと断ると、彼女はそのグラスを持ち、口を湿らす。
「もちろんそのつもりだったのでしょう。当初の計画では一般客を装っていた竹野内は、あなたと合流し、一緒に逃亡を図る予定でした。ところが奴が拳銃を落としたことで正体がバレてしまい、急遽、立て籠もる道を選んだ。連絡しようにもあなたは携帯を持たないから、なす術が無い。携帯を持っていなかった理由は、恐らく途中で警察に尋問された時を想定して、ワザと置いてきたのでしょう。それが裏目に出た訳です。そこで彼がとるべき方法は二つ。あなたが来た時点で我々を皆殺しにするか、あなたを人質の一人に見立て、夜が明けるのを待ち、共に逃亡するかです。知っての通り、彼は後者を選びました。殺人を犯すことに抵抗があったからに違いありません。あなたの恋人は残酷になりきれない心の澄んだ男だったのです」
 五反田は口を挟もうとはしない。ウイスキーは既に二杯目だった。
 高野内も二本目を吸い終えると、何気なくマッチ箱を指で弾いた。
「あなたは竹野内の真意を悟り、何も知らない一般客を装うことにしました。彼が大金を手に入れたいきさつを話した後に、あなたは自分を人質にして一緒に逃げようと言いましたね。きっと二人で店を出る口実だったのでしょう。彼もあなたの真意を理解して提案に乗るつもりだった。……ところが、我々が邪魔をしてしまい、折角のプランが台無しになった。仕方がなくあなたは人質の一人として朝を迎える覚悟をした。翌朝には改めてあなたを人質として連れ出し、あなたの車で逃走を図るつもりだった。……拳銃が二丁あったのも、一つはあなたのための物だったのではありませんか? それがマスターにトリックとして利用されたのですから皮肉なものです。……エイティーズに変装して通っていたのも、マスターの趣味に合わせてアイドルオタクを演じていたのも、すべて西木屋親子から周辺の情報を訊き出すためだった。……私の推理は以上です。もし間違いがあれば訂正してください」
 すべてを語り終えた高野内は、フィリップを箱に入れたまま、マッチを擦った。揺らめく炎を見つめながら深くため息を吐く。
「……人生とは、はかないものです。一瞬のためにすべてを費やす。彼もそうだったのでしょう。愛するあなたとの未来のために全力で立ち向かった――。彼を擁護するわけではありませんが、その気持ちだけでも心に留めておいてください」
 同調するように水色の吐息を吐くと、五反田はショットグラスでジンを一気に飲んだ。カウンターの上に空になったグラスおくと、奥の引き出しから一枚の写真を取り出す。
「……これが彼と一緒に撮った唯一の想い出の品です。処分しろと言われたけど、どうしても捨てきれなかった。……あの日、本当はもう少し早く到着する予定だったけど、いろいろトラブルがあって遅れてしまった……。もし遅れる事さえなければ、彼も命を落とすことにはならなかったでしょうね。あなたにも悪いことしました。あの店を待ち合わせ場所に選ばなければ、あんな目に合わせずに済んだのですから」
 写真を手に遠い目をしながらラッキーストライクを咥えようとするが、既に残っていなかったらしく、勢いよく握り潰した。フィリップを差し出すも、五反田は手を伸ばそうとしない。
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