第25話:米国金融危機で、日本経済もパニック

文字数 1,645文字

 2007年9月、薄井幸一は、日本IBMを受験し、面接試験を終えた。数日後、内定の通知を受けると大喜びした。ドル・円は約10円、ユーロ・円は約15円、ポンド・円は約20円、それぞれ1週間で大きく下落した。そもそも2006年頃から米国の住宅市場が変調をきたしていた。そのため、サブプライムローン等の延滞や債務不履行が増えた。

 そして、2007年にはサブプライムローン関連の証券化商品のリスクが話題になった。その中で「パリバショック」が起こりリスクが現実のものとなった。実際、ショック後の市場では、サブプライムローン関連の買い手がつかず、解約に対応するための現金化が困難になった。それまで積極的に購入していた欧米の投資家が大きく動揺し信用不安が台頭。

 当時、金融当局や市場関係者、金融機関もサブプライム問題の深刻性を十分に認識せず、一時、鎮静化の兆しが見られた。その後、2007年11月5日、早朝、証券会社の担当者から任天堂の株価が、70800円と高いから売りと言われた。

 そして、任天堂株、1万株全部、成り行き売りを指示、すぐ売れて、税引き後利益が6.3億円となり資産合計が、約11億円となった。それが解り、薄井富一は、庄司さんに、あと5億円を投資する知らせると大喜びしてくれ、残金6億円となった。やがて2007年が終わり2008年を迎えた。すると、日経平均株価が下がり始めた。

 アメリカでは、2008年3月、米国第5位の投資銀行ベア・スターンズは、デフォルト「債務不履行」に陥ったが、JPモルガンによる買収で救済された。しかし、2008年9月、大手投資銀行リーマン・ブラザーズは3千億ドルの負債を抱える史上最大規模の破綻となった。

 一方、薄井幸一は、2008年4月を迎え、日本橋の日本IBM本社に出勤した。その後、研修に入り、一週間後、サービスエンジニア科に配属されて、約3ケ月のソフトウェア研修を受けることになった。研修と言っても自宅から通い、定時18時には、会社から帰れた。しかし、内容は、高度で、自宅に宿題を持ち帰り、勉強したり覚えたりする日々を過ごした。

 その後、日経平均株価も急降下し、2008年10月27日の最安値7163円となり昨年末からの下落率は最大53%超、企業活動や個人消費が落ち込んだ。9月以降は米金融大手リーマン・ブラザーズの倒産で株の投げ売りが加速。中でも10月16日は、欧米の大手金融機関の連鎖倒産懸念から11.4%安と1953年のスターリン暴落を超える下げ率を記録した。

 これにより1987年のブラックマンデーの14.9%安に次ぐ過去2番目の急落。中国、インドなどの新興国からの需要拡大や投機的取引で、原油価格が夏場にかけて急騰。これに伴い、ガソリン価格をはじめ物価が急上昇し、ニューヨーク市場の原油先物相場は、7月に史上最高値となる1バレル・147.27ドルまで上げた。これにより米国製自動車が、販売不振に陥った。

 そのため企業のマインドが冷え込んで太陽光発電どころではなくなった。このため新規太陽光発電の設置の話が、当分の間、凍結されて、設置してある太陽光発電設備の保守・管理の仕事だけになった。そのため薄井富一は、一人で、週に1,2回、御殿場に行き、太陽光発電装置の点検をして、その後、近くの温泉に通い始めた。

 この不景気の中、2009年があけた。初詣に出かけ景気の回復と家族の健康を祈願した。2009年、金融危機に端を発した世界同時不況が、電機や自動車など輸出企業の業績を直撃。需要の激減が響き、2009年3月期の連結決算で電機大手8社は合計2兆円超の純損失を計上。

 トヨタ自動車も純損益が2兆円以上悪化、約4369億円の赤字に転落。ソニーが1万6000人の削減は、非正規にとどまらず正社員にも波及。春闘では、ベースアップを見送るだけでなく、電機大手のように定期昇給を凍結する動きも広がった。急激な業績悪化の責任を取り、大手企業のトップ交代も相次いだ。
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