第3話

文字数 2,684文字

 高野内は水無瀬のテーブルに向かうと、足元にあるバッグを持ち上げてジッパーを横に引いた。そしてそれをひっくり返し、中身をテーブルにぶちまけると、大量の札束がドバドバと音を立てながら流れ落ち、テーブルを埋め尽くしていく。その内のいくつかはテーブルからこぼれ落ち、それを拾い集めるときれいに並べて数を数えだした。
「ひい、ふう、みい……なるほど、百万円の束が全部で五十二個あります。河原崎君の治療費に百万、私の報酬が三百万として彼のバッグには、最初五千六百万円あった計算になりますね。なかなかの大金です。私ならこの金で逃げられるところまで逃げて、金が尽きたところで警察に自首するでしょう。海外に逃亡して投資でもしながら優雅に暮らすという手段もあります。自殺するにしても同じことです。今の段階で自殺するという決断はまず考えられません――。ここまではお判りですか?」
 皆、一様に頷く。小夜子もここまでは納得がいった。
「ではなぜ、水無瀬は死んだのでしょうか? まず、この状況で事故は絶対にあり得ません。奴がたまたま拳銃を自分の胸に当てた瞬間にたまたま銃が暴発しただなんて……まあ、恥も外聞もないこの作者ならこんなチンケなトリックでも平気で書くでしょうが」
 そんなみっともない真似できるか!……あり得るけど……。
「水無瀬が他殺であることは明白です。他に可能性は考えられません」
 そこで小夜子は疑問を挟む。
「でも、水無瀬が殺されたとすれば、一体誰が? 私たちはずっと縛れられていたのよ。まさか誰かが侵入して彼を殺したとか?」
 問題はそこである。果たして推理の結末をこの苦難の探偵はどう結ぶのだろうか? 小夜子は気を揉まずにはいられなかった。
「その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。みなさんも知っての通り、この店に入り口は一つだけで、しかも内側からカギがかけられている。もし、誰かが来たとするならば――、その人物を仮にXとしましょう。そのXは合鍵を持っていたか、もしくは水無瀬が招き入れたかのどちらかでしかありません。ドアを開ける際にベルが鳴るでしょうが、我々は熟睡していたのでその点は問題なかった。……マスター、あなたと麗奈さん以外にこの店の合鍵を持っていますか?」
 マスターは首を振り「いえ、誰もいません」と答える。
「でしょうね。となるとXは水無瀬の顔見知りとなります。ですが、まさか警察や組織の連中とは思えませんし、一般客だとしたら、追い返すか無視するでしょう。では水無瀬の協力者だったのでしょうか? だとすれば最初からこんな立てこもりなんかはせずに、最初からXと合流した筈です。こんな田舎町ですからXは当然車かバイク。スマホで連絡を取れば一発です。もし水無瀬とXが事前にこの店で待ち合わせており、何らかの理由でXが遅れて着いたとしても、その時点で一緒に逃げたはずです。ここに留まる必要はない。我々は縛られた上に熟睡していたのだから、すぐに通報される恐れもない。または水無瀬との間に仲間割れが生じてXが殺害したとしても、自殺に見せかける意味はないし、現金を置いたまま立ち去るなんてあまりに不自然です――。よってXなる協力者は存在しなかったことになります」
「じゃあ、もしかして……」小夜子は目を見開き、口に手を当てて驚愕した。
「そう、水無瀬を殺した人物はこの中にいる!」
 
 フクロウが鳴いた。
 夜のとばりもいよいよ終焉を迎えつつあった。時計を見ると四時四十分。早ければあと二十分ほどで警察が到着する計算になる。
「誰ですか、水無瀬を殺害した犯人は?」マスターは声を張り上げる。
「それはおいおい解明されるでしょう。一見、誰にも犯行は不可能に見えますが、私から言わせてもらえば逆に誰にでも犯行は可能だったと言えます」
 小夜子はポカンと口を開けた。「どういう事なの? 意味が判らないわ。あなたは私たちの誰もが水無瀬を殺すチャンスがあったと言いたいの?」
 小夜子の質問に高野内はそうだと頷いた。
「あの時、私を含めた全員は眠り込んでいました。もし、誰かが密かに起き出し、マスターみたいに縛られた状態で厨房に包丁を取りに行き、自分でロープを切ることは不可能じゃない」
「そんなに簡単に切れるものかしら?」沙里も不安げな顔で両腕を抱いている。
「例えば、膝をついて床に座り、足首の間に包丁を挟んで手首のロープを上下にこする。時間はかかるだろうが、この方法なら一人でも抜け出すことはできる。そして水無瀬を殺した後でまた自らをロープで縛った。自分で縛るのは切る事に比べて遥かに難しいですが、方法さえ知っていればやってやれないことはない――。したがって誰にでも犯行は可能だった」
 マスターは納得したように首を傾げた。「なるほど、そうかもしれませんね。では一体誰がそんな真似をしたのでしょう」
「例えば小夜子」
 唐突に名前が上がり、すっかり油断していた小夜子は椅子から転げ落ちそうになった。
「私? どうしてそんなことしなければならないの。もし私だったら真っ先にみんなを解放するわ。そして通報した後で逃げ出すか、水無瀬を縛りつけたでしょうし」
 どうして自分が疑われるのかと、小夜子は弁解した。高野内はあくまで可能性の問題だと話を続ける。
「小夜子だけではなく、沙里さんやマスター、それに五反田さんにも同じことが言えます」
「私は違いますよ、私は巻き込まれただけです」五反田は必死で唾を飛ばす。
それはみんなも同じだと五反田以外は口を揃えて言った。
「そしてもちろんあなたにもね、高野内さん」沙里はまるでさっきの仕返しとばかりに高野内を睨みつける。
「そうです。……ですがここで疑問が生じます。小夜子、何か判るかい?」
「さっぱり判らないわ。一体何?」
「水無瀬を殺した動機さ。お前が言ったように、あの状況でロープから抜け出したとすれば、それが誰であろうと、まずはみんなのロープを解き、警察に通報したでしょう。ところが、何故かその人物は水無瀬を自殺に見立てて殺害し、また自らを縛った――。それはなぜか?」
 恐ろしい考えが頭に浮かび、小夜子は悲鳴に近い声を上げた。「まさか……そんな事って……」
絶対にないと否定すればするほど、その人物の犯行に思えてならなかった。
「どうやら気づいたようだな。そうです、この中のある人物だけが、水無瀬を殺す動機があった。違いますか?」
 高野内が向けた指の先には、壁際の特等席で頑なに座り続けるマスターの西木屋源助がいた。
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