第30話

文字数 1,600文字

 私はまた、公園の秘密基地に通うようになった。
 私は母と口を利かなかった。また、父とも喋る気が失せた。なぜ二人が嘘をつかなければならないのか、隠さなければならないのか、理解できなかった。ふだん子どもが聞かせてもらえない諸々の大人の事情よりも、ずっと深刻な壁であるように感じた。極端に言えば、見捨てられているような気さえした。
 公園には、やはり亮太君は現れなかった。私は彼が恋しくてたまらず、ひとりで泣いた。
 祖母は、私に何かを気づかせようとしていたのだろうか。それなら、直接言ってくれればいいのに。だがそれは光子さんの話を聞く限り、なにかを聞くための、なにかに気づくための、時間が必要だったということなのだろう。二人は一体いつから、私にそれを伝えようとしていたのだろう。光子さんが、私に「嘘つき」と言った日からか。それより、もっと前からか。いや、もっと重要なのは、私が気づかなければならなくなったのは、一体いつからなのか。なぜ祖母はそれに気が付いたのか。
 疑問が頭の中で増殖していく。増えるほど、重たくなる。重さに負けて、頭が下がる。首が痛む。だれか切り落としてくれと思う。でも、死にたくない。
 四、五日、ご飯のとき以外母とも会わず、父とは一度も会わなかった。
 ようやく父と会ったのは、夏休みの最終日のことだった。その日、父は非番だった。姉は朝から出かけて家にはいない。父と母と三人で昼ごはんを一緒に食べているとき、
「アルバムは見終えたか?」
 と父に訊かれたので、首だけ振って応えた。
「最近どうしたんだ。詩織も様子がおかしいと言ってたぞ」
「なに、説教?」私は顔も上げずに言う。
「別に説教じゃない。心配してるんだ、口数も少なくなって」
「沙織、なにかあるなら言って」と母。
「教えて欲しいんだ」と父。
「心配なの」と母。
「心配しなくていいよ!」私は大声を出した。
 それから顔をあげて、にこりと笑顔を作って見せた。顔の筋肉が動くのを、たしかに感じる。
さっさと皿を片づけて、自分の部屋に駆け上った。部屋の扉は、施錠できない。私はドアノブを掴んで、ずるりとしゃがみこんだ。両親から感じた圧迫を思い出してぼろぼろと涙がこぼれてくる。
「嘘つきのくせに、私が悪いみたいにしないでよ」独り言が漏れる。
 父も母も、追いかけてはこなかった。姉はきっと今日も夕方まで帰ってこないだろう。亮太君もいない。田舎にも帰れない。私は、ひとりきりだ。もう生きてはいけない……。
 どれくらい経ったか、わからない。気持ちがだんだんと落ち着いて、ドアのそばに座ったまま部屋の向こうにある窓を見ていると、階段をのぼる音が聞こえた。私は慌ててドアノブを握りしめる。かつかつとノックされて、続けて、父の声が聞こえた。入ってもいいかと訊くので、駄目だと答えた。するとすぐに、なら話してもいいか、と言われた。いいよと答えると、「知らなくてもいいことだと思って、言わずにいたんだ」と父は言った。
「私が、知らなくちゃいけないことなんでしょ?」
「そうだったのかもしれない」と父。
「どうして嘘つくの?」
「別に嘘をついたわけじゃない。首のほくろのこともあったよ。他にも色々な。昔に住む場所のことで揉めたから、それもあって、婆さんのほうもわだかまりが残ってたんだ。嫌なところばかりが目についてしまったのかもしれない」
「お父さんとお母さんは、何か隠してる」
「隠しもするだろうよ」
 扉がわずかに揺れた。父が床に腰を落ち着けたらしい。私もドアノブをおさえるのをやめた。ためらうような父のため息が、重たい――私はなんだか恐ろしくなった。なぜだか、もう教えてくれなくってもいいと思い始めた。無論、父が何を言うのかは知らない。しかし今度は本当のことを話してくれると信頼している。だからこそ、恐ろしいのだ。いま扉の外にいるのは父であり、母でないのも、その事実の重みを証立てている。
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