おさきの決意
文字数 2,141文字
「今日の勤めはもうしまいか」
おさきが鈴味屋から出てきたところに伝之助が声を掛ける。
辺りは薄暗くなり始めたところで、おさきの勤めは閉店までではなかったようである。
「あら、大山さま。ずっと待っていらしてくれたんですか」
「おう、もう少し話がしとうての」
「へえ、大山さまもやっぱり男なんですね」
おさきは普段優之助に見せる事のない妖艶さを滲み出し、からかうように笑う。
昼前のしおらしい様子は微塵もない。
伝之助は睨みを利かす。
「勘違いすな。お前になびいてきたとちごう。優之助の前では込み入った話も出来んからの」
おさきは伝之助の迫力に臆する事なく澄ました顔で聞く。
「込み入った話してなんです?」
「こんおなご……性根が座っとるの。よか。歩きながら話すど」
おさきは返す事なくゆっくりと歩き出す。
おさきが隣に来ると伝之助も歩き出した。
「聞きたかこつがある。ないごておいに頼んだ」
伝之助は腕を組んで歩き、前を見て言った。
おさきは並んで俯き歩く。
「それは優さまにも言うた通り、大山さまがさぞお強いお侍さんと――」
「ちごう」
伝之助はおさきの言葉を遮り、続ける。
「おいに頼まんでも客ん中に強か侍がおったはずじゃ。じゃっどんお前はおいに頼んだ。おいは客とちごうじゃっで言うも変じゃ。仲介したんは優之助じゃ。客に迷惑がかかるち言う点じゃと筋が通っとらん。お前はおいに頼まないかん理由があったはずじゃ」
おさきは終始俯いている。
足取りは重くなり、やがて止まる。
「どげんした。都合悪かこつ言われたか。こいでもおいは今まで数々の人間を見ちょる。お前にないごてあるち言うんはわかる」
伝之助が歩を止め振り向いて言うと、おさきは俯いたままゆっくり歩を進める。
「大山さま。私、決して……決して、お天道様に背く事はお願いしてません。お二人を貶(おとしめ)めるような事も、もちろんしていません。ただ、女には言えん事の一つや二つ、あるんです」
おさきは顔を上げる事無く、震える声を絞り出して言った。
おさきの様子からして何かを隠しているか言っていない事があるのは間違いなさそうだ。
だがそれが悪巧みであるようには見えない。
おさきは伝之助の前まで歩き、歩を止めると、ばっと顔を上げて伝之助を真っ直ぐ見た。
その目には涙が溜まっていた。
「この通りです。この度の依頼、何卒、お願いします」
おさきは意志の強いはっきりとした通る声で言うと、頭を下げた。
とても涙の演技には見えない。
伝之助はその様子を見て一度目を瞑ると、小さく笑った。
「よか。おいも受けるち言うたからには受ける。じゃっどん、約束事を破るようなこつがあったらこん話は無かったこつんなる。そいで金はきっちりもらう。よかな」
「それは重々承知してます。約束事を破るような事はしてません」
「わかった。もうこい以上聞くんはやめじゃ。明日から大坂へ向かう。じゃあの」
伝之助はそう言うとおさきの返事も聞かず、風のように走り去った。
優之助が家に帰りつくと、伝之助が居間でめざしをあてに酒を飲んでいた。
「あっ伝之助さん。一人で飲んでたんですか。言うてくれたら一緒に飲んだのに」
そんな気はさらさらないが、一応言っておく。
「ないがぐらしいてお前と酒を飲むとじゃ」
伝之助は言うなり、がりっとめざしを齧(かじ)る。
別にこっちも飲みたないわと思うが今は酔っぱらって気分がいい。
今はもっぱら鈴味屋で飲む事が多いが、以前は飲み仲間とあちこちの飲み屋で飲んでいた。
適当な飲み屋に入ると偶然にも以前の飲み仲間達と出会い、話に花を咲かせて入り浸った。
だから今は気分がいい。
せっかく気分がいいのだからこれ以上気分を害したくない。
「そうですか。じゃ、俺はさっさと寝ます」
「待て。お前、明日から大坂行く言うんはわかっちょうか」
明日?明日からやと。
「そんな急ぎで行くんですか。明日に半金の二両を受け取るんでしょ。明日はその金で景気づけでもして明後日は酒を抜いて明々後日にぼちぼちいこかて言うぐらいでいいやないですか。五年もかかってるんやし今更二、三日ぐらい――」
「お前はほんのこて一辺叩き斬っど」
伝之助は低い声で優之助の言葉を遮り、睨みつけた。
「いや一辺でも叩き斬られたら死んでしまいます」
恐る恐る言い返す。
「ないかと遊ぶこつ考えるの。こいは仕事ち言うちょうが。お前はおさきに惚れちょっとじゃろ。仕事抜きにしてもおさきん為にきばろうち思わんとか」
伝之助はめざしの頭を優之助に向ける。
――そんなもんで人を指すな。
しかし痛い所を突かれた。
長い間ふしだらな生活をしていたものだからいかんせん、腰が重い。
だが伝之助の言う通りおさきの為だ。
惚れている女の為にここは頑張らないといけない。
「わかりました。おさきの為にも一日も早い解決、目指しましょう」
乗せられた感はあるが今は気分がいいのだ。
更によくしてくれるなら話ぐらい聞いてやる。
「よかよか、そん意気じゃ。明日の朝は早いど。いつもみたいに寝坊すなよ」
「へいへい」
「誰(だい)に向こてへいへい言うちょる。お前最近口ん利き方が雑いの」
「そんな事はございません」
図々しい強欲居候侍に言うとるんじゃ――思いとは裏腹に丁寧に答える。
「もうよか。行け」
ちくしょう……結局最後は気分を害され床に着く事になった。
おさきが鈴味屋から出てきたところに伝之助が声を掛ける。
辺りは薄暗くなり始めたところで、おさきの勤めは閉店までではなかったようである。
「あら、大山さま。ずっと待っていらしてくれたんですか」
「おう、もう少し話がしとうての」
「へえ、大山さまもやっぱり男なんですね」
おさきは普段優之助に見せる事のない妖艶さを滲み出し、からかうように笑う。
昼前のしおらしい様子は微塵もない。
伝之助は睨みを利かす。
「勘違いすな。お前になびいてきたとちごう。優之助の前では込み入った話も出来んからの」
おさきは伝之助の迫力に臆する事なく澄ました顔で聞く。
「込み入った話してなんです?」
「こんおなご……性根が座っとるの。よか。歩きながら話すど」
おさきは返す事なくゆっくりと歩き出す。
おさきが隣に来ると伝之助も歩き出した。
「聞きたかこつがある。ないごておいに頼んだ」
伝之助は腕を組んで歩き、前を見て言った。
おさきは並んで俯き歩く。
「それは優さまにも言うた通り、大山さまがさぞお強いお侍さんと――」
「ちごう」
伝之助はおさきの言葉を遮り、続ける。
「おいに頼まんでも客ん中に強か侍がおったはずじゃ。じゃっどんお前はおいに頼んだ。おいは客とちごうじゃっで言うも変じゃ。仲介したんは優之助じゃ。客に迷惑がかかるち言う点じゃと筋が通っとらん。お前はおいに頼まないかん理由があったはずじゃ」
おさきは終始俯いている。
足取りは重くなり、やがて止まる。
「どげんした。都合悪かこつ言われたか。こいでもおいは今まで数々の人間を見ちょる。お前にないごてあるち言うんはわかる」
伝之助が歩を止め振り向いて言うと、おさきは俯いたままゆっくり歩を進める。
「大山さま。私、決して……決して、お天道様に背く事はお願いしてません。お二人を貶(おとしめ)めるような事も、もちろんしていません。ただ、女には言えん事の一つや二つ、あるんです」
おさきは顔を上げる事無く、震える声を絞り出して言った。
おさきの様子からして何かを隠しているか言っていない事があるのは間違いなさそうだ。
だがそれが悪巧みであるようには見えない。
おさきは伝之助の前まで歩き、歩を止めると、ばっと顔を上げて伝之助を真っ直ぐ見た。
その目には涙が溜まっていた。
「この通りです。この度の依頼、何卒、お願いします」
おさきは意志の強いはっきりとした通る声で言うと、頭を下げた。
とても涙の演技には見えない。
伝之助はその様子を見て一度目を瞑ると、小さく笑った。
「よか。おいも受けるち言うたからには受ける。じゃっどん、約束事を破るようなこつがあったらこん話は無かったこつんなる。そいで金はきっちりもらう。よかな」
「それは重々承知してます。約束事を破るような事はしてません」
「わかった。もうこい以上聞くんはやめじゃ。明日から大坂へ向かう。じゃあの」
伝之助はそう言うとおさきの返事も聞かず、風のように走り去った。
優之助が家に帰りつくと、伝之助が居間でめざしをあてに酒を飲んでいた。
「あっ伝之助さん。一人で飲んでたんですか。言うてくれたら一緒に飲んだのに」
そんな気はさらさらないが、一応言っておく。
「ないがぐらしいてお前と酒を飲むとじゃ」
伝之助は言うなり、がりっとめざしを齧(かじ)る。
別にこっちも飲みたないわと思うが今は酔っぱらって気分がいい。
今はもっぱら鈴味屋で飲む事が多いが、以前は飲み仲間とあちこちの飲み屋で飲んでいた。
適当な飲み屋に入ると偶然にも以前の飲み仲間達と出会い、話に花を咲かせて入り浸った。
だから今は気分がいい。
せっかく気分がいいのだからこれ以上気分を害したくない。
「そうですか。じゃ、俺はさっさと寝ます」
「待て。お前、明日から大坂行く言うんはわかっちょうか」
明日?明日からやと。
「そんな急ぎで行くんですか。明日に半金の二両を受け取るんでしょ。明日はその金で景気づけでもして明後日は酒を抜いて明々後日にぼちぼちいこかて言うぐらいでいいやないですか。五年もかかってるんやし今更二、三日ぐらい――」
「お前はほんのこて一辺叩き斬っど」
伝之助は低い声で優之助の言葉を遮り、睨みつけた。
「いや一辺でも叩き斬られたら死んでしまいます」
恐る恐る言い返す。
「ないかと遊ぶこつ考えるの。こいは仕事ち言うちょうが。お前はおさきに惚れちょっとじゃろ。仕事抜きにしてもおさきん為にきばろうち思わんとか」
伝之助はめざしの頭を優之助に向ける。
――そんなもんで人を指すな。
しかし痛い所を突かれた。
長い間ふしだらな生活をしていたものだからいかんせん、腰が重い。
だが伝之助の言う通りおさきの為だ。
惚れている女の為にここは頑張らないといけない。
「わかりました。おさきの為にも一日も早い解決、目指しましょう」
乗せられた感はあるが今は気分がいいのだ。
更によくしてくれるなら話ぐらい聞いてやる。
「よかよか、そん意気じゃ。明日の朝は早いど。いつもみたいに寝坊すなよ」
「へいへい」
「誰(だい)に向こてへいへい言うちょる。お前最近口ん利き方が雑いの」
「そんな事はございません」
図々しい強欲居候侍に言うとるんじゃ――思いとは裏腹に丁寧に答える。
「もうよか。行け」
ちくしょう……結局最後は気分を害され床に着く事になった。