Record

文字数 1,320文字

ピアノが弾ければいいのだが、ぼくに音楽の素養はゼロであり、家にピアノは置いていない。
そんなぼくでも、広い庭園に面した縁側に蓄音機をだしてきて、レコードをまわすくらいのことはできる。
「生徒募集」のバナー広告をネットに出し、いつものとおり座布団にすわり、レコードが黒く艶やかな表面に光をにじませながらまわるのを見ていた。
ときおり、傍らにおいたスプレーを口腔に噴射して、息をリフレッシュした。
広告の成果はすぐにあらわれ、昼にもならないうちに、まだ10代の女の子がひとりやってきた。メイドのひとりが、
「生徒さんです」と、ぼくのもとへ、その女の子をつれてきた。
メイドはぼくの酔狂を訝しみながら楽しんでもいる、ちょっとイヤらしい表情をみせてから、後ろ髪ひかれつつ、自分の仕事へもどっていった。
鈴蘭のように清楚な女の子がのこされ、ワンピースからかわいらしい膝がしらをのぞかせていた。
「それで、ここはなんの教室ですか」と彼女はぼくを見下ろしてきいた、「わたし、てっきりピアノの教室とばかり」
彼女は誰からも座るように声をかけられないので困惑し、立ったままぼくに話しかけてしまったので更に困惑したという風情だった。
「まあ、すわったらどうかね」と言葉をかけるには胸騒ぎがはげしく、ぼくは恐ろしいなにものかに迫られでもしたかのように立ちがった。トキメキは恐怖に似るものだ。
彼女の身長はぼくと同じくらい。174センチというところ。ぼくは高身長の女の子にひどく惹かれる性質(たち)なのだ。
ぼくは息を深く吸い込むと、その息をプーッと彼女の顔に吹きかけた。
彼女の顔がみるみる溶け、皮膚と肉は体液とともにアッというまに蒸発して消え去り、白骨した髑髏に変じる。
「なるほど」とぼくは感心していった。腹がしぼられるようにグッときた。エクスタシーを感じた。「きみはこういう髑髏なんだね」
「イヤッ」と彼女は叫んで二、三歩ぼくからしりぞいた。「みないで!」彼女は髑髏をかくすために可憐な両手を顔にやるが、自分の髑髏にふれてしまい、息を呑む。
「合格だ」ぼくは太鼓判をおした。「きみはユニークな女優として、もう完成の域だ。卒業でよろしい。さ、帰りなさい」
彼女の所作の美しさは、育ちの良さがもたらした部分もあるが、おおいに生来のものであろう。彼女についてぼくが心配するようなことは何もないとおもうと、ぼくは清々しい気分だった。
レコードをまわしていた蓄音機ももう、アームを上げて、凛とした姿で静止していた。

彼女の眼球は健全にたもたれたので、自力で帰るのに問題はなかった。
視力が保全されたことが幸か不幸か、はじめは判断のつかなかった彼女も、いまでは有名女優となり、かつ、インフルエンサーである。彼女は一日に何度も鏡をのぞきこみ、頬杖をついて自分の髑髏にみとれ、幸せにひたりきる。
笑顔はつくれないものの、彼女には自分の満面の笑みが、たしかに見えていた。


顔はといえば、いったん溶解して蒸発したものの、それは天に昇ったのだった。うるわしい乙女の顔に復元し、肉と皮、眉毛だけという、お面のような姿であるものの、天国での日々に適応して自由を満喫している。
天国のうつくしい光景を見るのに、眼球は必要なかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み