第23話:薄井淳一の死と夢子の上智受験

文字数 1,854文字

 これを聞いて、興味を持った薄井がバッテリーの大きさはと聞くと、一番小さくでも、大型トレーラーくらいだと話した。規模はと聞くと毎時10キロワットから100キロワットと言うと、そりゃーでかいと驚いた。最大温度はと聞くと、室温。耐用年数は、最大20年、あえて弱点というとと聞くと、設備が大きいことかなと答えた。

  庄司さんが、ところで、薄井に富一に、いくら投資できるかと聞くと3億円と答えると、それは、心強いと笑顔になった。住友電工の木元君と京セラの梶山健二君が、君たちはと聞くと熱意はあるが、金は、ないと答えた。梶山が、太陽電池パネルを極力安く提供する言った。木元君も、できるだけ協力するから、それで勘弁して欲しいと話した。

 その後、庄司さんが、自分たちで太陽光発電をするだけでなく、これからは、倉庫、配送センター、公的施設、学校など屋上の空いてるスペースで、太陽光パネルを設置して、バッテリーに、蓄電して、マンション、工場に売電していけるし、そのニーズは、キットあるはずだと発言した。

 木元君が、最近は、金集めもクラウドファンディングと言う、方法もあるようですねと語った。そうの通り、その点では、太陽光発電に、大いに追い風になると考えていると話した。昼食を食べて16時、会議を終えた。この結果は、メールで送ると言い4人のメールアドレスを交換した。帰り際、庄司さんが、基本的に、私が、動いて商談をしてくるからと告げて解散した。

 2005年の夏は、猛暑でなく雨の多い夏であり比較的過ごしやすかった。しかし、7月26,28日にかけて台風7号が房総半島に上陸、8月25,26日に台風11号が関東地方に上陸したが、大きな災害とはならなかった。しかし、9月6,7日台風14号が、長崎県諫早市付近に上陸。九州地方・中国地方で道路陥没や土砂崩れなどの被害で多数の死傷者を出した。

 2005年も秋になり薄井夢子は、上智大学英文科を目指し予備校に通っていた。予備校の一斉テストで、上智大学英文科の合格可能性は、75%と判定され正式に受験すると家族に宣言した。寒くなり始めてもエアコンで部屋を暖め、夜遅くまで熱心に受験勉強をしていた。それを見て、母が、温かいお茶をいれた。

 そのため今年の夏、心臓具合が悪い父、薄井淳一と母は、自宅で過ごした。むしろ2005年は、冬の方が異常気象で12月4日~6日。早めの初雪。平野部でも積雪を観測。平年より早く、前年に比べ大幅に早い初雪となった。12月中旬、真冬並みの寒波が断続的に南下し、北陸から山陰では大雪。日本海側では家屋が雪の重みで潰れたり雪による死者や負傷者が多数出た。

 太平洋側の地方でも雪が降り全国的な低温になった。12月18日の広島県広島市17センチは観測史上最高。特に21~22日には温暖な西日本太平洋側でも積雪。高知県高知市5センチは12月の積雪として32年ぶり、愛知県名古屋市23センチで58年ぶり、雪が大変まれな宮崎県宮崎市1センチと60年ぶりの積雪、鹿児島県鹿児島市11センチは実に88年ぶり。

 なんと種子島でも雪が降った。そして2006年となり薄井家で、初詣に行き健康と太陽光発電の新事業が成功するようにとお願いしてきた。薄井夢子は、上智大学英文科の受験申し込みを終え、2月7日、受験した。合格発表は、2月13日と知らされた。

しかし、2月12日、早朝、父、薄井淳一が、胸が苦しい痛いと苦しみだし、富一が慌てて、車に薄井淳一を車に乗せて、近くの救急病院に連れて行った。待っていた看護婦と当直医が、その状況を見て、まずいと言った。すぐに救急室に運び開胸手術が始まったが10分後、亡くなりましたと告げられた。

 胸部大動脈破裂で大量の出血で手術始めたが手の施しようがなかったと、その後、当直の先生に聞かされた。そう言われると逆に悔いが残らず、あきらめがついた。その後、葬儀社の霊柩車を呼んで、遺体を自宅の和室に置いて死亡診断書をもらった。その後、斎場の手配をして5日後、車で25分程、離れた斎場で、10時から葬儀を開始することが決定し関係者に連絡した。
 
 翌日2月13日、薄井夢子の上智大学英文科の合格発表には、母が、一緒について行き、夢子の受験番号が、張り出されているを確認した。すると、夢子は、放心状態になり、ハンカチで流れる涙をふいていた。それを見て、母も、もらい泣きした。合格、入校の手続きをとってから、帰り道、喫茶店で、珈琲を飲んで、心を落ち着かせて、自宅に戻った。
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