第4話

文字数 1,466文字

 昼ご飯を食べ終えて、私はしばらく部屋でごろごろしていた。今日は別に用事もない。漫画をひらいたり、アアと意味もなく声を出したり、ベッドを叩いて拍子をとったりしていた。が、だんだん退屈してきた。それに、気分が鬱している。それで、行ってきますと挨拶して、外に飛び出した。
 新しい我が家は、天井川のたもとにある。土手に生えた桜が頭上に広がっていて、開花の時期には壮観である。夏の今時分は、葉は既に青々と色づいていて、日が差すのと風に揺れるのとで、ちらちら光るのが綺麗だ。なんだか楽しげに見える。私は誘われるように堤防をのぼって、上流のほうへ歩き出した。
 ずっと歩いていくと、やがて桜が途切れた。天井川が線路と垂直に交差して、土手がなくなっている。私は柵にもたれかかった。電車がトンネルをくぐって、西のほうへ走っていく。私の視線はしばらく車体を追いかけて、やがて遠くに見える橋とぶつかって、今度は橋の輪郭に沿うように流れた。それは空の輪郭でもある。町はまるで夏空の底に沈んでいるようだ。その遥かな景色は私に故郷を思い出させた。
 引っ越してきたこの町も、たいがい田舎である。この町を都会と呼べば、きっと失笑されるだろう。駅前と商店街に沿ってはずいぶん盛んだが、ちょっと離れれば家より田んぼのほうが目立つぐらいだ。しかしそれでも、地元よりはよほど都会である。百貨店がある、スーパーがある、ゲームセンターがある、カラオケがある。あんまり物に溢れているので、茫然としたことがある。自分はなんて情けないところに住んでいたんだろうと思った。
 私は故郷にいて、不便を感じたことはほとんどない。もちろん田舎のことだから、交通はよくない。一旦町のほうへ出るとなると、数時間はガードレールもない山道を走らなければならない。ちょっと横に目をやると崖相応の急斜面がずっと続いている。一定の間隔をおいて、車のすれ違いのために山のほうに穴が掘ってあって、やあどうもと言って過ぎるのが例だった。満足に整備していないのに、車だけはよく通る。通らなければ生きられないのだからしょうがない。農業だけで自活はできない……。
 しばらく物思いに耽っていたが、しかし、ちりんちりんと自転車のベルにあわせて歌を歌いながら、よれよれの黄ばんだ肌着を着た見知らぬじいさんが通り過ぎて行ったので、にわかに興が削がれてしまった。いかにも田舎者のじいさんだが、あれを見ても郷里を思い出さないのは不思議である。
 そうしてまた歩き出す。姉の顔を思い出して、まだ気がくさくさしたが、だいぶましである。その御蔭か、いろいろ考えごともできた――
 どだい、姉という人間はなんて薄情だろう。血縁、地縁、社縁のいずれもないがしろにして澄ましている。金の切れ目が縁の切れ目でもないだろうが、遠方に移り住んで利害が少ないとああなるならば、姉妹という関係なども頼りないものだ。情けない……
 勢いに任せて、ずんずん歩く。人影はいっそう少なくなった。
 電車の走る音が遠く、かすかになった頃、私の視界に遊具が映った。ジャングルジムだ。ブランコもある。早歩きになって、公園に近づいた。そこはちょうど木陰になっていて、涼し気に見えた。ブランコに座ってみると、すーっと気持ちいい風が吹いてきて、体にまとわりついた熱をきれいにしてくれる。こんなにいい風が吹くのは、ここが木陰で、屋根より高い場所に、あるからだろうか。それとも、誰もいないからだろうか――私は空間が好きだ。なにもない、空っぽの、私から私以外のものへの、広々とした間が。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み