第16話:薄井淳一の退職と箱根、熱海温泉旅行

文字数 1,624文字

 医者に、状況を聞き、東京への移動許可をもらった。その日の午後の便で東京へ向かい、19時過ぎに自宅に帰ってきた。翌朝、4月24日に東大病院に連れていくと、心筋梗塞のだろうと言われ手術する事になった。

 昼前に手術が始まり14時には、入院してる部屋で面会。担当医の説明によると不整脈が出ていて、心臓周辺の大きな血管が詰まってる疑いがあると話した。そして、検査の結果、1つの血管が6割、詰り、その他の2つも手術する必要があると告げられた。血管にカテーテルを入れる最新の手術で血管を膨らませ広げると説明した。

 考えて見れば、父も今年で66歳。退職しても、おかしくない年である。手術4日後の4月28日経過が順調なので退院を許可され、家に戻ってきた。息子の富一が、父に、もう十分に仕事をしたので、今後、体の事を考え今年中に沖縄大学を退職したらと話した。それを聞いて小さくうなづいた。その後、息子富一と沖縄に行って沖縄大学本部に、退職意向を説明。

 そして、関係者と、世話になった人たちに退職する意向を話して回った。事務へ行き退職願を書いて提出した。その後、退職金を振り込む銀行口座を書いて渡し沖縄を後にした。以前、薄井淳一を沖縄大学教授に推薦してくれた玉井先生の東京にある寺の墓前に行き、墓参りして、今までのお世話になったお礼をしてきた。1998年6月末付、父は、沖縄大学教授を退職。

 その退職金、約3千万円が口座に振り込まれた。父は、孫の幸一と夢子と同じ住まいで、食事する時、今まで感じた事のない幸せを実感したようだ。その後、夏になりエアコンの効いた部屋で、ゆっくりする日が増えた。秋、10月9日から家族で2泊3日で箱根と熱海旅行へ出かけた。9日金曜の10時に東京を出て東名高速で御殿場で降りて138号線を南下。

 仙石原を経由して桃源台へ行き湖畔のホテルに入り昼食を食べた。その後、桃源台から芦ノ湖遊覧船に乗り景色を眺めると箱根の周辺の山々やその奥に富士山が見えた。箱根関所と恩賜箱根公園を散策。お茶してから、再び、桃源台行きの遊覧船に乗って、戻ると、16時半になっていて、予約していた湖畔の宿にチェックインした。

 その後、温泉にゆっくり入って、18時から夕食を家族6人で出かけて、たくさんのごちそうを食べた。19時に部屋に戻りビールを飲んだ。また、持ってきたトランプをしたりして、22時前には床についた。翌朝8時に起きて、9時半にチェックアウトして10時には車で出発して、芦ノ湖スカイラインを南下して熱海へ続く道を30分行くと曲がりくねった峠道になる。

 そこを慎重に運転して11時に来宮神社に到着。神社をお参りして、有名な楠の大木の周りをまわって、家内安全、父の健康回復、商売繁盛を願ってきた。次に、熱海港へ行き近くのレストランで昼食を食べた。その後、熱海港を散策して14時にホテルにチェックイン。運転してきた富一を残して、他の5人は、温泉に入りに行き16時頃起きた富一も風呂に入った。

 その後、父の淳一と富一と子供たちは、熱海市街の昔懐かしい遊戯場を回って、スマートボールや射的などに興じて、1時間くらい遊んで、ホテルに帰った。その後、夕食時間になり、6人で夕食のバイキング会場へ向かった。

 19時半ころ部屋に戻り、テレビ見たり、トランプしたりして過ごし、眠くなった順に部屋に戻って、床についた。翌朝8時に起きで、朝食をとった。ホテルの精算を済ませて10時過ぎ、車で熱海を出発。途中、真鶴を左折して反騰の突端の岬に行き、浜辺を散策して三ツ石を遠くから見学し写真をとった。

 その後、喫茶店でお茶して、一休みして出発。11時過ぎに小田原に着き、小田原城を見学して、その城壁などを散策し写真を撮った。そして、レストランに入って昼食をゆっくり食べて、13時半に出発。小田原厚木道路で厚木着くと東名高速に入って東京へ16時前に帰った。父は、その後も自宅療養を続けた。
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