第24話:父の葬儀、太陽光発電開始と夢子が上智合格

文字数 1,764文字

 翌日2月13日、薄井夢子の上智大学英文科の合格発表には、母が、一緒について行き、夢子の受験番号が、張り出されているを確認した。すると、夢子は、放心状態になり、ハンカチで流れる涙をふいていた。それを見て、母も、もらい泣きした。合格、入校の手続きをとってから、帰り道、喫茶店で、珈琲を飲んで、心を落ち着かせて、自宅に戻った。

 葬儀には、総勢100人を超える人が参列。特に、近くで、世話になった人が、多く、生前、父が、近所の人達に親切にして好かれていたのが、良くわかった。葬儀を終えて、菩提寺の墓に、葬られ、葬儀は終了。家に帰ると、母が、タンスの引き出しから父の遺言書を持ってきて、兄弟に見せた。

 すると、それには、まず、富一に、お前は、世のため人のために貢献しなさい。そのために私の残した資産3億円を有効に使って欲しい。そして、どんなことがあっても、挫けないで、自分の思ったとおりの人生を送って下さい。もちろん、母を大事に、面倒を見てやって欲しい。できれば、草葉の陰から、じっと君の事を見て、応援したいと思ってると書いてあった。

 それでは、いろいろお世話になりました、薄井淳一と書いてあった。その後、母は、父が亡くなり、最初、落ち込んでいたが、遺書を読んでから何となく、肩の荷が下りたようになり、以前のように、明るさを戻した。そして、地元の公民館で開かれる老人会に出かけた。そして、同年代の女性達とおしゃべりするのを楽しむようになった。

 中高年のためのスポーツ教室にも通い出した。2006年、3月中旬から東名高速の御殿場インター近くの大手運送会社の倉庫の屋根に多くの太陽光パネルを設置する交渉がまとまり、庄司さんが、その会社と交渉して1億円ずつ出し合って事業を開始することになった。ゴールデンウイークの前、太陽光発電用パネルの設置を終えた。

 住友電工の木元君が、中心となり、大型コンテナーのバッテリー装置の取り付け工事を済ませて4月22日から発電を開始。太陽光発電装置を設置した事業所近くに2DKのアパートを借り、アルバイト学生3人を雇い、2交代制で監視する事にし、木元君も土日に来てもらい、様子を見てもらった。その後、大きなトラブルもなく1ヶ月が過ぎた。

 夏となり発電量が増え、順調に発電し、この事業所だけでは、使い切れない程の電気を作れるようになった。そこで、近所3軒の事業所と売電契約を結んだ。特に大きなトラブルはなく、最低1人、監視要員を置いて、2006年も冬を迎えた。そして2007年となった、今年は、例年になく、あたたかい冬で、助かった。

 また、天気の日が多く太陽光発電には良いコンディションで、順調に発電した。このまま行けば5年足らずで1億円を回収できる見通しがついた。さらにバッテリーのデーターを取っているので補助金ももらえる。その後、庄司さんが、営業して回ると、南御殿場の南部に工業団地が点在しているので、太陽光発電装置を設置するニーズが、あると考えてた。

そこで直接交渉に伺うと8軒で、電気を買っても良いと言う返事をもらった。そこで、2ヶ所の運送会社の支店と2ヶ所の倉庫会社で、折半で太陽光発電を始めても良いと言われた。費用は、3億円だと言われた。それを使うと資金がなくなる。そのため4人が集まって話し合いをすると、薄井富一が、また必要なら1億追加投資しても良いと伝えた。

 すると社長が、薄井富一を社外取締役にして給料を払うと言いだした。工事は、3月3日から始めて4月20日は終わる事になり、太陽光発電装置とバッテリーの設置を開始した。そして、予定通り4月20日に設置が完了して、運転を始めた。

 しかし管理人1人では難しいので2人にした。さらに、軽自動車も購入して巡回してもらうことにした。大きな問題もなく過ぎた。しかし2007年8月、米国のサブプライムローン「低所得者向け住宅ローン」関連の証券化商品の市場混乱が起こった。

 そして、BNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが解約を凍結した事で、多くのこのファンを持っている団体、企業、人々が、パニックに陥ったもので、その後の世界的な金融危機が起こる発端になった出来事。これにより、世界のマーケットが、一時パニックに陥り、特に、為替相場は短期間に大きく変動した。
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