第3話

文字数 3,464文字

 高野内の推理は無情にも終わらない。
「私の推理はこうです。あなたはコーヒーを淹れ終わると、国長野さんにこう言ったのではありませんか? 『この中に一杯だけ睡眠薬を入れたから、それを水無瀬に配って』と。見た目はまったく同じだから、カップの側面にコーヒーの雫をつけたりして、目印にでもしたのでしょう。国長野さんはそれを承知して水無瀬に睡眠薬入りのカップを渡そうと試みましたが、警戒されてあえなく撃沈。その後は峰ヶ丘、私、沙里さん、そして麗奈さんの順番でカップを取りました。偶然にも残りの二杯のどちらかに、睡眠薬入りのコーヒーが残ったに違いありません。当然麗奈さんは睡眠薬の入ったカップを知っていたから、それを避けて選んだのでしょう。国長野さんは、最後に残ったカップに睡眠薬が入っていることを“知りながら”カップを取った。どうせ睡眠薬だから大したことは無いだろうと踏んでいただろうし、もし、最後の二つのどちらかに睡眠薬入りのコーヒーが残った場合、麗奈さんに飲ませる訳にはいかないと、彼が自分で飲むと事前に約束していたんだと思います。……ところが、あなたが入れたは睡眠薬などではなく猛毒だった。味の濃いコーヒーだから、苦みには気づかずに飲み終え、その後煙草を吸い始めた時点で効果が表れ始めた――。つまり水無瀬を狙ったつもりが、誤って国長野さんの方が死んでしまったのです……いかがです? 何か反論はありますか?」
 動揺したのだろう。しきりに瞬きをする麗奈は、視線を宙に向けながら、それでも必死の抵抗を見せた。
「……そんなの出まかせだわ。私が毒を盛ったという証拠はあるの?」
 仕方がないといった顔で、高野内に厨房を調査するようにと指示を出され、小夜子は渋々カウンターの中へ向かう。もちろん水無瀬の許可を取った上で。
 食器や調味料の並んだ棚や、冷蔵庫の中などを片っ端から調べていく。流し台の下の扉を開けるが、そこにはフライパンなどの調理器具以外、何も無い。
 厨房の奥には物置のような白いスチール製の箱があった。高さは天井程あるが、サイズとしてはそれほど大きく無く、電話ボックス並みといえるだろう。往年のアイドルと思われるシールが貼られた引き戸が付いている。元々鍵は付いて無いらしく、扉は何の抵抗もなく静かに開いた。中の広さは半畳程で、コーヒー豆の入った“ずた袋”や折り畳み椅子などが並べてある。上の方には棚が二段あり、上段の隅に洗剤があり、それに紛れるような恰好で小さな茶色の瓶があった。手に取ってみるとラベルが無く、錠剤のようなものが十粒ほど透けて見える。
 怪しいのはこれくらいで、小夜子は小瓶を手に物置を後にした。
 椅子にもたれかかるようにして座っている麗奈は、俯きながらピクリともしない。小夜子は戸惑いながら小瓶を見せる。
「……これは物置の棚の奥に押し込まれていました。麗奈さん、これは何ですか? 正直におっしゃって下さい」
 小夜子が詰め寄ると麗奈は頭を上げ、抑揚のない声で言いのけた。
「……ただのサプリメントよ。最近ダイエットしていて、栄養補充のために購入した物で、毒物なんかじゃないわ」
 すると高野内はいきなり小瓶を持ち上げて麗奈に迫る。
「でしたら、今から実際に呑んでみてください。ただのサプリなら何の問題もないでしょう?」だが、麗奈は再び顔を下げると、高野内の追い込みは更にヒートアップしていく。「……どうしました? 何を躊躇しているんです。あなたが拒むのであれば、実際に呑んで実験してみましょう」
 高野内は小瓶を軽く振ると、小夜子に向かってそれを投げてきた。思わず受け取るが、当然のごとく拒否反応をあらわにする。
「どうして私なの! 今の流れからいって、あなたが自分で呑む空気だったでしょう? そんなにビビりだったとは知らなかったわ。……本当は知っていたけど」真っ赤な顔で口を尖らせ、小夜子は握りこぶしを腰に当てながら、足を踏み鳴らす。高野内は返事もせず、ニヤつきながら目の奥を光らせている。
 こうなったらヤケクソよ。「いいわ、私は麗奈さんを信じます」瓶の蓋をゆっくりと回し出した。
「止めて! それを呑んじゃダメ!」
 その言葉に手が止まると、溜息をつきながら瓶の蓋を締め直す。それを高野内に投げ返すと、彼は麗奈に向き直し、はっきりとした口調でこう述べた。
「あなたは小夜子を止めました。したがって、これがただのサプリではないことを認めたことになります。……あなたは心の優しい人だ。これ以上、罪のない人が犠牲になる事を望んではいない」
「……」沈黙の麗奈。彼女は唇を噛みしめながらしっかりとまぶたを閉じていた。
「気持ちは判ります。誰だってこんな状況になれば、あなたと同じ行動をとっても仕方がない事です。上手くいけば水無瀬は――水無瀬さんは死ぬだろうし、仮に失敗したとしても、誰かが犠牲になり、混乱に紛れて脱出できるとでも考えたのでしょう。あなたにしてみれば、自分以外の誰が死んでも良かったのではありませんか? ですが、あなたは国長野さんが毒入りコーヒーを飲むのを止めず、見殺しにした。その罪は決して許されるものではない!」
 すべてを言い終えたらしく、高野内は肩で息をしながら、テーブルの椅子を引き寄せて、ずっしりと沈み込んだ。
 おもむろに椅子から立ち上がると、水無瀬は麗奈の元へ。拳銃を左手に持ち変えると、右手を振り上げる。

 パチン!
 
 平手打ちが飛んだ。
 麗奈は真っ赤に染まった頬に手を当てながら、水無瀬を強い目で睨み返している。よく見ると彼女の瞳からは、一筋の光るものが流れ落ちる。それは後悔しているようでもあり、水無瀬を憎んでいるようにも取れる。
「おっと、マスターにお前を傷つけねえと約束したから、今回はこれくらいで勘弁してやる。本当は拳銃(こいつ)をぶちかましてやりてえところだがな。……かといって、お前をこのままにしておくわけにもいかねえ」
 ボストンバッグを引き寄せると、水無瀬は中から頑丈そうなロープを取り出し、高野内に放り投げる。「あんた、この娘を縛り上げろ!」だが、気が変わったようで、「……いや、やっぱり俺がやる。わざと緩く縛るかも知れねえからな」
 ロープを取り上げ、麗奈以外を店の奥に横たえてある国長野の死体の前に集めさせる。水無瀬は拳銃をテーブルに置き、麗奈を後ろ手にロープで縛りつけ、さるぐつわをはめる。それが終わると、再び拳銃を構えながら高野内に命令した。
「おい、こいつを物入れの中に閉じ込めるんだ。早くしろ!」
 水無瀬の指示した先は、厨房の奥の物置に向けられていた。先ほど小瓶を見つけた場所だ。
 高野内は眉を寄せながら縛られている麗奈に近づこうとしたが、それを制するように沙里が水無瀬に向かって歩み出る。
 小夜子は驚愕した。
 何を思ったのか、沙里は不敵な笑顔を見せながら水無瀬のジャンバーの腰に手を回し、耳元に甘い言葉を投げかけているではないか。
「ねえ、水無瀬のおじさん。私と少し遊ばない? あなたってすっごくタイプなの。私を縛ってもいいから、気持ちいいことしましょうよ」
 まさかの誘惑に水無瀬は言葉を失っている様子。小夜子も呆気にとられ、プチパニックをおこしかけていた。
にやけ面の水無瀬は、だらしなく口を半開きさせるも、突如、激しく首を振り、沙里を片手で突き放した。
「……お前もなかなかのタマだな。恋人が死にかけてるってえのに、俺にモーションを掛けるなんざ、スケコマシもいいところだ。悪いがその手は食わねえぜ。女は隙を見せると何をするか判ったもんじゃねえ。この小娘のようにな!」
 水無瀬はうずくまっている麗奈の背中を軽く蹴り上げた。
「うっ!」唸り声が上がると、水無瀬は沙里に銃口を向ける。
「あら残念だわ。私も信吾がいなくなって寂しいのに。もし気が変わったら、いつでも声をかけて頂戴。お互い楽しみましょう」まるで娼婦のようだった。
「ふん、どこまで本気なのやら判ったもんじゃねえな。だが、お前も黙ってりゃいい女なのは間違いねえ。もし、プライベートで会う機会があれば、そん時こそ、お相手願いてえもんだな」
「その前に私が生きてここから出られたらね。この女は私が閉じこめてあげるわ」
そう言って縛られたままの麗奈を無理矢理立たせると、沙里は彼女を引きずるように、物置へ向かう。中の備品を外に出すと、麗奈を中に座らせ、扉を閉めた。
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