第11話

文字数 2,107文字


 重たい頭をなんとか駆動させて、どうしようか考えたら、亮太君の顔が浮かんだ。
 昼ごはんを食べた後、友達には電話で体調不良だと断りを入れて、私は小走りに秘密基地に向かった。不思議なことに、家から離れて上流へ走っていくほどに、体が軽くなっていく。足がふらつくのも、治ってしまった。
「お、カオリ。来たか。入れよ」
 亮太君は秘密基地のなかで本を読んでいた。
 彼の隣に座って、本について尋ねてみる。よく知っている作家だ。明治の文豪で、姉が見栄を張ってよく借りてくる。面白いかどうか訊いたら、亮太君は「つまらない」と苦笑した。
「カオリは読書とかしないのか?」
 そう訊かれて、言葉に詰まる。どうも、他人事に聞こえる。
「どうだろう。まぁまぁかな」出てくる答えは自然と曖昧である。
「おかしなやつだな」亮太君は変な顔をした。
 それから、本の話をいろいろした。彼は文学作品もよく読む。しかし好みとしては、魔法が出て来たり、宇宙を舞台としていたり、日常的なものが題材でないほうがいいらしい。いわゆる冒険活劇か。海賊なんかにも憧れるそうだ。なるほど男の子だなという感じがする。といって、私自身、興味が惹かれないわけではない。
「映画でもそうだけど、やっぱり現実から離れて、少し心が休まるほうがいいじゃないか。舞台をこの現実に据えちゃうと、そういう効果もないし、面白くないだろ」
「現実から離れたいの?」
「だって現実なんて良いことより嫌なことのほうが多いじゃないか」
 それを聞いてどきりとした――どうして、私たちは生まれてきたのだろう。
「日曜日の朝に、魔法を題材にしたアニメがやってるだろう。ああいうのを見ていると、自分がいかにつまらない世の中に生きてるかと思って、愕然とするよ。面白いことなんて何も起きやしない。本当につまらない……」
「亮太君、ちょっと頑張りすぎてるんじゃないの。勉強ばかり、疲れちゃうよ」
「カオリは馬鹿だなあ。勉強すれば面白くなるよ。問題は、世の中の面白さはマイナスが天井だってこと」
 無意識に、眉が曲がる。つまるところ、勉強したほうがマシだが、やったところで相変わらずつまらないということらしい。これなら何も知らない赤ん坊のままのほうが良かったような気もする。無知が最上だとするならば、私たちの人生は時が過ぎるほどにどんどん悪いものになるのだ。自分の人生に傾斜がついて、底も見えない暗い穴に滑り落ちていくようである。
「亮太君はアニメが好きなの?」
「ばかやろう。俺は男だぞ」なぜか亮太君は怒りだした。わけがわからないままに、ともかく謝る。彼は憤然として荒々しく息をついた。「弟が好きだから、どうしても目に映るんだよ。いくら興味なくたって、ぼんやり見ることぐらいあるだろ。違うか」
 私はにんまりと笑う。恥ずかしそうに早口でしゃべるのが可愛らしい。
「カオリだって兄弟がいればわかる。いないのか」
 そう訊かれて、私は「いないよ」とすぐに答えた。
カオリには、兄弟姉妹なんかいない。特に、双子の姉なんているはずがない……。私は姉の顔を思い出して、いらいらとした。今日も家に帰ったら顔を合わせなきゃいけないかと思うと、鬱陶しくてたまらない。そうして、それがこれから先もずっと続くのだ。
 どうしてばあちゃんは、一人では生きていけないなんて言うんだろう?
 姉は滅多に祖母の家に近寄らなかったけれど、祖母は姉のことを大事に想っていた。私にお菓子を出すときはいつでも必ず姉の分も用意するし、私の話を聞いたあとは必ず姉の近況も気にかけた。どちらも同じぐらい大切にしてくれている、という事実は、頻繁に遊びに行く私にとっては時に、不愉快なことでもあった。特に、姉とケンカしているときはそうだった。私はその不満を祖母にぶつけて、困らせたことが何度もある。
「詩織はね、前にばあちゃんの悪口を言ってたよ。あんな奴の味方しないでよ!」
そう叫ぶ私を、祖母はいったい何と言って諭しただろう。よく思い出せない。ただ、祖母は姉のことを「まっすぐではない子」と評したことがある。――
 あの子は素の自分が嫌いなんだ。人からは決して受け入れられないものと思っている。それで本当の気持ちを自分からも押し隠して、まず何かやってみて、相手の出方を確認する。そうして、いろいろ状況が変わった後で、やっと本当のことを言ったり、自分の本当の気持ちに気づいたりするんだよ。だから、あの子が悪口を言っていたからって、それを真正面から受けとってはいけない。あの子の言葉は、ちょっと曲がって、外に出てくるんだから……。
「あの子は内弁慶で、人見知りで、ずる賢くて、薄情で、嫌な奴で」
 祖母はそんな私の悪口を、どんな風に聞いたのだろう。何も言わずに、私の目を見ていた。私は言っているうちに悲しくなってきて、最後には泣いてしまった――沙織は、頭がいいぶん、抱え込みすぎるんだね。家に帰ったら、きっと、仲直りしなくちゃ駄目だよ。だってお前たちは、一人では生きていけないんだから……。
 思い出した、今朝もこんな夢を……と考えるのを覆い隠すみたいに、私は急に思いついて、こう言った。「ね、散歩に行かない?」
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