第8話:ソニー株購入と横浜観光

文字数 1,652文字

 翌日、藤沢の研究所に出勤しトイレ休憩の時、義理の父に株の結果を知るため電話した。するとソニー株、3730円で1万株3730万円で買え、残金1800万円と言われた。その後、4月から長男の幸一が、地元の小学校に入学。妹の夢子も幼稚園に入園。送迎バスへの送り迎えは、祖母に依頼。やがて1992年が終わり1993年を迎えた。

 今年も暖冬気味の正月から始まった。初詣に聞き、藤沢の奥さんの実家へ挨拶に行った。薄井富一は、昨年11月のソニー株、購入のお礼を義理の父にした。すると、今年も、がっちりと稼ぎたいねと言った。そして、子供たちに、お年玉を渡してくれ夢子は、お年玉袋を大事に持って母に預けたる姿が、可愛いので写真をとった。

 数時間、歓談して、東京へ帰ってきた。2月中旬に発達した低気圧が通過し大雨や強風悪天候に変わった。1993年4月、沖縄の父から5月の連休に東京へ行くと連絡が入り、4月28日晩に、帰って来た。そして、5月4日に沖縄帰ると話した。4月28日、21時頃、東京の富一のマンションに、父が、沖縄のお菓子をお土産を持参しやってきた。

 その後、風呂に入ってビールを飲んで、床についた。今年は、5月1日の10時、横浜へ、観光のため出かけた。関内駅で降りて、日本大通りの道沿いの花壇が400メートルにわたり素敵な満開の花が、目を楽しませてくれた。さらに歩いて山下公園に到着。すると山下公園の中でも横浜市内の造園業者が、競い合って素敵な庭園を作り上げてくれ見て回り多くの写真を撮った。

 夢子は、はしゃいで、きれいな花と言って大喜びした。山下公園の海沿いを散策し、11時、中華街に入った。そして、中華の有名店に入って個室を借りて昼食を楽んだ。その時、運転しない父は、紹興酒を飲んで上機嫌でシュウマイ、鶏のから揚げ、バンバンジー、回鍋肉「ホイコーロー」、青椒肉絲「チンジャオ・ロースー」を食べ、喜んでくれた。

 仕上げは、特製のエビそば、中華そば、海鮮そばを頼み、中華まんじゅうも食べて満腹になり精算して店を出た。そして、橋を渡り、元町を見たいと言う女性たちの意見で、奥さんと母が、2人で見て回り、男性たちと子供たちは、近くのカフェで待った。40分位して、帰って来て、少しのアクセサリーと陶器の珈琲カップを買ってきた。

 その後、ポンパドールのフランスパンと菓子パンを選んで、買ってから、富一の運転で、東京へ帰った。そして夕飯は、珍しく、パンを食べ、買ってきた珈琲カップで珈琲を飲んだ。翌日は、東京大学時代の友人との飲み会に父が参加して、真っ赤な顔して、帰ってきた。そして、5月4日、昼頃、家を出て、沖縄に帰っていった。

 今年は、比較的気温が低い。6月中旬から8月中旬にかけて、前線が日本付近に停滞し活動が活発となった。その後、梅雨明けせず曇雨天の日が続いたため梅雨明け日を特定できない年となった。東日本は低温、長雨と日照不足となった。夏の3か月を通して低温となるのは戦後初めてで、この状態が9月まで続いた。

 東京では9月は秋雨前線や台風の影響により11月は前線や低気圧の影響により多雨となった。秋の日照時間は9月から11月に天気がぐずついたため日照不足。やがて、冬となり12月となり、1994年を迎えた。この年も、父は、仕事で帰ってこられないと連絡が入った。

 そして、1994年も初詣に行き、義理の父の家に、富一家族4人で、新年の挨拶に出かけた。すると、孫たちを見て、お年玉をくれた。その後、カルタをして、遊んでくれた。義理の父が、2000年に向かって日本株は必ず上昇すると思うとポツリと言った。

 その後、昼食にお寿司をとってくれ、みんなで食べ15時に失礼して東京へ帰った。この年2月になると気温が上昇し3月は低かったが、それ以降、4、5月と気温が高く推移。そして、その状況は、7月から10月まで続いた。7月は、特に高温となり4日、甲府市で39.3度を観測。5日、前橋市で38.7度、伊勢崎市で38.2度を観測。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み