商売立上げ
文字数 5,528文字
仇討ちから一月以上経ったある日、優之助(ゆうのすけ)はいつも通り鈴味屋(すずみや)にていつも通りおさきにお酌をしてもらっていた。
おさきは早くも日常を取り戻し働いていた。
「おさき、すっかりいつも通りやな」
機嫌よく芋の煮物をつつきながら酒を飲む。
芋が柔らかく口の中で溶けるようだ。味も濃すぎず薄すぎず絶妙である。
鈴味屋の料理は酒のつまみになるものから庶民が気兼ねなく食べられる料理、ちょっとお高い料理まで様々なものがあるが何でも美味い。
おさきはにっこりと微笑んだ。
相変わらず美人だ。
「へえ、お蔭さんで。それより優さま、大山(おおやま)さまはまだご一緒に?」
おさきがお酌をして言う。
優之助は機嫌よく酒を飲んで答えた。
「鬱陶しいことにまだ居てるんや。ほんまいつまでおるつもり……ってなんでや?」
不吉な想像をして思わず酒を飲む手が止まる。
まさか、あの男に惚れたと言うのではないだろうな。
もしそうなら刺し違えてもあの男の寝込みを襲う。
「いや、それがこの前お客さんで困り事があるて相談されて、頼りになる方達がいてるて言うたらぜひ紹介してほしい言われてしもて。どないですやろ?」
なんだ、そんな事か。
安心して酒を煽る。
おさきに頼りにされているとは鼻が高い。
「話ぐらいなら聞くで。伝之助(でんのすけ)には俺から言うとく」
伝之助を呼び捨てにして大きく出る。
「まあ嬉しい。ほんならこんな話が来たら優さまのとこに持って行くようにします」
「おう。どんと持って来い」
ちょっとは男らしく見えただろうか。
下心満載で言った。
数日後、優之助の家を一人の町人風の男が訪ねてきた。
「すみません、優之助さまと言う方はあなたさまでしょうか」
「優之助は俺やけど……何か?」
何かしでかしたろうか。
最近は女とも遊んでいないから心当たりはないように思うが……
「鈴味屋のおさきの紹介で尋ねてきました」
男はおずおずと言った。
そう言えばおさきが何か言っていた。
伝之助にはまだ何も伝えていない。
それにしても早く要件を言えばいいものを、変な勘繰りをして損した。
居間へ案内してやり、男を座らせて茶を用意する。
「それで、どないしはったんです」
茶を出しながら言って男の向かいに座った。
「ええ、実は……」
男の妻は親戚が営む茶屋で働いており、最近その茶屋に通い妻にちょっかいを掛けている男がいるから何とかしてほしいと言った。
「そんな事自分で何とかしたらどないですか」
また仇討の類かと思ったらそんな事か。
呆れて正座していた足を崩した。
「そんな事言わんで下さい。その男がまた性質の悪い奴なんです」
男はちょっかいをかけている男について話し出す。
どうやら悪い付き合いのある男のようで、とても自分だけでは追い払えないらしい。
「金なら払います。どうかお頼み聞いてもらえませんか」
金を払う……しかしこんな事は伝之助が何とかしないと何ともならない。
「話は分かりました。返事は後日でよろしいですか」
「結構です。お願いします」
「それじゃあ明日、また訪ねてきて下さい」
男は背を丸めてすごすごと帰っていった。
その日の夜、伝之助が帰り居間にて座ると、優之助は早速切り出した。
「伝之助さん、実は……」
おさきに話を貰った事から今日の出来事に至るまでを話した。
「そげなもん、お前が何とかせえ」
思っていた通りの回答だった。
さあ、ここから伝之助のやる気を持っていくのだ。
「その男は金を払うと言うてます」
「お前に一つ教えとくど。おいは金に困ってなか」
そう言えば今までもあちこちで用心棒をしていたのだった。
いつもの様子からして報酬をふんだくっていたのだろう。
今もどこぞで用心棒をしているのか、時折いない事もある。
「伝之助さんがお金に困ってるなんか思てません。ちゃんと誠意がある相手やと言う事を言いたかったんです。俺は、やりがいのある事を見付けたんです」
得意の口八丁で伝之助の人情に訴える作戦に出る。
伝之助は冷酷なようで意外と人情に弱い気がする。
「やりがい?」
伝之助が片眉をあげて見る。
食い付いた――優之助はそれを見て続ける。
「ええ。俺はずっと親の金で遊び歩いてる毎日でした。何のやる事も見い出せず親も弟も悲しませる毎日でした。けどやっと、それに終わりが来る時が来た。それは伝之助さんと大坂に行った時から心が湧き踊ってた。またああやって人の役に立ちたいって。前みたいな規模が大きくなくてもいい。小さくても人の役に立ちたい。それが今回また話が転がってきたんです。伝之助さん、俺に力を貸してくれませんか」
我ながら弁が立つ。
決まったと思った。
伝之助もうんうんと頷いている。
「お前がそげに思っちょったとはの。家族に迷惑かけんで自立したい言うんはよか」
「そうでしょう」
好感触だ。
「じゃ。そいでお前は人の復讐心に協力したいとか」
「へ……復讐?」
「盛本を斬ったこつは仇討ちじゃ。復讐するち言うこつじゃ。今回も妻にちょっかいを出す男を懲らしめる。復讐するち言うこつじゃ」
そう言われると確かにそうかもしれない。
だがそこまで深く考えていない。
「復讐……そこまで大きくは考えていませんでした。ただおさきの気を引きた……ではなくて、おさきが持ってきてくれた話に共感し、人の為になりたいと思いました」
伝之助は優之助の話を聞きながら思っていた。
やはりおさきは侮れない。
優之助を焚き付けて客を増やそうと言う腹ではないだろうか。
しかし不純な理由とは言え優之助が働く気になっている。
こんな男が働こうが働かまいが興味ないが、親の甘さに甘えて遊び歩いているさまを見ると他人事ながら虫唾が走る。
ここらで住まわせてもらっている恩を返してやってもいい。
おさきに乗せられたとわかる所が気に入らないが乗ってやろうと思った。
「そうか。よか、そん話引き受けよ。ただし優之助、ちゃんと調べ。そいはほんまに懲らしめてよか人間かどげんかな。仇討の時みたいにおいがやってくれる思うな。お前がきっちりやるこつでおいは初めて動く。調べもせんと相手んこつ鵜呑みにしちょったら信用ならん。やるならきっちりやる、そいが仕事じゃ」
なるほど、伝之助にしては真っ当だ。
真面目な顔で見る伝之助の視線を真っ直ぐ返した。
「わかりました。きっちりやってこその商売ですものね」
翌日依頼人の男が訪ねて来ると、引き受けると伝え、同時に報酬と約束事を伝えた。
男から了承を貰うと、詳しく話を聞き出した。
伝之助と二人で男から話を聞くと、優之助はその日の内に家を出て調査に向かった。
まずは依頼人の男やその周囲の様子を探った。
男の人間性を主観、客観含めて確かめたかった。
依頼人の男は特に問題のある男ではなさそうであった。
優之助にしては珍しく精力的に働き、その後数日かけて調査した。
結果、依頼人の男の言う通り男の妻は親戚の茶屋で働いており、一人の男に絡まれる事が多いようであった。
その男も可能な範囲で聞き取りや後をつけて調べると、確かに厄介そうな男であった。
島薗(しまぞの)のごろつきとも付き合いがあるようではあったが、どこまで深い付き合いなのか、その男の立ち位置までは掴めなかった。
もう少し踏み込んで調べたかったが、自身の身が危うくなる事を思いやめた。
後は伝之助に任せよう。
あいつは危険担当だ。
伝之助に調査報告をした翌日、二人で店に出向いた。
店は割と大きく店頭でも店内でも飲み食いが出来る。
二人は店頭も見え、店内全体も見渡せる隅の席で男を待つ。
伝之助が茶を啜り、優之助が串に刺さった三つの団子の内一つを口に入れた所で、男が店内に現れた。
「なあ、旦那と別れて俺の女になってや」
男は席に着くなり口説く。
「やめて下さい」「ええやん」「いい加減にして下さい」そんなやり取りの後、見兼ねた店主が注意する。
すると男は「お前には関係ないやろ」とすごむ。
そこで伝之助の登場だ。
「見苦しか。外に出え」
「ああ?どこぞの侍や。俺に手え出したらどないなるかわかってんやろな」
男は睨みをくれて言い放ち、伝之助と表へ出る。
店主には話を通してあるので、優之助は目配せし、団子を持って二人の後を追う。
店から離れた草むらに二人はいた。
優之助は二つ目の団子を頬張った。
「俺は島薗の坂谷(さかたに)さんと付き合いがある。俺に手え出したら後悔すんぞ糞侍」
男は顔をもたげ啖呵を切る。
優之助は伝之助が糞侍と罵られた事にくすっと笑う。
しかしこの男、相手を見てわからないのだろうか。
伝之助は背こそ高くないが体つきが違う。
何より纏う独特の雰囲気、気を感じ取られないのだろうか。
何れにせよ、そこらの侍には通用しても伝之助にけちな脅しなど通用しない。
優之助は団子を飲み込むと最後の団子を頬張る。
「侍でもなかごろつきがよう吠えるのう」
伝之助は薄ら笑いを浮かべる。
男は眉間に皺を寄せた。
「侍でなくても俺は侍よりぃぃぃぅぅっ……」
男が言い終わる間もなく、伝之助が視界から消えた。
と思った矢先、相手の懐に潜り込み、男の鳩尾に拳を突き刺していた。
男の体が宙に浮く程の一撃だ。
伝之助がさっと身を引くと男は崩れ落ち、悶絶する。
「で、伝之助さん!いきなり殴らんでもっ……」
団子を喉に詰めそうになり、とんとん胸を叩いて何とか飲み下す。
「お前は黙っちょれ。のう、おいは糞侍か?」
伝之助は足で男の頭を小突く。
いや、小突くと言うより蹴るに近い。
「かっ……」
男はまだまだ悶絶中だ。
辛うじて首を振っているように見る。
「島薗のごろつきと付き合いがあるか知らんが、お前みたいな小物の言うこつきいて一々島薗のもんが仕返しに出る訳がなか。そいにおいはお前よりも裏の世界に通じちょる」
「か……かあ……」
男はまだまともに呼吸さえできない様子で目を剥いている。
「あん店に二度と行くな。女に二度と近づくな。こん二つを守れんならお前、地獄見っど」
「う、が……」
男はこくこくと頷いた。
伝之助は一度も声を荒げる事無く、刀を振りかざす事もなく、一撃入れただけで簡単に退けた。
それから数日経つが男は店に姿を現さなくなり、心配していた仕返しもない。
依頼人の男が喜びながらお礼を言いに来て報酬を支払った夜、湯豆腐をつまみに酒を酌み交わしていた。
「伝之助さん。相手の男、ちょっと厄介なやつやったじゃないですか。島薗のごろつきとも付き合いがあるとかないとか。裏の世界にも片足突っ込んでるとかいないとか。このままうまい事幕引きますかね」
優之助は言い終わるなり湯豆腐をつまむ。
伝之助は自身のお猪口に酒を注ぐ。
「あるとかないとかち、半端な調べじゃの。あげな小物、どこの誰が相手にすっとか。付き合いあるち言うてもそげに深い付き合いとちごうはずじゃ」
言って一気に酒を煽った。
「相変わらず……大胆不敵ですね」
後先考えない阿保侍とは言わない。
「しかし声を荒げる事も無く刀も抜かずにさすがですね」
「天地流(てんちりゅう)には刀抜くべからざるち言う言葉があっとじゃ」
「それはどういう事ですか」
天地流はすぐさま斬り掛かる剣術ではなかったか。
「そんままじゃ。刀は簡単に抜くもんとちごう。脅しの道具でもなか。柄に手をかける言うこつは刀を抜く言うこつじゃ。刀を抜く言うこつは斬り合いをするち言うこちじゃ。刀を抜かず済ませられるこつは済ます。じゃっどん刀を抜くなら相手を必ず仕留める。例え自分が斬られても仕方んなか。そう言うこつじゃ」
刀を抜くと命のやり取りになる。
生半可な覚悟で柄に手をかけるものではない。
刀を抜かずして済ませられる事は目を瞑ってでも済ますが、抜く以上は容赦しない。
それが天地流だ。
「でも拳は振るいましたよね」
今回もだが、以前章夫(あきお)と言う男に襲われた時も伝之助は躊躇なく拳を振るった。
「じゃっで容赦はせんかった」
確かに容赦はなかった。
章夫は鼻を潰されかけたし、あの男は呼吸が出来ない程殴られた。
「手を出す以上そいなりん覚悟じゃ」
伝之助も湯豆腐をつまむ。
「そうですか」
こいつはやはり恐ろしい。
頭のたがが外れている。
そう思い酒をぐっと飲む。
「いやあ、それにしても裏の世界に片足突っ込んだ奴相手にご立派です」
「おう。おいは裏の世界に身体も頭も浸かっちょうからの」
そう言えばそうだった。
優之助は手酌で酒を注ぐ。
「お前も足先ん突っ込んだとじゃ。こん先頭の先まで浸かっていっど」
「え、いやいや、そんな……」
酒を零しそうになる。
まさか、そんな事はないだろう。
「も一つ、商売ち思っちょうなら客に手を出すな」
ちっ、いい女が客で現れたらあわよくばと思っていたが釘を刺された。
まあこれを機におさきの気をより引けたらそれでよしだ。
その後もおさきを仲介して相談に来る客がいた。
おさきが仲介と言う事は鈴味屋でおさきから依頼内容を聞くと言う事だ。
お蔭で以前よりもおさきがお酌についてくれる頻度が大幅に増えた。
これだけでも非常に喜ばしい事だ。
依頼内容は夫婦喧嘩の仲裁や猫が高い所から降りられなくなったなどの下らない事から、盗まれた物を取り返したりちょっとした罪を犯したが奉行所をうまく逃れた者への制裁など大きな事までまさに何でも屋のようであった。
次第に優之助の町での評判は上がり、客は少しずつ増えていった。
意外な事に伝之助は報酬をきっちり折半した。
伝之助のような強欲侍はきっと取り分を多くよこせと言うに違いないと思っていたので心底驚いた。
伝之助は優之助が一人で解決できる依頼内容であれば一切手伝わず、その時は自身の報酬はいらないとまで言った。
考えれば当たり前なのだが、それは更なる驚きを優之助にもたらした。
金の事にはきっちりとしているようだ。
そして優之助は人の役に立ち金を稼ぐ事に、次第に喜びを感じるようになっていった。
おさきは早くも日常を取り戻し働いていた。
「おさき、すっかりいつも通りやな」
機嫌よく芋の煮物をつつきながら酒を飲む。
芋が柔らかく口の中で溶けるようだ。味も濃すぎず薄すぎず絶妙である。
鈴味屋の料理は酒のつまみになるものから庶民が気兼ねなく食べられる料理、ちょっとお高い料理まで様々なものがあるが何でも美味い。
おさきはにっこりと微笑んだ。
相変わらず美人だ。
「へえ、お蔭さんで。それより優さま、大山(おおやま)さまはまだご一緒に?」
おさきがお酌をして言う。
優之助は機嫌よく酒を飲んで答えた。
「鬱陶しいことにまだ居てるんや。ほんまいつまでおるつもり……ってなんでや?」
不吉な想像をして思わず酒を飲む手が止まる。
まさか、あの男に惚れたと言うのではないだろうな。
もしそうなら刺し違えてもあの男の寝込みを襲う。
「いや、それがこの前お客さんで困り事があるて相談されて、頼りになる方達がいてるて言うたらぜひ紹介してほしい言われてしもて。どないですやろ?」
なんだ、そんな事か。
安心して酒を煽る。
おさきに頼りにされているとは鼻が高い。
「話ぐらいなら聞くで。伝之助(でんのすけ)には俺から言うとく」
伝之助を呼び捨てにして大きく出る。
「まあ嬉しい。ほんならこんな話が来たら優さまのとこに持って行くようにします」
「おう。どんと持って来い」
ちょっとは男らしく見えただろうか。
下心満載で言った。
数日後、優之助の家を一人の町人風の男が訪ねてきた。
「すみません、優之助さまと言う方はあなたさまでしょうか」
「優之助は俺やけど……何か?」
何かしでかしたろうか。
最近は女とも遊んでいないから心当たりはないように思うが……
「鈴味屋のおさきの紹介で尋ねてきました」
男はおずおずと言った。
そう言えばおさきが何か言っていた。
伝之助にはまだ何も伝えていない。
それにしても早く要件を言えばいいものを、変な勘繰りをして損した。
居間へ案内してやり、男を座らせて茶を用意する。
「それで、どないしはったんです」
茶を出しながら言って男の向かいに座った。
「ええ、実は……」
男の妻は親戚が営む茶屋で働いており、最近その茶屋に通い妻にちょっかいを掛けている男がいるから何とかしてほしいと言った。
「そんな事自分で何とかしたらどないですか」
また仇討の類かと思ったらそんな事か。
呆れて正座していた足を崩した。
「そんな事言わんで下さい。その男がまた性質の悪い奴なんです」
男はちょっかいをかけている男について話し出す。
どうやら悪い付き合いのある男のようで、とても自分だけでは追い払えないらしい。
「金なら払います。どうかお頼み聞いてもらえませんか」
金を払う……しかしこんな事は伝之助が何とかしないと何ともならない。
「話は分かりました。返事は後日でよろしいですか」
「結構です。お願いします」
「それじゃあ明日、また訪ねてきて下さい」
男は背を丸めてすごすごと帰っていった。
その日の夜、伝之助が帰り居間にて座ると、優之助は早速切り出した。
「伝之助さん、実は……」
おさきに話を貰った事から今日の出来事に至るまでを話した。
「そげなもん、お前が何とかせえ」
思っていた通りの回答だった。
さあ、ここから伝之助のやる気を持っていくのだ。
「その男は金を払うと言うてます」
「お前に一つ教えとくど。おいは金に困ってなか」
そう言えば今までもあちこちで用心棒をしていたのだった。
いつもの様子からして報酬をふんだくっていたのだろう。
今もどこぞで用心棒をしているのか、時折いない事もある。
「伝之助さんがお金に困ってるなんか思てません。ちゃんと誠意がある相手やと言う事を言いたかったんです。俺は、やりがいのある事を見付けたんです」
得意の口八丁で伝之助の人情に訴える作戦に出る。
伝之助は冷酷なようで意外と人情に弱い気がする。
「やりがい?」
伝之助が片眉をあげて見る。
食い付いた――優之助はそれを見て続ける。
「ええ。俺はずっと親の金で遊び歩いてる毎日でした。何のやる事も見い出せず親も弟も悲しませる毎日でした。けどやっと、それに終わりが来る時が来た。それは伝之助さんと大坂に行った時から心が湧き踊ってた。またああやって人の役に立ちたいって。前みたいな規模が大きくなくてもいい。小さくても人の役に立ちたい。それが今回また話が転がってきたんです。伝之助さん、俺に力を貸してくれませんか」
我ながら弁が立つ。
決まったと思った。
伝之助もうんうんと頷いている。
「お前がそげに思っちょったとはの。家族に迷惑かけんで自立したい言うんはよか」
「そうでしょう」
好感触だ。
「じゃ。そいでお前は人の復讐心に協力したいとか」
「へ……復讐?」
「盛本を斬ったこつは仇討ちじゃ。復讐するち言うこつじゃ。今回も妻にちょっかいを出す男を懲らしめる。復讐するち言うこつじゃ」
そう言われると確かにそうかもしれない。
だがそこまで深く考えていない。
「復讐……そこまで大きくは考えていませんでした。ただおさきの気を引きた……ではなくて、おさきが持ってきてくれた話に共感し、人の為になりたいと思いました」
伝之助は優之助の話を聞きながら思っていた。
やはりおさきは侮れない。
優之助を焚き付けて客を増やそうと言う腹ではないだろうか。
しかし不純な理由とは言え優之助が働く気になっている。
こんな男が働こうが働かまいが興味ないが、親の甘さに甘えて遊び歩いているさまを見ると他人事ながら虫唾が走る。
ここらで住まわせてもらっている恩を返してやってもいい。
おさきに乗せられたとわかる所が気に入らないが乗ってやろうと思った。
「そうか。よか、そん話引き受けよ。ただし優之助、ちゃんと調べ。そいはほんまに懲らしめてよか人間かどげんかな。仇討の時みたいにおいがやってくれる思うな。お前がきっちりやるこつでおいは初めて動く。調べもせんと相手んこつ鵜呑みにしちょったら信用ならん。やるならきっちりやる、そいが仕事じゃ」
なるほど、伝之助にしては真っ当だ。
真面目な顔で見る伝之助の視線を真っ直ぐ返した。
「わかりました。きっちりやってこその商売ですものね」
翌日依頼人の男が訪ねて来ると、引き受けると伝え、同時に報酬と約束事を伝えた。
男から了承を貰うと、詳しく話を聞き出した。
伝之助と二人で男から話を聞くと、優之助はその日の内に家を出て調査に向かった。
まずは依頼人の男やその周囲の様子を探った。
男の人間性を主観、客観含めて確かめたかった。
依頼人の男は特に問題のある男ではなさそうであった。
優之助にしては珍しく精力的に働き、その後数日かけて調査した。
結果、依頼人の男の言う通り男の妻は親戚の茶屋で働いており、一人の男に絡まれる事が多いようであった。
その男も可能な範囲で聞き取りや後をつけて調べると、確かに厄介そうな男であった。
島薗(しまぞの)のごろつきとも付き合いがあるようではあったが、どこまで深い付き合いなのか、その男の立ち位置までは掴めなかった。
もう少し踏み込んで調べたかったが、自身の身が危うくなる事を思いやめた。
後は伝之助に任せよう。
あいつは危険担当だ。
伝之助に調査報告をした翌日、二人で店に出向いた。
店は割と大きく店頭でも店内でも飲み食いが出来る。
二人は店頭も見え、店内全体も見渡せる隅の席で男を待つ。
伝之助が茶を啜り、優之助が串に刺さった三つの団子の内一つを口に入れた所で、男が店内に現れた。
「なあ、旦那と別れて俺の女になってや」
男は席に着くなり口説く。
「やめて下さい」「ええやん」「いい加減にして下さい」そんなやり取りの後、見兼ねた店主が注意する。
すると男は「お前には関係ないやろ」とすごむ。
そこで伝之助の登場だ。
「見苦しか。外に出え」
「ああ?どこぞの侍や。俺に手え出したらどないなるかわかってんやろな」
男は睨みをくれて言い放ち、伝之助と表へ出る。
店主には話を通してあるので、優之助は目配せし、団子を持って二人の後を追う。
店から離れた草むらに二人はいた。
優之助は二つ目の団子を頬張った。
「俺は島薗の坂谷(さかたに)さんと付き合いがある。俺に手え出したら後悔すんぞ糞侍」
男は顔をもたげ啖呵を切る。
優之助は伝之助が糞侍と罵られた事にくすっと笑う。
しかしこの男、相手を見てわからないのだろうか。
伝之助は背こそ高くないが体つきが違う。
何より纏う独特の雰囲気、気を感じ取られないのだろうか。
何れにせよ、そこらの侍には通用しても伝之助にけちな脅しなど通用しない。
優之助は団子を飲み込むと最後の団子を頬張る。
「侍でもなかごろつきがよう吠えるのう」
伝之助は薄ら笑いを浮かべる。
男は眉間に皺を寄せた。
「侍でなくても俺は侍よりぃぃぃぅぅっ……」
男が言い終わる間もなく、伝之助が視界から消えた。
と思った矢先、相手の懐に潜り込み、男の鳩尾に拳を突き刺していた。
男の体が宙に浮く程の一撃だ。
伝之助がさっと身を引くと男は崩れ落ち、悶絶する。
「で、伝之助さん!いきなり殴らんでもっ……」
団子を喉に詰めそうになり、とんとん胸を叩いて何とか飲み下す。
「お前は黙っちょれ。のう、おいは糞侍か?」
伝之助は足で男の頭を小突く。
いや、小突くと言うより蹴るに近い。
「かっ……」
男はまだまだ悶絶中だ。
辛うじて首を振っているように見る。
「島薗のごろつきと付き合いがあるか知らんが、お前みたいな小物の言うこつきいて一々島薗のもんが仕返しに出る訳がなか。そいにおいはお前よりも裏の世界に通じちょる」
「か……かあ……」
男はまだまともに呼吸さえできない様子で目を剥いている。
「あん店に二度と行くな。女に二度と近づくな。こん二つを守れんならお前、地獄見っど」
「う、が……」
男はこくこくと頷いた。
伝之助は一度も声を荒げる事無く、刀を振りかざす事もなく、一撃入れただけで簡単に退けた。
それから数日経つが男は店に姿を現さなくなり、心配していた仕返しもない。
依頼人の男が喜びながらお礼を言いに来て報酬を支払った夜、湯豆腐をつまみに酒を酌み交わしていた。
「伝之助さん。相手の男、ちょっと厄介なやつやったじゃないですか。島薗のごろつきとも付き合いがあるとかないとか。裏の世界にも片足突っ込んでるとかいないとか。このままうまい事幕引きますかね」
優之助は言い終わるなり湯豆腐をつまむ。
伝之助は自身のお猪口に酒を注ぐ。
「あるとかないとかち、半端な調べじゃの。あげな小物、どこの誰が相手にすっとか。付き合いあるち言うてもそげに深い付き合いとちごうはずじゃ」
言って一気に酒を煽った。
「相変わらず……大胆不敵ですね」
後先考えない阿保侍とは言わない。
「しかし声を荒げる事も無く刀も抜かずにさすがですね」
「天地流(てんちりゅう)には刀抜くべからざるち言う言葉があっとじゃ」
「それはどういう事ですか」
天地流はすぐさま斬り掛かる剣術ではなかったか。
「そんままじゃ。刀は簡単に抜くもんとちごう。脅しの道具でもなか。柄に手をかける言うこつは刀を抜く言うこつじゃ。刀を抜く言うこつは斬り合いをするち言うこちじゃ。刀を抜かず済ませられるこつは済ます。じゃっどん刀を抜くなら相手を必ず仕留める。例え自分が斬られても仕方んなか。そう言うこつじゃ」
刀を抜くと命のやり取りになる。
生半可な覚悟で柄に手をかけるものではない。
刀を抜かずして済ませられる事は目を瞑ってでも済ますが、抜く以上は容赦しない。
それが天地流だ。
「でも拳は振るいましたよね」
今回もだが、以前章夫(あきお)と言う男に襲われた時も伝之助は躊躇なく拳を振るった。
「じゃっで容赦はせんかった」
確かに容赦はなかった。
章夫は鼻を潰されかけたし、あの男は呼吸が出来ない程殴られた。
「手を出す以上そいなりん覚悟じゃ」
伝之助も湯豆腐をつまむ。
「そうですか」
こいつはやはり恐ろしい。
頭のたがが外れている。
そう思い酒をぐっと飲む。
「いやあ、それにしても裏の世界に片足突っ込んだ奴相手にご立派です」
「おう。おいは裏の世界に身体も頭も浸かっちょうからの」
そう言えばそうだった。
優之助は手酌で酒を注ぐ。
「お前も足先ん突っ込んだとじゃ。こん先頭の先まで浸かっていっど」
「え、いやいや、そんな……」
酒を零しそうになる。
まさか、そんな事はないだろう。
「も一つ、商売ち思っちょうなら客に手を出すな」
ちっ、いい女が客で現れたらあわよくばと思っていたが釘を刺された。
まあこれを機におさきの気をより引けたらそれでよしだ。
その後もおさきを仲介して相談に来る客がいた。
おさきが仲介と言う事は鈴味屋でおさきから依頼内容を聞くと言う事だ。
お蔭で以前よりもおさきがお酌についてくれる頻度が大幅に増えた。
これだけでも非常に喜ばしい事だ。
依頼内容は夫婦喧嘩の仲裁や猫が高い所から降りられなくなったなどの下らない事から、盗まれた物を取り返したりちょっとした罪を犯したが奉行所をうまく逃れた者への制裁など大きな事までまさに何でも屋のようであった。
次第に優之助の町での評判は上がり、客は少しずつ増えていった。
意外な事に伝之助は報酬をきっちり折半した。
伝之助のような強欲侍はきっと取り分を多くよこせと言うに違いないと思っていたので心底驚いた。
伝之助は優之助が一人で解決できる依頼内容であれば一切手伝わず、その時は自身の報酬はいらないとまで言った。
考えれば当たり前なのだが、それは更なる驚きを優之助にもたらした。
金の事にはきっちりとしているようだ。
そして優之助は人の役に立ち金を稼ぐ事に、次第に喜びを感じるようになっていった。