I just want to lie here

文字数 1,113文字

「ただ、チョット、ここに寝かせてほしいの」と翠(ミドリ)がいったところで、仕事は立てこんでいるのだからムリな話だった。
正月元日から今日まで、半日休んだ日が一度あったかどうか。翠だけはいつも、働きづめだった。
「キレイにしてやったんだからね。元をとってもらわなきゃ、コマるんだよ」と女将が、下膨れのカエルみたいな恐ろしい顔でスゴんで、これでもか、というぐらいのガナリ声をだして、翠を罵り殺さんばかりだった、「客がおおぜい待ってるんだよ。だれのお陰で客がついたんだい。感謝おしッ」
いったいどれだけ仕事をすれば、「元」をとれたことになるのやら。降り止まぬ雨のように滂沱の涙が流れそうだが、翠の目は乾ききっていた。
そんなことを知ってか知らずか、客は引きもきらずやってくる。
働きずめの翠の体は薄くなり、ジョーダンではなく風にでもアッサリ飛ばされそうな状態であったが、そもそも窓もない、蒸した部屋に風などありえなく、翠からすれば、飛ばされてもいいから風に吹き込んでほしいものだった。
こんなふうに閉じ込められているのなら、いっそ世界の果てへでも飛ばされてしまいたかった。
男たちは「30円でも20円でも」というウワサを信じてこの町に翠に会いにくるのだったが、じっさいに来てみれば目の玉がとびでるような料金で、どうにも払えないので何年も女将の汚れ仕事をして、やっとのことでためたカネをぜんぶ遣って、翠を抱くのだった。
薄っぺらくはなったものの、翠には、それだけの得もいわれぬ魅力があるのだった。
これ以上に薄くなったら抱いた心地もしないだろう、という限界のところで、女将は翠になにやらわからぬものを注射する。すると、小麦粉を焼いたみたいに、翠はわずかに膨らむことを得るのだった。
翠は女将によって、翠がここにきた当初に、はらむことのできない体にされていた。なんだかわからない間に、そうされていたのだった。
だから翠に、このひとなら、というひとが現れたときには、逃げてこのひとと子をもとうと考えたこともあった。お医者をしている客があったとき、露骨な言葉によって、自分が子をもてない体と知り、翠は、おもいをかけたひとに別れを告げたのだった。
ねむい、と、そのときにおもった。別れを告げているその最中から、翠は堪えられないような眠気に苛まれた。
起きていられない。
どうしても起きていられない。あたしはねむいの。どうかねかせて。

女将は翠に、ずっとねむることなど許すはずもなく、かえって仕事を増やすばかりだったが、翠はあれからずっとねむっているのだった。ひとにはわからない。翠は起きて仕事しているようにみえる。
ほんとうは、もう、彼女が目をさますことはないというのに――
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