第4話:公社の民営化と薄井幸一誕生

文字数 1,591文字

 その後、床についた。翌日は、祭日だったので、奥さんの必要なものを日本橋に行って買ってきましょねと言い、タクシーに乗って日本橋のデパートを回った。父は、飲みすぎて、昼頃まで寝ていて帰ってくるとご苦労と言った。その週の日曜日、家の近くの川沿いの桜が満開になり、花が、川に落ちて落ち葉が流れていく様子を母になる百合さんが、じっくりと眺めていた。

 花見が終わると、甘いものが食べたいと言うので、虎屋の羊羹を買って帰り、お茶を飲みながら食べた。やっぱり美味しいと言って、食べ終わると百合さんが、もう一ついただいて良いかしらと言うと、どうぞと富一が言うと子供の分もいるものねと母が笑いながら言った。でも気を付けないと太ってしまい、お産が大変になるから太り過ぎには気をつけなさいと優しく話した。

 この年の4月から日本電信電話公社が、「NTT」に名称が変わった。その他、日本専売公社が「JT」となり、それぞれ民営化された。また、5月25日 、バングラデシュで、サイクロンが発生し、その被害で約一万人が死亡した。8月12日 、日本航空123便が群馬県の山中、御巣鷹の尾根に墜落、520名の死者を出した。

 しかし、乗客4人が奇跡的に生存。その時、日本の国民的歌手、坂本九さんが、運命のいたずらか、その便に乗り合わせていて亡くなった。9月19日 メキシコでマグニチュード8.1の大地震、メキシコシティ付近を中心に大被害。9千人以上死亡、3万人以上がけが、9万人以上が家屋を失う被害。

 そして9月25日、百合さんが、大事をとり近くの産婦人科病院に入院。9月27日、早朝、元気な男の赤ちゃんを無事、出産。母の百合さんの希望で、幸せになってほしいと幸一と名付けた。10月1日退院し、自宅に帰って来た。5人では、3DKのこのマンションでは狭いと考えて、もっと大きなマンションか借家を富一が探し始めた。

 10月に4DKのマンションの情報があったが1部屋が狭いわりに家賃が高いので断った。11月には、神田と御徒町の間の一角の隣通しの3DKのマンション2つでベランダから行き来できる物件が見つかったと言われ、そこを見に行くと9万円2室で、月18万円と高かった。それを見て奥さんが、高くて住めないわねと言った。

 それに対し富一と父の淳一が、費用は、何とかしようと言い、ここを借りようと言ってくれ、引っ越すことになった。その週の土日をかけて、トラック8人の引っ越し屋さんの手で1日がかりで引っ越した。やがて、寒くなって来て、11月、12月となり、今年は、忘年会を自宅で、すき焼きをやることになって肉を焼く係は、男性たちが行った。

 そして、女性たちは、子供の面倒見る係となり、おいしい、すき焼きを食べて、酒を飲んで忘年会を終えると、しばらくして1986年を迎えた。今年は、元旦早々、富一夫妻は、両親とともに、長男の幸一の初宮参りに出かけた。そして、健やかに育つように祈願してきた。もちろんお守りも買い与えた。冬は、風邪に気を付けて、うがい手洗いを励行し気を付けていた。

 しかし、父の淳一が、37度を超える熱を出して3日間も会社を休んだ。その時は、彼の部屋だけ、立ち入り禁止にして、食事は、奥さんがマスクをして、運ぶようにして、他の人に移らない様に、十分注意して過ごした。4日間に平熱35.6度に落ちて、食欲も出てきたようで、東大に出勤していった。薄井淳一は、変わらず左翼的な活動に積極的に参加し持論を展開していた。

 そのため東京大学でも厄介者扱いされているのは事実だった。しかし、彼の行動を頼もしいと感じていた人物が日本の南の果て沖縄にいた。それ人は、沖縄K大学教授、玉井敏夫だった。その晩、自宅に帰ってくると、沖縄K大学教授、玉井敏夫さんから、自宅に電話が入った。玉井教授が、薄井淳一君の活躍は、良く知っていると言った。
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