第20話

文字数 3,100文字

 大通りは片側二車線で、道の途中には駅の真下をくぐるための地下道も掘られている。商店街の出口周辺には、銀行、マンション、居酒屋、理髪店、八百屋、パチンコ屋、それからいくつもの雑居ビルが並んでいる。いろいろな人が混ざって行き来するなかで、私は一台の自転車に目をとめた。
 乗っているのは低学年らしい、幼い顔の男の子である。彼は大通りを駅とは反対に曲がった。私は誘われるように、その子のあとを追いかけた。理由はわからない。その子のことは見たことがなかったし、というよりも、彼を詳しく観察するほどの時間があったわけではない。わけもなく、ただついていく。
 彼は途中、路地から出て来た誰かと合流する。そのとき、ようやく気付いた。彼らの自転車の前かごにはサッカーボールが積んである。それに、合流した少年のほうは、見た覚えのあるユニフォームを着ていた。なるほど、導きか、と祖母の言葉に納得する。
 二人は話しながら漕ぐので、尾行しやすい。道々、信号などにも助けられながら必死についていくと、やがてどこかに入った。校庭だ。裏門なのか、自転車二台分ぐらいの小さな入口のところに校名が彫ってある。大通りに面しているためか、敷地はぐるりと緑のネットに囲われていた。
「お前ら遅すぎ」
 中にいた一団が、そんな言葉で二人を迎え入れる。私は大通りと校庭を仕切る生垣のある辺りで身をかがめて、草間から中を隙見する。中にいたのは、おおよそ二十人。昇降口に続く短い階段のところに集まって座っていた。誰も彼も低学年のように見える。漏れてくる声も幼く、もちろんこの中に公園にやってきたあの男の子の姿はない。
 私は覚悟を決めて、校庭に足を踏み入れた。
 彼らのうちの何人かが、怪訝そうな目で私を見る。ごにょごにょとなにか相談したあと、一団から一人が抜けてこっちに走って来た。
「だれですか。なにか用ですか」
「あのさ、よかったら混ぜてもらってもいい?」
 少年は使者となって、リーダーのところへ帰っていく。すぐにまた戻ってきて、「いいよ」と返事があった。
 彼らは思いのほか、突然やってきた私を歓迎してくれた。そもそも、この集まりは自主的なもので、クラブとしての活動とは違うらしい。監督やコーチから夏休みには自主トレーニングが推奨されていて、グラウンドの使用状況を見つつ、それぞれで実施しているという。ちょっと不安になって「それじゃあ他の人たちもこれから来ることもあるの?」と訊くと、リーダーから「来ないよ」と簡単に返事があった。「俺らは補欠組だし。今日、ほんとは練習試合なんだ」
 それからしばらく、私は彼らとサッカーをやった。
 補欠組といいながら、相当に体が動く。ちっとも気が抜けない。スカートを履いていなくてよかったと思う。人数はちょっと足りないが、ミニゲームもやった。体がなまったのか、うまく蹴れなくて悔しい。私は仲間内でサッカーをするとき、いつも中心的な役割でいた。しかし彼らのなかにあっては、お荷物とは言わないまでも、あまり役立っている気がしない。
 私は時間を忘れた。はっと気づくと、日が沈みかけている。リーダーがホイッスルを吹いて、ちょうど試合が終わった。一列に並んで礼をして、みんなが片づけを始める。「そろそろ帰るよ」と言われた。がやがやとした声がだんだんと遠ざかっていく。私には急に心細くなった。小走りに、みんなのところへ駆けて行く。
「姉ちゃん、うまいしさ、クラブに入ったら?」
 そう声をかけられる。周りも拍手してくれたのが、嬉しい。一方で、ちょっと困った。まさか本当に入るわけにもいかない。ところへ、この集まりで最も背の高い男の子が、
「でも、五年生だったら、いま入るのはやめたほうがよくない?」
 と心配そうにした。周りも「たしかにそうか」と納得している。
 私をおいて、俄かに場が騒がしくなった。声音は重たく、不穏である。耳打ちしている者もいる。どうしたのかと訊いても、ああうんと言うばかりで要領を得ない。彼らの見せる曖昧なほほえみは、まるで誰かに口止めでもされているようだ――特定の誰かにではない。漠然とした誰か……。
 母と祖母を物語る親戚連中から、私は同じ空気を感じたことがある。喋ったところで罰があるわけではなく、ただ薄膜を突っつくような危うさだけがある。不安なのだ。小集団を作る膜が、不安でできている。でもその膜の内側にあるのも、本来は不安なのだ。そうして遂に圧迫感に、押しつぶされそうになる。だが外には出れない。今度は不安を膜ではなく、仕切りなのだと言い出す。よそ者を締め出せ。よそ者を締め出せ。
 考えがそこまで進んだところで、いつの間にか、場の空気が変わったのに気が付いた。
「教えてもいいんじゃないの」
 そんな声が聞こえて来る。私は思い切って、みんなの真ん中にズッと入った。一人ひとりが、言葉を紡いでいく。曰く――
 新学期に五年生の転校生が来ることは、年度末から噂だった。サッカーの強豪として有名な某県某市某小学校に所属しているらしいというので、クラブでもその話題で持ち切りだった。だから五年の主将がスカウトすることになったのだが、結局断られてしまった。本人に理由を訊けば、「塾に通いたいから」と答えた……。
「でも、入るかどうかは本人が決めることでしょ」
 私は話に出てくる転校生を弁護した。すると一人が言う。
「そう簡単にされちゃ困るなぁ。先輩は必死だったのに。だいたいさ、そのスカウトをすること自体に結構な苦労があったんだよ。よそのチームの人間を入れることになるだろ。反対する人も多かったんだ」
「よそのチームって、その人はもう脱退してるんじゃないの」
「ジンクスだよ。違うチームだった奴を入れるのは、縁起が悪いんだ。輪を乱すから」
「ジンクス」
 私はその言葉が呑み込めなくって、もう一度繰り返す。ジンクスというのは、つまり迷信である。ド田舎の婆さんじゃあるまいし、そんな下らないことで良し悪しを決めるなんて、いかにもどうかしている。しかし彼らは大真面目である。
 サッカーにジンクスはつきもので、プロサッカーにもそういうものはあるし、小学生の間にもジンクスがいろいろあると弁解する。たとえば、保護者の応援である。保護者がやかましいチームは負けると決まっている。あるいは、トーナメントの途中に催される小イベントで好成績だと、肝心の試合では結果が出せない、等々……。さっきまであれほど感じていた連帯感が、いまはほとんどない。なんだか宇宙人を相手にしている気がする。
「でもキャプテンはジンクスを信じない人だから」
「それが普通だと思うけど」言葉の表面に、少々棘がつく。
 キャプテンは周りの承諾を得るために、ほうぼうを駆けずり回ったのだ。しかもキャプテンの努力は、単なる挨拶回りに終わらず、手土産を持っていったり、時には大切にしているサイン色紙をゆずることもあったらしい。
「そんなにやったのに、簡単にダメって言われたら困るよな」
と言う。それから、別のだれかがこう続けた。
「単に断るだけじゃないよ。サッカーをやってるやつは馬鹿だって言ったんだぞ。スポーツをやっているような奴は将来のことを何も考えてないって。そんなこと言われたら、先輩だって怒るに決まってるじゃないか……」
 私は話を聞いてしまってすぐに彼らと別れた。
 話に出てきた転校生というのが、亮太君であることは間違いない。そしてやはり聞いていた通り、諍いの原因は逆恨みだといっていい。彼が以前、教えてくれた通りだ。ただし、大枠としては。私はいまの話をどう消化していいか、判断がつかなかった。
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