第19話

文字数 1,507文字

 数年前のことだ。母の買い物に付き合って、私たち姉妹は町にある百貨店に行った。
 地下にある食料品売り場へ行く前に、服とか化粧品とかが見たいと母が言うのでついていったのだが、そのとき、エスカレーターを上がった先に「おいでよ!」とポップな字が書かれた看板があるのを見つけた。いろんな動物が楽しく遊んでいて、彼らの周りには風船が浮かんでいるイラストがある。姉はすぐに「これ行きたい!」とせがんだ。
 それは百貨店の特別企画かなにかだった。本当にうろ覚えで、一体あれがなんだったのか未だによくわからない。最上階の一角に設営された大きな部屋。白と黒で真っ二つに色が分かれていて、白のほうに入口、黒のほうに出口と書いてあった。
 母は入り口にいた女性スタッフに二人分のお金を払い、「じゃあ出口で待ってるから」と私たちを送り出す。まず見えたのは、花畑をイメージしたような緑と黄色の壁紙だった。「順路」と書いてある矢印に従って歩いていくと、道沿いには動物が楽し気に遊んでいるミニチュアが飾られていた。「かわいいね」と話しながら進む。流れてくる音楽も愉快で、楽しかったのだが、だんだん壁紙が薄暗くなってきて、行き尽くすと、とうとう真黒になった。壁に穴が空いていて、中が見えないように黒いカーテンがかかっている。すぐそばには「次はここ」と案内があった。
「ねぇ、ほんとにここ?」姉が不安そうに言う。
 音楽は消えている。少し待ったが、後ろから人は誰も来ない。
「おかしいよ。なんか中から音が……」と姉。
 私はゆっくりと近づいて、カーテンをちょっと開けてみた。通路の赤いじゅうたんがまず見えて、その両脇に、檻のようなものがあった。ぎぃ、と軋むような音がして、ずどん、ずどん、と断続的に響いてくる。姉はすっかり怯えてしまって、半泣きだった。
 恐怖は伝染する。私も、足が震えていた。だが姉のように来た道を戻ろうとはしない。
私は、ふらふらと奥へ進んでいく。なにかに糸を引かれるように。
真っ暗な世界。見えるのは足元の赤いじゅうたんと、左右の檻。中では、ピエロの格好をした男が、囚人服の男の背中を足で押さえつけながら、斧を振りかぶり、ずどん、と彼の首を切り落としていた。斧を振り上げて、戻す。斧を振り上げて、戻す。その単純な動作を、延々と繰り返す機械。男の首はピエロに合わせて、くっついたり、離れたりしていた。
 ぶるぶる震えながらも後ろから私についてきていた姉は、それを見て悲鳴をあげた。
 次の記憶は、その部屋の外。私たちは息を切らしながら、順路を逆戻りして帰って来た。スタッフの女性が慌てて近づいてくる。母はきょとんとして「どうしたの」と言った。なぜ逆戻りしてきたのか、という意味だ。私は思わず、母を睨んだ。姉はただわんわん泣くばかり。「なんかね、あの、途中から周りが暗くなって、首が……」
 ここから自分たちがどうしたのか、まったく覚えていない。もしかしたら、それはお化け屋敷のようなものだったのかもしれない。次にデパートに行ったときにはそのイベントは終わっていたし、ずいぶん日も経っていたので調べることもできなかった……。
 祖母はこれを「導かれている」と言った。私は導かれて、カーテンをひらき、中に入ったのだと。わけもわからず体が動く、糸を引かれたように動く、それは導きなのだと。
 祖母は大まじめだったが、一体誰が導いて、小学生にピエロの斬首を見せようとするのだろう。しかし比喩としては、導かれるより適切な表現が思いつかないのはたしかだ。

 商店街をまっすぐに進み、アーケードが切れる駅前大通りに出たところで、私は祖母の言うところの「導き」に出くわした。
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