第17話
文字数 1,523文字
ご飯のあとは、やはり公園に出かけた。
紫煙みたいな粘着質な空気が、靄靄と立ち込めていて、冷房の効いた透明な部屋が恋しくなる。亮太君は秘密基地のなかにいたが、今日も学習塾の鞄を抱えていた。これからすぐに夏期講習に出かけるのだという。
「でも今日は夕方には戻るよ。カオリ、明日からしばらくいないんだろ。少し話そう」
「うん。それまでぶらぶらして待ってるよ」
世間話を少ししたあと、亮太君は塾に出かけて行った。ぶらぶらして待っているとは言ったが、もちろんどこへ行くあてはない。一時間ほどは基地のなかで丸くなっていた。彼が置いていった本を読んだり、目を閉じてうとうとしたりする。風が吹いて、木の葉が囁くのを聞いていたが、しばらくすると退屈してきた。基地から這い出て、公園をうろうろ歩き回ったり、また秘密基地に入ったり、ブランコを漕いだりして、時間を潰す。日はまだ沈まない。
ところへ、向こうから自転車が走って来た。三台ある。姉がいる。それから、学校の友達が二人いる。私がいるのに気づくと自転車を停めて、挨拶をしに近づいてきた。久しぶりだねとか、こんなところで何をしてるのとか、いろいろ話しかけてくる。姉はその後ろにいて、ずっと黙っている。面倒なことになってしまった。
三人は、話に聞いていた通り、朝から下流へくだって湖のほうに行ったらしい。湖畔で弁当を食べて、今度は上流のほうを行き尽くすつもりなのだという。ご苦労なことだ。二人の友人が熱心に私を誘う。困って、あいまいに笑っていると、
「沙織は来ないよ。忙しいんだって。用事なんかないくせに」
と姉の唇が震えた。不穏な空気を、友人の二人はすぐに感じ取る。私は「また今度ね」とほほえんで済ませようとしたが、姉は止まらなかった。私のほうをじろりと睨みつけて、姉は嫌味っぽく笑った。
「佳奈ちゃんたちの前だからって、いい子ぶらないでよ」
「別にいい子ぶってないけど。もう三人とも、出かけたら?」
私は笑って促すが、姉はやはり「ほら」と言って邪魔をする。私はいい加減腹が立って、脅かすつもりでちょっと低い声を出したが、姉はちっとも怯まない。それが余計に、癪に障った。姉に掴みかかろうと伸びた手が、寸前で、友人たちに取り押さえられる。ちょっと落ち着いてよ、やめなよ、と言われる。それを聞いた姉の顔が、勝ち誇ったようにわずかに歪んだ。頭の奥がふわっと一瞬熱くなって、私は怒鳴った。
「なんなのよ、このバカ!」
「ほら、いい子ぶってたじゃない」
「あんたがぐちぐちうるさいからでしょ!」
「ずっとうじうじしてたんだから、発散できてちょうどよかったでしょ!」
「だいきらい。なんであんたが、私の姉なのよ。詩織なんて、いなかったらよかったのに!」
きつすぎる言葉だとは、思わなかった。
姉は、ぼろりと涙をこぼした。流れ落ちる雫の軌跡を、私はたしかに捉えている。左頬を伝っていくのが右よりもわずかに早く顎に達し、まぁるく溜まって粒になった。「死ねばいいんでしょ」姉は呟いた。そしてすぐに、
「死ねばいいんでしょ!」
と大声をあげた。自転車に飛び乗って、上流のほうへ漕ぎだしていく。みんなが姉を追いかけていくので、私は公園に一人残された。
気持ちが落ち着かず、ブランコの周りをうろうろ歩き回った。ぶつぶつと独り言を言いながら、地面を蹴り、土をえぐる。飛び散った砂粒が遊具にあたって、からからと音を響かせた――姉が悪い。姉のせいで落ち着かない。どう考えても、私には姉が悪いようにしか思えない。私は悪いことをしていない。向こうから売って来た喧嘩なのだから、こっちが非難される覚えはない。私は悪くない……。
そうやって、もやもやとした気持ちに切りをつけた。
紫煙みたいな粘着質な空気が、靄靄と立ち込めていて、冷房の効いた透明な部屋が恋しくなる。亮太君は秘密基地のなかにいたが、今日も学習塾の鞄を抱えていた。これからすぐに夏期講習に出かけるのだという。
「でも今日は夕方には戻るよ。カオリ、明日からしばらくいないんだろ。少し話そう」
「うん。それまでぶらぶらして待ってるよ」
世間話を少ししたあと、亮太君は塾に出かけて行った。ぶらぶらして待っているとは言ったが、もちろんどこへ行くあてはない。一時間ほどは基地のなかで丸くなっていた。彼が置いていった本を読んだり、目を閉じてうとうとしたりする。風が吹いて、木の葉が囁くのを聞いていたが、しばらくすると退屈してきた。基地から這い出て、公園をうろうろ歩き回ったり、また秘密基地に入ったり、ブランコを漕いだりして、時間を潰す。日はまだ沈まない。
ところへ、向こうから自転車が走って来た。三台ある。姉がいる。それから、学校の友達が二人いる。私がいるのに気づくと自転車を停めて、挨拶をしに近づいてきた。久しぶりだねとか、こんなところで何をしてるのとか、いろいろ話しかけてくる。姉はその後ろにいて、ずっと黙っている。面倒なことになってしまった。
三人は、話に聞いていた通り、朝から下流へくだって湖のほうに行ったらしい。湖畔で弁当を食べて、今度は上流のほうを行き尽くすつもりなのだという。ご苦労なことだ。二人の友人が熱心に私を誘う。困って、あいまいに笑っていると、
「沙織は来ないよ。忙しいんだって。用事なんかないくせに」
と姉の唇が震えた。不穏な空気を、友人の二人はすぐに感じ取る。私は「また今度ね」とほほえんで済ませようとしたが、姉は止まらなかった。私のほうをじろりと睨みつけて、姉は嫌味っぽく笑った。
「佳奈ちゃんたちの前だからって、いい子ぶらないでよ」
「別にいい子ぶってないけど。もう三人とも、出かけたら?」
私は笑って促すが、姉はやはり「ほら」と言って邪魔をする。私はいい加減腹が立って、脅かすつもりでちょっと低い声を出したが、姉はちっとも怯まない。それが余計に、癪に障った。姉に掴みかかろうと伸びた手が、寸前で、友人たちに取り押さえられる。ちょっと落ち着いてよ、やめなよ、と言われる。それを聞いた姉の顔が、勝ち誇ったようにわずかに歪んだ。頭の奥がふわっと一瞬熱くなって、私は怒鳴った。
「なんなのよ、このバカ!」
「ほら、いい子ぶってたじゃない」
「あんたがぐちぐちうるさいからでしょ!」
「ずっとうじうじしてたんだから、発散できてちょうどよかったでしょ!」
「だいきらい。なんであんたが、私の姉なのよ。詩織なんて、いなかったらよかったのに!」
きつすぎる言葉だとは、思わなかった。
姉は、ぼろりと涙をこぼした。流れ落ちる雫の軌跡を、私はたしかに捉えている。左頬を伝っていくのが右よりもわずかに早く顎に達し、まぁるく溜まって粒になった。「死ねばいいんでしょ」姉は呟いた。そしてすぐに、
「死ねばいいんでしょ!」
と大声をあげた。自転車に飛び乗って、上流のほうへ漕ぎだしていく。みんなが姉を追いかけていくので、私は公園に一人残された。
気持ちが落ち着かず、ブランコの周りをうろうろ歩き回った。ぶつぶつと独り言を言いながら、地面を蹴り、土をえぐる。飛び散った砂粒が遊具にあたって、からからと音を響かせた――姉が悪い。姉のせいで落ち着かない。どう考えても、私には姉が悪いようにしか思えない。私は悪いことをしていない。向こうから売って来た喧嘩なのだから、こっちが非難される覚えはない。私は悪くない……。
そうやって、もやもやとした気持ちに切りをつけた。