第17話:父の病気と世相とヤフーの株価

文字数 1,660文字

 最初の心筋梗塞の手術から約半年後の1998年11月10日、再度、東大病院に入院して、2つ目の心臓の大動脈にステントを入れて、血液の流れをよくする手術を11月11日、開始して、昼過ぎに終わり、執刀医からも問題ありありませんと言われた。13日、体調も回復して、異状もないことが確認され11月14日退院となった。

 しかし、もう1ケ所、ステントを入れて終了となりますと言われた。次は、1999年6月8日、手術予定をしますと知らされた。その後、元気な顔で、自宅に戻ってきた。それから、酒も、たばこも辞めて顔つきも昔に比べて柔和な感じになったと奥さんが感じた。孫と遊んでいる時は、布袋様の様な笑顔で楽しんでいた。

 やがて12月寒くなり、お父さんお部屋は、エアコンを使い暖房をして23度に保っていた。早寝、早起きとなり昔の様に徹夜したり朝は早く起きる事もなくなった。やがて1998年が終了し1999年を迎えた。今年も全員で初詣に行き一家の健康を祈願してきた。翌1月2日、富一家族4人は藤沢の奥さんの実家へ行った。

 新年の挨拶をして、今年も、お年玉ももらい、喜んでいた。富一に、義理の父が酒を注いで、ソニー株が順調に株価を上げてると言った。今年、大きな事件でも起こらない限り、今年の年末か、来年の年始、高値になった所を売ろうと話した。この年、最初の大きなニュースは、元旦、欧州連合に加盟する11か国でユーロが、銀行間の取り引きなどの通貨として導入された。

 3月27日、経営不振の日産自動車と日産ディーゼル工業は自力再建を断念、事実上、仏ルノーの傘下に入った。今年は、過去に例を見ない厳しい雇用情勢が続いた。総務庁の労働力調査では、1999年6、7月の完全失業率が史上最悪の4.9%を記録、300万人を超える人が失業の憂き目にあった。それと同時に日本経済にも暗雲だ漂った。

 その頃6月8日、父は、昨年、決めた手術予定通り、6月7日に東大病院に入院。6月8日午前中に心臓のステント手術をした。その後、13時、家族の面会が許された。父は、これで最後の手術が終わったと喜んでいた。しかし、血液が固まらなくする薬と血圧を下げる薬を併用しているため以前の様な活発に動いたりしなくなった。

 そして、生気が、なくなり、急に老けたような感じがして、富一は、一抹の不安を覚えた。しかし、子供たちは、おじいちゃんが、良い遊び相手だった。今年の気候、春先3月には太平洋側を中心に降水量が多くなり、冬から続いていた少雨傾向は解消。東京では5月から6月前半は移動性高気圧に覆われて晴れの日が多かったため梅雨入りは平年並6月半ばとなった。

 7月初め梅雨前線の活動が活発になった。7月中旬には熱帯低気圧などの影響で東日本の太平洋側で大雨。夏の3か月間の降水量は、平年を上回った。東京は、平年比2倍と雨の目が続いた。9月の月平均気温は99地点で高温の記録を更新し、全国的に残暑が厳しかった。その後も11月まで全国的に高温。1999年12月30日、早朝、証券会社の電話が入った。

 ソニー株、30300円の気配値なので売りをすすめられ成り行きで全株売りを指示。売れ、税引き後利益25000万円。これで残金合計が27000万円となった。しかし、この話は、誰にも言わず、富一の胸のとどめていた。やがて2000年が明けた。元旦は、恒例の初詣と新年会で、子供たちは、祖父と父からお年玉をもらい上機嫌。

 翌2日は、奥さんの実家を富一の一家4人で訪ねた。新年の挨拶とお年玉をもらった後、義理の父が、ちょっと話があると言い。富一を呼んだ。隣の部屋で、ソニー株の成功を喜んだ。次にヤフー株が信じられない上昇してると言われた。

 ヤフー株が下がった所を買おうと言うので同意。2000年2月22日、夜21時、義理の父から電話で、以前話していたヤフー株が1億6790万円の最高値を記録したと興奮し電話をかけてきた。この株は、思惑で大きく動くはずだから下げたら買いたいが、買い方が、難しいと話した。
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