第5話

文字数 2,866文字

 やがて聞き覚えのあるエンジン音が店の前に止まり、ドアの閉まる音が響くと、入り口の扉がガチャガチャと音を鳴らす。
「おい、西木屋だ。約束通り河原崎君を病院まで送り届けた。娘とみんなは無事なのか? とにかくドアを開けてくれ」
 水無瀬が鍵を開けると、マスターこと西木屋源助が飛び込んできた。時計を見ると約束の時間より三十分も過ぎていたが、水無瀬はその事を指摘することはなかった。最初から遅れることを想定していたのだろう。病院で河原崎を引き渡し、片道二時間の道のりを往復三時間で移動させること自体に無理があった。それを三十分も縮めたのだから、マスターも必死だったと思われる。
「すまない。河原崎君の搬入に意外と手間取てしまって……。だが、ちゃんと金は渡したし、警察にも知らせていない。少し遅れたが約束は守ったんだ。麗奈は、娘は無事なんだろうな?」そこで新たな人物に目を向けた。「あれ? 五反田さん、どうしてここに?」五反田は黙って首を振った。
「ああ、あんたの娘は無事だ。だが、ちょっとだけ面倒な事が起きてな」
 奥に横たわる国長野の遺体を指さすと、マスターは震え上がる。
 蒼ざめるマスターをカウンターに座らせると、高野内は彼のいない間に起きた壮絶な出来事を、ゆっくりと語り出した。話が麗奈の所業に差し掛かると、マスターは次第に体が震えだし、嗚咽が漏れてくる。「違う、あれは自分が用意したもので、それを麗奈が間違って入れてしまったんだ」という苦しい言い訳も、ただ虚しく宙に消えていくのだった。
 水無瀬の前に立つと、マスターはいきなり膝をつき土下座をした。
「全部私の責任だ。娘は悪くない。あなたを陥れようとしたことは心から謝る。だから代わりに私を拘束してくれないか。頼む、一生のお願いだ」
 マスターが本気であることは、震える声からも充分伝わってくる。
「あんたの思いは判らんでもねえが、そいつは無理な相談だ。既に一人は死に、一人は重体、せいぜいあんたも次の犠牲者にならねえように気を付けるんだな」
「しかし……」
 マスターはそれでも食い下がろうとしている。父親のいじらしさというやつなのだろう。
「くどいな、あんたも。何を言おうが、こっちは聞く耳を持たねえつってんだ! これ以上死体を増やしたくなかったら、大人しくしとけ。俺を怒らせるとただじゃ済まねえぞ!」
 交渉は断念され、マスターは肩を落としながらカウンターにがっくりと腰を沈める。高野内は水無瀬の元にゆっくりと近づくと、フィリップモリスを箱ごとテーブルに置いた。
「どうです? そろそろ煙草が切れる頃なんじゃないですか? 私はさっきの一件で吸う気が薄れたので、全部差し上げます。もちろん毒なんて塗ってませんよ。何なら一本吸ってみせましょうか?」
「なかなか気が利くじゃねえか。じゃあ一本だけ頂くぜ。それよか、さっきの推理はなかなか見事だったぜ。最初はヒヤヒヤしたけどな」
 高野内の眉がピクリと動く。彼の言わんとすることが手に取るように判る。これが長年の付き合いというものだろうか。
「……あれが私のやり方です。全部知った上で、敢えて違う推理を見せる。そして犯人を油断させたところで真実を突き付ける――。まあ私のような選ばれたハイレベルの特殊でエレガントな、世界で数人しかいない超一流探偵である者にしかできない上級テクニックです。貴重な体験が出来てラッキーでしたね」
 小夜子は冷ややかな視線で『調子に乗ると、また痛い目に合うわよ』と告げた。傍らには五反田が怯えながら座っている。どうやら事の経緯を知りたがっているようであった。仕方が無いと小夜子は簡単に説明を始める。
 首を鳴らしながら、水無瀬は貰ったばかりの煙草に火をつけた。
「あんたもなかなか言うな。選ばれた一流探偵のくせに三流ブランドのスーツを着ているのには、何か訳があるってえのか?」
「……もちろんです。ええっと……これはですね……」露骨に狼狽するものの、「そう! 常日頃からブランドスーツを着ていると、どうしても目立ってしまうんです。これでも有名人だから。……かの名探偵、高野内和也が、まさかこんな地味なスーツを着ているなんて誰も思わないでしょうし、職業柄、あまり注目される訳にもいきませんのでね」
「その割には帽子やサングラスで変装してねえのはどういうつもりだ?」
 その鋭い質問に無視を決め込む高野内。どうやら適切な答えを出せないようだと、小夜子は五反田を相手にしながら横目でにらんだ。
「……ところで水無瀬さん。そろそろ教えてくれませんか。どうしてこんな真似をしているのかを。最初からこの店に立てこもるつもりでなかったことは、理解しているつもりですが」
「ふん、やっぱりそう来たか。……じゃあ、こうしようじゃねえか。俺の目的を推理してみろ」
「また~?」高野内と小夜子、ふたりそろって唸り声を上げた。
「あんたは選ばれたハイレベルの特殊でエレガントな、世界で数人しかいないデリシャスでグレートな超一流探偵なんだろう? 俺の狙いなんか、とっくにお見通しのくせに」
「グレートとまでは言ってないですけど、それにデリシャスは意味が違うし」
エレガントもだろ。小夜子はこっそりと舌を出した。
「なんだ、やっぱり出来ねえってのか。名探偵ってのも、ただのこけおどしか。思えばさっきの推理だって、かなり危なっかしいモンだったぜ。……本当は何も判ってねえくせして、綱渡りで考えた推理がたまたま当たっただけなんだろ。……どうだ、図星か」
 当然、図星だったことは小夜子も知っている。
 それでも高野内は顔色ひとつ変えようとない。どんなに窮地に追い込まれても、平然と涼しい表情が出来るのが、彼の(唯一の?)特技である。
「挑発には乗りませんよ。例えあなたの目的を推理したところで、私たちを解放してくれる訳じゃないでしょう? 推理を披露するのは事件があった時だけにしてください。私も暇じゃありません」
『暇でしょ』小夜子は心の中でそう突っ込んだ。
「……そういえばさっきの報酬がまだだったな。俺はケチ臭いことは言わねえ。もし、あんたがこの推理ゲームで見事に俺の目的を言い当てたら、もう百万だそうじゃねえか。合計三百万。悪い話じゃなかろう」
『よし判った。三百万円必ずゲットするぜ!』と来るかと思いきや、高野内は返事をせず、何とか踏みとどまっているようだ。
 調子に乗るといつも失敗する。さっきはたまたま上手くいったから良かったものの、ラッキーパンチはそうそう当たらないものだという事は、高野内もこれまでの経験から、充分判っていた筈だった。
「その手には乗りません。私は金ではなびかない男です。その証拠にさっきの推理が的中しても二百万は請求しなかったでしょう? あんな“はした金”で私が本気で動くと思ったら大間違いです」 
 本当は怖くて言いだせなかっただけだろうと、小夜子はまたもケチをつけた。当然ながら心の中であるが。
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