第22話:幸一が東工大へ、ヤフー株成功と太陽光発電

文字数 1,783文字

 死者、約35000人、世界遺産に登録されたアルゲ・バムは、ほぼ全壊。2004年ユネスコは同遺産を危機遺産に登録。RC構造物は比較的被害も小さかった。やがて2004年となった。この年、長男の幸一は、大学受験の年となり、昨年末の予備校の一斉テストの結果で東工大の合格可能性が75%と診断され、東工大の過去の受験問題集を徹底的に説いていた。

 長女の夢子が中学3年生になり、来年、高校受験となる。2月、受験当日を迎えて大岡山の東工大へ行き受験して合格を勝ち取った。入学の手続きを済ませると、1年生の授業は、横浜市の長津田キャンパスで行われる事がわかり、自宅から1時間かけて通学することになった。行ってみると森に囲まれた場所だった。
 
 2004年4月5日の夜、義理の父から電話が入り今日の最高値が143万円だったが、明日140万円以上だったら売りと提案され納得し同意。翌日の昼、富一が、証券会社に電話を入れると140万円で売れたと言われた。以前購入したヤフー株は2001年9月4日以降、2002年2回、2003年2回、2004年3月26日と5回の2分割で合計32倍に増えた。

 そのため2004年4月6日、早朝、ヤフー株10株が320株なっていて売却後の税引き後利益が35400万円となった。その結果、投資残金が60500万円となった。その直後、証券会社の担当者から、ソニーと任天堂のゲーム機戦争で、任天堂が安いと思うと言われ、そこで、任天堂株を10500円の指し値で1万株、4月6日、早朝に注文。

 4月9日の晩までに購入できた。その結果、残金が、約5億円となった。2004年夏、暑く心臓具合が悪い父、薄井淳一と母が、御殿場高原ホテルに約1ヶ月間滞在した。薄井の家族が、交代で避暑をかねてホテルを訪問し9月12日、東京に帰ってきた。帰ってきて、父が、薄井富一を呼んで、この異常気象を止めるには、二酸化炭素の排出量を、減らしていかねばならない。

 そのため資産を使って太陽光発電装置を設置しろと説明した。それに対し薄井富一は、言われる事は良くわかるので専門業者に相談してみると答えた。そして大学時代の友人で太陽光発電に関連してるを探し始めた。同じクラスに京セラとパナソニック、住友電工に入社した男がいて相談に乗ると言ってくれた。

 大規模に太陽光発電をしてデータを取らせてくれれば、太陽光パネルを割安な条件で販売できると述べた。そして2004年も冬となり2005年を迎えた。京セラの梶山健二君が、実は、今年、我が社を定年退職する庄司善蔵先輩が御殿場で倉庫の屋根を利用し、大規模な太陽光発電を計画し、メンバーを募集していると教えてくれた。それにのってみないかと電話してきた。そこでは、住友電工の新型、大容量蓄電池の実験も行うので住友電工の木元俊秀君にも声をかけると話した。

 そこで、2005年4月に、東京駅近くで、京セラの梶山健二君、庄司善蔵先輩と住友電工の木元俊秀君の計4人で集まって、話をしないかと言われ了解した。その後、4月17日、日曜、10時に東京駅の銀の鈴の前に集合することに決まった。当日、行くと、すぐに、あえて、東京駅近くの個室のあるカフェに入り、それぞれ、4人が自己紹介をした。

 庄司善蔵先輩が、50歳で早期退職し1億円を支出して太陽光発電のベンチャー企業をつくりたいと告げた。その事業に、是非とも協力して欲しいと言われた。そして、京セラにコネがあるので太陽光発電装置は、京セラ製を使うと宣言。住友電工の木元君は、現在、開発中の化学薬品をつかった大容量バッテリーの開発してるのでデータを取りたいと話した。

 その後、自分の目指す、太陽光発電の未来について、語り始めた。特に、商事さんが、詳しくて、この先、透明ガラスのような太陽光発電素子とか、壁に塗る事によって発電する塗料なども開発されていると説明した。将来的には、特殊な形をした集光型太陽光発電装置の研究も進んでいると説明した。

 次に、住友電工の木元君が、我が社では、世界中で太陽光発電用に使えるバッテリーの研究を10年くらい前から始めており、もう既に、大型バッテリーは、20軒以上の企業に納品し、稼働中であり、一部で、現在もデーターを取っていると説明した。そのため今回も、その実験をお願いしたいと思っていると話した。
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