第9話:異常気象と薄井家の子の希望

文字数 1,584文字

 8月は、2日山梨県甲府市で39.3度。茨城県古河市で38度、館林市で38.4度を観測。3日、東京都千代田区で観測史上2位となる39.1度を記録。全国的にも猛暑が続き、9月10日奈良市で、当年で最晩の猛暑日35.1度を観測。10月12日、亜熱帯地域を除く気象官署19か所で、当年で最晩の真夏日を鳥取県米子市で32.1度を観測。

 特に九州、日田で、45日間の猛暑日「最高気温が35度以上の新記録」。11月、沖縄の父に電話をして、この話をすると、父が、実は、沖縄大学で沖縄の環境問題をはじめとして世界的な環境問題を研究し公害論を教えている。その傍ら世界の異常気象について研究していると語った。この地球温暖化の原因の1つが、二酸化炭素の増加が大きく影響してると話した。

 さらに続けて自分は、学者じゃなくて本質は技術者だと言い、この地球の環境破壊と温暖化の進行の対策を早急に実行したいと話した。お前も科学者のとして、この問題を勉強してくれと言い、今後、定年退職して高齢になり活動できなくなったら、その跡を継いでくれと真剣に語った。その話を聞いて、富一は、父の情熱の強さに感動して胸が熱くなり、わかったと答えた。

 また、東京に帰った時、この話をしようと言って電話を切った。その後、今年の年末、東京へ帰ると連絡が入り12月29日に東京に帰り1月3日、昼間、沖縄に戻る予定だと告げた。やがて12月29日、16時、父、が東京の実家に帰ってきた。この時、父が、バッグから分厚い書類を息子の富一に渡した。この中に、私の調べた地球温暖化の資料が、入ってると語った。

 地球温暖化に対する具体的な対策案が書いてあるから、よく読んでおいてくれと言われた。その後、風呂に入り出てから熱燗を飲み乾杯して母と百合さんの手料理を食べた。やがて1995年となった。薄井家全員で、初詣に出かけ、それぞれの願いと共に、家内安全、子供たちの健康、両親の長寿。さらに、富一は、投資の成功を祈願してきた。

 その後、皇居を散歩し、今年の抱負を歩きながら1人ずつ語った。9歳になる薄井幸一は、おじいちゃんとお父さんみたいに一生懸命勉強して日本の科学技術に貢献したいと言い、そのためには東大、東工大、早稲田大学理工学部を目指していきたいと抱負を語った、それを聞いて、祖父の薄井淳一が、目に涙を浮かべ、良く言ったと、頭をなでた。その時、長女の夢子は、私は、英語をうんと勉強して、経済の中心、アメリカにわたって、お金持ちになると答えた。

 そして、両親に、お金をあげたいわと可愛い声でいうと、祖母が、夢子の頭をなでて期待しているよと言い笑いながら、目には、涙が浮かんでいた。1時間位かけて皇居を一周して全員が、自宅に帰ってきた。その後、寿司をとって食べ昼から酒を飲んでカルタ取りを孫達と楽しんで、破顔一笑。孫に、お年玉を渡し喜んでもらった。その後、少しして疲れて昼寝を始めた。

 翌2日、薄井淳一は、東大時代の仲間と夕方から新年会に参加し上機嫌で帰ってきた。4日目、今年は、富士山と美しい富士を見るためハイエースで早朝、東京を出て、第三京浜を使い、横浜、戸塚、茅ケ崎から西湘バイパスを小田原方面に走ると前に雪をかぶった霊峰富士。右には、相模灘の美しい海がみえて、両親も子供たちも上機嫌だった。

 その後、小田原から箱根にむかい、芦ノ湖の舟の乗って、降りた後、近くのホテルで昼食を食べた。その後、関所跡とか、公園を散策して14時過ぎ、御殿場から東名高速で東京へ帰ってきた。夕食をとって早めに床についた。

 翌日、昼過ぎ、父は、羽田から沖縄に向かった。1995年の東京の気候は、暖冬で始まり、晴れの日が多かった。3月から5月は、高温の日が続き、梅雨、雨が多く、低温で日照不足。夏8月は、記録的な高温で、日照りの日が多く、台風は少なかった。
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